〈2〉内緒
青年の顔立ちは整い、茶系の明るい色合いの瞳はとても綺麗だった。
ただ、あのエーベルと毎日顔を合わせているヴィルにとっては彼も特別と言うほどではない。美形に嫌な耐性がついていた。
「うん? 君は一年生か。低級魔族とはいえ危ないから下がっていなさい」
あっさりとそんなことを言われた。しかし、ここで下がったらピペルが危ない。
ピペルは大きな目にぶわっと涙を浮かべた。
「ヴィルしゃん! 助けて下さいにゃー!」
肉球を草の上にぽよんぽよんと打ちつけて助けを求めるピペルを放っておけるはずがなかった。ヴィルは宿題の用紙のことも忘れて懸命に声を張り上げた。
「あの! その子はピペルといって、わたしのクラスメイトの使い魔なんです。悪い魔族じゃありませんし、学園長の許可も下りているんです。どうか放してあげて下さい」
すると、青年は小首をかしげた。膝はどけてくれない。
「クラスメイトの使い魔? 学園リーダーには使い魔が支給されるとは聞いたけれど、こんな低級魔族を優秀な生徒の使い魔にとは考え難いな」
「あ、いえ、学園リーダーの使い魔ではないのですが、詳しくは学園長にお聞きした方が早いと思います。その、そろそろ足をどけてあげてくれませんか? とっても苦しそうです」
ヴィルが勇気を出してそう意見すると、彼はピペルをじっと見下ろして、そうしてやっと足をどけてくれた。その途端、ピペルはうわぁん、と泣きながらヴィル目がけて飛び込んで来た。とっさにヴィルがピペルを受け止めると、よほど怖かったのかピペルはヴィルの胸に鼻面を押しつけてスリスリと動いた。それが少しこそばゆい。
けれど、ヴィルもほっとした。ピペルを胸に抱きながら青年にお辞儀をする。
「ありがとうございます。えっと、初めてお会いしましたが、あなたは先生ですか?」
一年生のヴィルは入学してまだ間もないのだ。先生のすべてを知っているわけではない。だから思いきって訊ねてみた。すると、青年はにこりと笑った。ただ、なんんとなく眼鏡の奥の瞳は笑っていない。
「正確には実習生だ。君は一年生みたいだからあまり関わることもないと思うけれど、よければ少し話を聞かせてもらえるかな?」
「話、ですか? ええと、でももうすぐ授業が始まってしまいます」
そう言ったところで、ヴィルは宿題の用紙をぶちまけてしまったことに気づいた。ピペルを抱えながら足もとの紙を拾い出すと、青年もまた拾うのを手伝ってくれた。ただ、数枚を手に取った時、面倒になったのか、優雅な仕草で指先で魔法陣を描き出し、事も無げに薄青い光を放つ魔術を展開させた。つむじ風が飛び散った用紙を絡め取り、きっちりとそろえて青年の手もとに集まる。
「さあ、どうぞ」
柔らかく青年は微笑んでヴィルに紙の束を差し出す。ヴィルはそれを戸惑いつつも受け取った。
「あ、ありがとうございます」
青年は軽くうなずいた。
「そうだね、授業が始まってしまう。じゃあ、放課後、もう一度ここに来てくれないかな? ただ、一人の生徒に肩入れしていると思われるのは立場上困るから、私と会うことは内緒にしておいてほしいな」
「え?」
すると、大人しく胸に顔を埋めていたピペルが噛みつかんばかりの形相で言うのだった。
「ヴィルしゃん! 駄目ですにゃー! コイツ、危ないですにゃー!!」
踏まれた恨みは深いとみえる。
ただ、それがなくとも、少し近寄りがたい雰囲気の青年ではある。きっと、身分が高いのではないだろうか。この学園の生徒も教員も、そうした由緒正しい家柄の者が多いのだ。ヴィル自身、貴族令嬢ではある。エーベルはともかく、アーディも先輩のレノーレも貴族だ。
青年はすぅっと目を細めると、またしても指先で魔法陣を描き、それをピペルに向けて放った。魔術の苦手なヴィルにはあの魔法陣がなんであるのかは判別できなかった。術式が複雑だ。
ピペルは――白目を剥いていた。
「ああ! ピペル!!」
がっくりと気を失ったピペルを揺すっていると、青年は楽しげな声音で言った。
「いや、ちょっと記憶を操作させてもらったよ。ほら、飼い主に告げ口されても困るから。立場上」
にこ、と笑う青年は、ヴィルが申し出を断ることを笑顔で拒否している。笑っているのに怖い。
「と、友達と来てもいいですか?」
せめてアーディが一緒に来てくれたなら心強い。そうは思うのに、青年はかぶりを振った。
「駄目だよ。一人でおいで」
実習生とはいうけれど、先生には向いていない。威圧的で有無を言わせない何かがある。
彼と行き会ってしまったことはヴィルにとって幸か不幸か、果たしてどちらなのだろうか――。