〈3〉神様
ディルク先生は黒板の前でくるりと振り返った。心なし顔が引きつっている。
「バーゼルト君、『神様』はどうかな? 終盤に少し出て来るだけだし、セリフは二、三言くらいだから。ね? そうしなよ」
少しだけ、ディルク先生が可哀想になった。それから、ヴィルも主役をがんばるという。ヴィルががんばるのなら、アーディもそれを応援してやりたい。それなら、アーディも苦手ながらにがんばるべきなのではないだろうか。
確かに、二、三言なら負担もそんなにはないだろう。
「こんな仏頂面の神様ってどうなんですか!?」
太いのにそんなことを言われた。神様の顔なんて知らないくせに。もしかすると神様も仏頂面かも知れないじゃないかとアーディは思った。
「……わかりました。それでいいです」
アーディが場の空気に流されて返事をすると、エーベルは嬉しそうに手を叩いた。
「やった! 面白そうだにゃ」
というわけで、配役三人は決まったのである。
ヴィルはアーディが承諾すると思わなかったのか、意外そうに目を瞬かせていた。けれど、ふと微笑んだ。ヴィルの心細さが、もしかすると軽減されたのかも知れない。
後の配役は、王様、王妃様、魔法使いが各一名。侍女、天使、狩人の愛馬と決まって行く。エーベルが乗る愛馬に人気が殺到したのもどうかと思う。その他に、大道具、小道具、幕引き――監督はディルク先生らしい。
「ようし、みんな一丸となってがんばろう!」
ディルク先生が間違いなく一番張りきっていた。ちょっと暑苦しい。
すでにディルク先生は台本を用意してあった。紙束を紐で閉じた簡単なものである。先生はそれを皆に配った。話自体は有名な御伽噺だから、今更読まなくても大体知っている。
ただ、その物語を知っていても、細かなセリフなんかまでは覚えていない。アーディはページをめくり、後ろの方まで飛んで神様の出番を読む。
*神様、天使を引き連れて登場。
神々しくライトを当てる。神様苦悶の表情。
神様『おお、なんと心の清い恋人たちだろうか。
愛する二人が引き裂かれるなど、あってはならぬことだ。
お前たちはこの欲にまみれた地上を捨て、私のそばに来るがよい。
そこで永久の愛を誓いなさい』
「…………」
アーディはとっさに台本を閉じた。
愛、恋――こっぱずかしいワードが短いセリフの中に何度出ていただろうか。普通に生活していたら絶対使わない。こんなセリフは絶対使わないと思うアーディであった。
公衆の面前でこんなことを言わなくちゃいけないのかと愕然とした。けれど、アーディとは比べ物にならないほどに恥ずかしいセリフがてんこ盛りのエーベルは、台本を読んで大爆笑していた。何故その笑いなのかはわからない。
ヴィルはと言うと、ほんのりと頬を染めながら台本に食い入っている。やはり、引き受けたことを後悔しているのではないだろうか。
「これから一か月は放課後に練習と道具の製作だからね」
ディルク先生が上機嫌でそんなことを言った。
練習ということは、このこっぱずかしいセリフを何度も何度も言わなくてはならないということ。アーディは気が遠くなりそうだった。
そこでクラスの女子が挙手をした。
「先生、学園祭は家族を呼べますか?」
ヒュ、とアーディは自分の喉が狭まったのがわかった。
家族。家族を呼ぶと。
このこっぱずかしいセリフを口にする時、父、母、兄がいたとしたら、アーディは絶対に声が出ない。それどころか目を回して舞台で卒倒するかも知れない。それだけは――絶対に嫌だ。
そんなアーディの切実な願いが届いたのかどうかはわからない。ただ、ディルク先生は申し訳なさそうに言うのだった。
「それがね、今年から安全性を考えて、家族の参加は不可になったんだ」
それはもしかすると、アーディのせいだろうか。王族のアーディを預かっている以上、不審者が入り込むのを防ぐためという可能性は高い。
そうですか、としょんぼりした女子には悪いけれど、アーディはほっとしてしまった。
しかし、このセリフを平常心で口にできるようにならなければならない。それはアーディにとっては血の滲むような努力が必要なのであった。
学園祭なんて嫌いだ、とアーディは一人で腐った。