〈3〉うわの空?
常春の学園。
その昼休み明けの授業と来たら、眠たいのも仕方がない。とはいえ、そこで眠ってはいけない、とアーディは真顔の下で懸命に睡魔と闘っていた。普段から表情に起伏と呼べるものが乏しいため、水面下でそんな苦労があるとは気づかれにくい。
眠たいけれど、ここで寝てしまって、そんな報告が父や兄のところに行くと思うと絶対に寝たくないのである。変な意地がアーディの意識を食い止めている。
とは言え、故意に瞬きをしないアーディの目は死んだ魚のようになっていた。
ちなみに、自称天才美少年エーベルはというと、案外普通に起きている。彼はあまり寝ない。眠っていれば静かでいいと思うのに、寝ない。
子供と同じ、興味深いことがたくさんあって寝るのが惜しいのだろう。
ただ、エーベルの興味の先は歴史の授業の内容ではなく、学園長の次に高齢のセルギウス先生が口癖である『なのでー』を、ひとつの授業で何回言うかをカウントして遊んでいるというのが妥当なところだ。それでも成績は常にトップなのだが。
――眠るといえば、そのエーベルの使い魔ピペルだ。昼休みにヴィルが眠りこけているピペルと宿題の用紙を抱えて戻って来た。いくら麗らかな気温だとは言え、中庭で腹を出して寝ているのはどうかと思う。通りかかったヴィルがついでに拾って来てくれたのだ。
眠っているからよかったようなものの、起きている時に抱き上げようものなら余計なところを触るようなヨコシマな猫モドキである。寝ていてよかったのかも知れない。というか、拾わなくてもよかったと思う。
ただ、たったそれだけのことなのだけれど、その時、気になることがふたつあった。
ひとつはピペルを受け取ったエーベルの反応である。
ぐーすか寝ているピペルを、普段ならば揺すって揺すって振り回しただろう。それが、妙なことに、真面目くさった表情でピペルを受け取ると、そのふさっとした毛に鼻を押し当てるようにして顔をうずめていた。んー、とかあー、とか、時々唸ってもいる。
ただ、それもしばらくして飽きたのか、最終的にはやっぱり揺すって揺すった。ピペルは何しやがるコンチクショウという目つきをして目を覚ました。が、至近距離でエーベルが、
「ヨク寝ていたナ?」
と笑顔を向けたせいで、目にいっぱい涙を溜めて土下座していた。
あいつも大変だな、とアーディは少しだけ思った。
まあそれはいいとして、もっと気になったのはヴィルだ。
何か表情がぎこちない。エーベルがピペルを振り回しても、心ここにあらずだった。いつもならば可哀想だと少しくらいは止めてくれただろう。
職員室で先生に何かを言われたのだろうか。放課後にでも話を聴いてやれたらと、アーディはそれなりに心配した。
ヴィルは真面目すぎる。なんでもすぐに背負い込む。自分で力が抜けないから、時には気にかけておかないと潰れてしまうのではないかと心配になるのだ。
他人を心配する日が来たというのも、学園に来てからのことだ。城に閉じこもっていた時には皆からかしずかれるばかりで、こういう心の動きはなかったような気がする。家族のことくらいは心配もしたけれど、父も兄も母もアーディが心配せずとも優秀で、むしろ協調性のないアーディが心配される側であったのだ。
ひたすらに眠たい授業が終わった後、アーディはぼうっとしているヴィルの机まで近づいた。
「ヴィル」
名前を呼ぶと、ヴィルはびくりと小動物のように怯えた動きをした。思わず小首をかしげたアーディに、ヴィルは遅れて愛想笑いを返した。
「あ、うん、どうしたの?」
やっぱり様子がおかしいと感じた。だから率直に訊ねた。
「そっちこそ、どうかしたのか?」
「え?」
「ぼうっとして、何か心配事があるんじゃないのか?」
アーディがそう問うと、ヴィルは目を大きく見開いて、それから瞬かせた。心配事……と、小さくつぶやく。それから短い銀髪を揺らして首を振ってみせた。
「ううん、そんな大げさなことじゃないの。でも、心配してくれてありがとう」
にこ、とはにかんだように笑う。その様子に、アーディも自分が過保護になっているのかとも思った。
そうしていると、アーディの背後からエーベルが突進して来る。手加減のないタックルにアーディがグッと鈍い声を漏らしてもエーベルは楽しげにはしゃいでいた。
「アーディ、アーディ! セルじいちゃん、四十五回だったゾ!」
「え? え?」
と、ヴィルが困惑するも、アーディにはその数字が何を指すのかがわかってしまう辺りが悲しい。イヤイヤながらに順応している自分が悲しい。
「ふぃにゃははぁ。春は眠たいですにゃー」
ピペルはのどの奥底まで見えるような大あくびをしていた。そのピペルを見るヴィルの目つきが途端に心配そうになる。なんだろう、これは。
すっきりしない、けれどその正体がまるでわからないアーディだった。