〈4〉ルフトケルンの種
寮での生活が始まった。
部屋は狭いけれど一人ずつ分けられていたのがせめてもの救いだった。
贅沢ではないけれど慎ましやかな食事を食堂で摂る。エーベルのテーブルマナーは洗練されているかと見せかけて、割と豪快だった。大口を開けて食べていた。
そんな次の日、いよいよ授業が始まった。
最初の授業は、歴史。この国の歴史を学ぶ。
アーディは読書が嫌いではなかったから、それくらいの知識はすでに持っている。改めて習うほどのことではないと退屈に思えた。
そうして、二限目――魔術学。
魔術学、つまり魔術の使い方を習うのだ。けれど、魔術を使うためには相応の素質が必要になって来るという。努力だけでは埋められない、自身が持つ資質、魔力が必要だと言う。
「えっと、魔術と言っても馴染みのない子が多いんじゃないかな。習うまではそんなものだろう。だからまずは基礎から始めようか」
ディルク先生は優しく言った。
魔術は人々の暮らしを豊かにする。重い荷物を軽くしたり、夜を明るく照らしたり、旱魃を和らげたり。
でも、その仕組みを正しく理解している生徒は新入生の中にほんのひと握りなのかも知れない。
ディルク先生が皆に配ったのは小さな種だった。黒くて丸い、けれど中央に白い星の形が浮き出ている種だ。
「ルフトケルンの種だよ。これに指先を当てて意識を集中すると、その魔力を種が吸収して芽吹くんだ。まずは自分の魔力を引き出す、その練習だ」
最初にディルク先生が教卓に皆を集めて実践してくれた。黒い種子はふわりと光を放つと柔らかな緑の芽を出し、瞬く間に鮮やかな双葉へと成長する。ディルク先生はにこりと笑った。
「じゃあ、みんな席に着いてやってごらん」
アーディは真面目な生徒でいるつもりだ。だから授業も真面目に受ける。
この程度のことなら難なくこなせた。先生よりも硬そうな緑の葉っぱが出た。
自分が終えて周囲を見渡してみると、それでもうんうん唸りながら難儀している生徒も数人いた。ヴィルも可愛らしい顔を困らせて指先で種をつついている。
あまり目を向けたくはないけれど――エーベルはというと。
「先生!!!」
女生徒の悲鳴のような声が上がった。エーベルの席の周りの生徒がザッと逃げたのも無理はない。涼しい顔をしたエーベルの机の上から妙に毒々しい朱色の花がニョロニョロと蔦を伸ばしながら生えて行く。
「……」
アーディは見なかったことにしたかったけれど。
「うわぁ、なんだこれ!」
先生も慌てていた。当のエーベルはケロリとしている。
「言われた通りにした結果です」
先生は顔を引きつらせながら伸びた蔦を刈って収めた。
「シュレーゲル君は面白い魔力の持ち主だね……」
「すみません、優秀すぎて」
と笑って返す。自画自賛。
やはり、関わりたくない人間である。
しかし、容姿の美しさというものは色々な事象において色眼鏡というものを発動させる。
あんな不気味な植物を育て上げるようなエーベルの魔力も、クラスメイトから見ればずば抜けて優秀に見えたのだ。休み時間になってますます皆はエーベルを褒めそやし、エーベルはそれを当然のように受けていた。お前らの目は節穴だとアーディは思った。
ただ、ヴィルは他の連中よりもまともなのかも知れない。エーベルに構わず黙々と上手く行かなかった授業の復習をしている。芽吹かない種を指先で転がす様子に、アーディは柄にもなく世話を焼いてしまう。
「そう指を押しつける必要はない。指先に意識を集中するって言われただろ。ちゃんとそれをイメージしろ」
ヴィルはアーディを見上げて少しだけ情けない顔をすると、それでもルフトケルンの種に向き合った。
むむむ、と難しい顔で集中し続ける。しばらくして、ようやく小さな芽が出た。それは細く頼りない芽で、双葉になる前に止まってしまった。ヴィルは魔術の才能はないのかも知れない。けれど、そればかりが世の中のすべてではない。
苦手だという意識が最初からあったのか、ヴィルは細い新芽でも芽吹いたことにパッと顔を輝かせた。
「よかったな」
アーディが仏頂面で言うと、ヴィルは銀色の髪を揺らして微笑んだ。
「ありがとう」
高めの声で礼儀正しく礼を言う。やっぱり、エーベルなんかよりよほどまともだ。
エーベルはというと、気づけばクラスに君臨している。恐ろしいヤツだ。
「アーディ、アーディ、学校って面白いなぁ」
知るか、とアーディは心でつぶやいた。