〈6〉嫌い
演劇の練習を終えて解散した放課後。教室にアーディとエーベル、ヴィルが残った。もちろんピペルも。
エーベルは適当な机の上にふんぞり返ると、アーディに向けてにゃししと笑った。
「アーディ、書いてあることを読むだけなのにゃ。なんであんなに緊張しちゃうんだぁ?」
カッチーン。
頭の中でそんな音が鳴った。
けれど言い返せないのは自分の不甲斐なさからだろう。
ぐぐぐ、と拳を握って耐えた。そうしていると、ヴィルがやんわりと言った。
「私もすごく緊張したよ? 変じゃなかった?」
「ぁん? オボエテナイ」
台詞合わせの時はしっかりと見つめていたのに、素に戻るとヴィルの方へ目を向けもしない。興味も薄く、適当な返事をしたエーベルの頭をアーディはすかさず叩いた。
「どうしてお前はそう無神経なんだ」
「無神経? 痛かったケド、今の」
と、頭を摩っている。
「そういう意味じゃない」
「エーベル様、ヴィルしゃんは一生懸命なんですにゃー。そうやる気を殺ぐようなことを言っちゃ駄目ですにゃー」
なんと。この黒猫とアーディの意見が一致した。
ヴィルも感動したのか、心なし目が潤んでいる。
「ありがとう、ピペル。大丈夫、私がんばるから」
すると、エーベルは鼻白んだ様子だった。
「なんだぁ? セリフは最初から決まってるし、台本通りに動いて喋るだけじゃないか。みんな大げさだナァ」
エーベルにとったらそうなのだろう。すぐに覚えられる程度の内容、すぐにできる程度の表現。何も難しいことはない。要するに、天才に凡人の気持ちはわからないのだ。
「ちびっ子。オマエは小さいから、がんばらないと目立たないゾ」
「う、うん」
ヴィルがしょんぼりしてしまう。
いつものことなのに、アーディはそんなエーベルにひどくイライラした。もう少し人の気持ちを思い遣れないのかと。
「……お前、次にヴィルにそういうこと言ったら、僕は二度と口を利かないからな」
「へ?」
アーディの低い声にエーベルがきょとんとした。
「がんばろうとしてるのに、余計なことを言うな。お前のそういうところが嫌いなんだ」
場が、凍りついた。
エーベルはこれくらい言わないとわからないだろうと思ってはっきりと言ってやった。そうしたら、びっくりするくらい萎れた。
「……ゴメンナサイ」
どうやらピペルも耳を疑ったようだ。猫耳をピコピコと動かしている。
エーベルが謝ることがあるのかと、アーディも意外に思ってしまったけれど、しょんぼりと項垂れる姿は嘘ではないのだろう。
「わ、私は気にしてないから。うん、がんばろうね」
ヴィルが努めて明るく間に入ってくれた。エーベルは無言でこっくりうなずく。
もしかして、落ち込んだのだろうか。あれくらいで。
だとしたら、今度はアーディのせいかのか。どこになんのスイッチがあるのかよくわからないヤツである。
それからというもの、エーベルはとても真面目に、熱心に演劇の練習に参加していたように思う。セリフを間違えたことは一度もない。それに、アーディなら三秒と持たないような甘ったるいシーンも平然とこなす。見つめられているヴィルの方は最初こそたじろいでいたけれど、そのうちに慣れたようで演技も少し自然になった。
アーディはというと、なんとか人に聞こえる程度の声にはなったようだが、未だに棒読みだ仏頂面だと外野から突っ込まれている。
本番までに修正できるだろうか。
けれど、エーベルまであの調子だから、自分が足を引っ張るわけには行かない、とアーディも必死である。
神様――例えば、自分の父のような感じでいいのではないだろうか。一応国で一番偉いからか態度がでかいし、難しく考えずにあのイメージで行こう。
時々、エーベルが物言いたげにじいっとアーディを見ている。わかっている。あれは『ボクがんばってるよ』アピールだ。
一生懸命だというヴィルの味方をするアーディだから、一生懸命に稽古に取り組めば、アーディはエーベルを見直すだろうと思うのか。
そうでなければ、あの飽きっぽいエーベルが延々と同じセリフを繰り返せるはずがない。
「……」
嫌い、とか、相手が誰だろうと不用意に言うのはよくなかったのかも知れない。
少しだけ悪かったなと思うアーディだった。謝らなくてはいけないのはアーディもである。
思えば、年齢の近い子供と接した機会が少ないのはアーディも同じなのだ。年上の人間からかしずかれてばかりいた。距離感や接し方がわからないのはエーベルばかりではない。
あなたなら彼の気持ちがわかるのではないかと学園長に言われた。まさかと思ったけれど。
そのまさかなのだろうか。