〈4〉お手本
ヴィルは演劇の主役など、本来なら自分には向いていないと思う。
それも、主役は美しい姫なのだ。自分が美しいと呼べるような容姿でないことくらい、ヴィルはよくわかっている。舞台に立った途端、あれが姫? と失笑されそうな気もする。
けれど、やろうと決めたのだ。
苦手なことだけれど、だからこそ挑戦しようと。
ディルク先生が言ったから。やり遂げた時には成長できると。
ヴィルは今のままではいけない。今の自分ではいけない、とある人に言われたのだ。
アーディの兄である青年、カイがヴィルにそう言った。卒業してもアーディのそばにいようと思うのなら、今のままではいけないと。
卒業した後にどうなるのかなんて、まだ一年生のヴィルにはわからない。けれど、いざ卒業を控えた時、何もして来なかったことを後悔する。そんな気がしてしまうのだ。
どういう未来を自分が選ぶのかはわからないけれど、その時にしたい選択をできるような自分でいたい。カイに、駄目だと言ったじゃないかと呆れられてしまうのはあまりに悲しいから。
放課後の鐘が鳴る。
今日はまだ練習がないというから、ヴィルは逃げるようにして教室を抜け出した。
そのままの足で向かった先は二年生の教室の前。背の低いヴィルは見るからに一年生で、廊下にいてすら浮いていた。上級生の視線を感じながら教室の前で待っていると、やっと出て来てくれた。
「レノ先輩!」
ふわりとした髪の両サイドをリボンで留めたレノーレがその声に顔を上げる。ヴィルを認めると、美しい顔を優しく和らげて笑った。やはり見惚れてしまうほど、とても綺麗だ。
「あら、ヴィルじゃない。どうしたの?」
「はい、レノ先輩にお会いしたくて来ました。あの、お話できますか?」
「ええ、いいわよ。テラスにでも行く?」
ヴィルはこくりとうなずいた。
レノーレは教科書を抱えたままヴィルを促して横を歩く。テラスは寮のすぐそばであり、敷地を歩く中でヴィルはぽつりぽつりと語るのだった。
「あの、私、学園祭の演劇で主役を演じることになったんです」
「わぁ、すごいじゃない。おめでとう」
皮肉でもなんでもなく、レノーレは明るい笑顔でそう言ってくれた。その様子には持ち前の華がある。
どうしたらそうあれるのだろうかとヴィルはぼんやりと考えた。
「それで、その、お姫様の役なんですけれど、どうしたらいいのかなって。私、どうしたいのかなって考えたら、レノ先輩のことが浮かんだんです。もしレノ先輩だったらすっごく綺麗なんだろうなって。だから、レノ先輩にアドバイスをもらいたくて来ました」
正直にそう答えると、そんなヴィルをレノーレは横からぎゅっと抱き締めた。
「何この可愛さ!」
「え、あの……」
うろたえるヴィルに、レノーレはクスクスと笑ってみせた。
「そうねえ、一年生は演劇だものね。あれから一年か。懐かしいわー」
そういえば、レノーレは二年生で、去年は一年生であったのだ。それなら演劇をしたはずだ。この美貌でモブはないだろう。一体何の役だったのだろうか。
「レノ先輩もお姫様の役とかしたんですか?」
すると、レノーレはプ、と吹き出した。そのまま、あははと笑っている。
「違う違う。まあ、あたしのことはいいじゃない。それで、お姫様役がいるってことは相手役もいるんでしょ? アーディ――じゃあないわよね、きっと」
そういうことが本気で嫌いだろうと思われるアーディだ。レノーレもそれをよくわかっている。
「はい、エーベル君です」
その途端、レノーレはとんでもなく嫌そうな顔をした。
「本気で?」
「はい」
「それ、成り立つの?」
「……多分」
多分というのはヴィルの願望だろうか。成り立たない可能性が無きにしも非ずではある。けれど、やらないとは言わなかった。やる気はあると思いたい。
そんな心配がヴィルの顔に出たのか、レノーレは笑顔で軽くうなずいた。柔らかな髪が小さく揺れる。
「でも、あたしから何かを学ばなくても、ヴィルなら大丈夫よ。小さい頃からちゃんと躾けられていたのがちょっとした仕草からわかるもの。そうね、言えるとしたら、少しオドオドするのがいけないかも知れないわね。堂々と、胸を張って顔を上げて、それだけでヴィルは立派なお姫様になれると思うわ」
オドオド。
わかってはいるけれど、それが癖になってしまっている。カイがあんなことを言ったのも、そのせいだろうか。もっと自分に自信を持ち、胸を張っていられるようにならなければいけないと。
ヴィルは胸の前でぎゅっと拳を握った。
「わかりました、堂々とですね!」
「うんうん。もしエーベルのバカが飽きたとか言い出したらあたしを呼んでね。一喝してあげるから」
「ありがとうございます!」
「ちなみにアーディは何かするの?」
「はい。神様の役です」
「神、さま?」
どうやらレノーレもピンと来ないらしい。仏頂面の神様。
でも、一緒にがんばれるのは嬉しい。
この後、ヴィルはレノーレと一緒にテラスで楽しく話した。レノーレの話は楽しい。やっぱりヴィルはこんな風に明るく華やかになりたいなと思うのだった。