〈2〉キャスティング
エーベルがくっくクスクス笑っている。そんな様子に皆が注目した。
「ボクはどうせなら魔法使いがいいナ」
邪悪な魔法使いだ。いやしかし、劇なら害もないだろうか。
ただ、激しく主役を食いそうである。
「ま、魔法使いと! そんなチョイ役は誰にだってできますよ! エーベルハルト様は狩人かもしくは――っ」
と、取り巻きの細いのが言った。
もしくは――姫と言いたかったのだろうか。多分そうだろう。想像してしまったのか、鼻血を吹いた。アーディはひどく嫌なものを見た気分になった。
深々と嘆息していると、ディルク先生が教卓をぽよんとした仕草で叩いた。あえて鼻血には触れないらしい。
「よし、まずは姫から決めよう。女子でやりたい子はいるかな?」
誰も。誰も手を上げなかった。
エーベルが狩人役になったら皆、手を上げるのだろうか。
先生は困った挙句、次に移った。
「じゃあ、男子。狩人役をやりたい人は?」
誰も手を上げない。
ディルク先生は少し拗ねたようにつぶやく。
「おや、これじゃあ話が進まないね。それだと先生が指名するしかないのかな?」
一定人数が視線を下げた。もちろんアーディもだ。
なのに、ディルク先生はアーディに振る。
「バーゼルト君、興味ないかな?」
「まったく」
即答した。あるわけない。
「こんな地味顔、舞台の上で見たって面白くありませんよ!」
メガネにそんなことを言われた。お前には言われたくない。
「エーベルハルト様を脇役になんてできませんから、狩人役はエーベルハルト様でしょう! それかひ――」
顔を押えたでっかいのの手から吐血したのかと思うような血が漏れた。どうせ鼻血だから心配はしない。
先生はうぅんと唸った。
「でも、シュレーゲル君が狩人役になると、姫は誰にしたらいいんだろうねぇ」
エーベルと見つめ合ったら、女子は卒倒する。つまり、劇が成立しないのだ。かといって、エーベルを姫にしてみたら、似合うかもしれないけれど、狩人役がいない。アーディは卒倒しないけれど、そんな目立つ役は嫌だし、そもそもエーベルと見つめ合ったらきっと殴ってしまう。
――このクラスにその演目は無理なのではないだろうか。
アーディがそう思った時、先生は遠くの席を見据えて言ったのだった。
「ああそうだ。クラス長、お願いできるかな?」
「えっ?」
指名されたヴィルが石のように固まってしまった。そんな彼女の様子に気づかないはずはないのに、先生は続ける。
「クラスのためにお手本となってくれないかな。ほら、やるからにはやっぱりよいものにしたいじゃないか」
エーベルを使っても、ヴィルなら他の女子よりは耐性があるだろう。ただ、ヴィルも上り性なのだ。人前で演技をすることなどできるのだろうか。アーディが心配してそちらを見ていると、案の定ヴィルは焦っていた。
「あ、あの、私は、その……」
あのうるさいエーベルの取り巻きたちも、ヴィルには文句を言わなかった。エーベルはすでにどうでもよさそうである。
アーディはあの真面目なヴィルに負荷がかかると思うと心配だった。主役など、ヴィルにはひどい重荷なのだ。
そうは思うのに、ディルク先生は優しい目をして言った。
「大変だとは思うよ。けれどね、成し遂げた後にはかならず得るものがある。きっと、その達成感は君を成長させてくれるはずだ」
それは確かにそうなのだと思う。苦労の分だけ強くはなれるだろう。
ただ、ヴィルにはそこまで急いで成長しなくてはいけない理由なんてないはずだ。ゆっくり学べばいい。焦って潰れてほしくはない。
ヴィルは瞳をうるりと輝かせ、そうして一度うつむくと、机の上に両手をついた。
「先生、私、やります!」
ええ? とアーディが耳を疑った瞬間だった。
けれど、ヴィルの決意は固いらしい。しっかりと前を見据え、ディルク先生にうなずいてみせた。
「そうか! やってくれるんだね!」
ディルク先生は嬉しそうに黒板にヴィルの名前を書き込んだ。しかし、狩人のところにエーベルの名前を書き込もうとして躊躇した。
「シュレーゲル君、いいかな?」
「うん? ボクは魔法使いがいい」
本気でヴィルが呪われそうなので危ない。
エーベルは席から首をぐるっと回してアーディに向けた。
「アーディは?」
アーディは、と。
「……セリフがないやつがいい」
「馬の脚ですにゃ?」
ピペルが余計なことを言った。
ディルク先生は黒板に書こうとしたけれど、指が滑ってチョークを落とした。きっと父王に知られたらと思うと指が震えるのだろう。
いや、アーディに馬の脚を希望したつもりはない。