〈11〉エサ
水を滴らせ、金髪から落ちる雫が陽光に煌く。それはまるでアクセサリーのようにエーベルを彩った。
もう魔術合戦は終了したのか、バシャバシャと水を掻き分けアーディのそばへやって来る。フィデリオは、じゃあ、と言ってそそくさと去った。
エーベルはフィデリオに目もくれず、無邪気な笑顔をアーディに向けた。
「アーディ! アーディ! これでボクたちの友情は深まったかにゃ?」
とんでもないことを言われた。
「……」
アーディはエーベルに向けてスッと手を差し出す。間違っても喧嘩後の仲直りの握手、などという青春の一幕ではない。その両手は拳となってエーベルの小作りな頭を挟み込んで締め上げた。強大な魔力を持つエーベルだが、腕力は至って並である。アーディの腕を振り払うこともできなかった。
「あだだだだだ」
「お前は加減というものを学べ!」
加減んん? とエーベルは涙を浮かべながらぼやく。
「してたにゃん」
してたのか。アーディは愕然とした。
いや、そういう問題ではない。
「してたとしても、全然足りてない」
アーディがブツブツと説教しつつ手を放すと、エーベルはにゃは、と笑っていた。
「そうかなぁ? アーディにはあれくらいじゃないと! 久々にボクも楽しめたのダ!」
チッ、とアーディが舌打ちしてもエーベルは楽しげだ。
「ダッテサ、アーディ以外でボクとやり合えるのなんて先生くらいだよ? 先生じゃ友達にはなれないモン。だからアーディじゃなきゃ」
「……フィデリオも優秀だぞ」
先が思い遣られるので矛先を分散させようかとアーディはつぶやいてみた。
すると、エーベルは、はうん? と変な声を上げて首をかしげた。
「フィデリオ……ああ、さっきのデコッパチな」
「デコ……」
「ヤだね。ボクはアーディがいいんだから」
水を滴らせ、エーベルは人懐っこく笑う。この笑顔を向けられた相手は倒れるかも知れないな、と思うような破壊力のある不意打ちの笑顔だった。
ただ、湖のほとりからやや低音の声がする。
「愛の告白かっての」
不機嫌そうにほとりで寝そべったレノーレがいた。ほとりから垂らした手でパシャパシャと水に触れる。
「なんだいたのか。存在が空気だゾ」
余計なことを言ったエーベルは、レノーレに顔面に水を盛大にかけられていた。エーベルがゴホゴホむせたのでレノーレは気が済んだようだ。
「ところで、課題は無事にこなせたの?」
先ほどエーベルに向けた鬼の形相はどこへやら。レノーレは涼しい顔をしてそんなことを言った。
「はい、なんとか」
そう、ヴィルが答える。今更だが、あの中でほったらかしにしてしまったことをアーディは申し訳なく思った。
「そう。よかったわね。あたしも課題は終わらせたところ。どっかのバカのおかげで精霊が呼びづらい環境になっちゃってて大変だったわ」
バカという単語に自分を重ねなかったのだろう。エーベルは聞き流していた。
そうしていると、ディルク先生がいつの間にかレノーレの背後にいた。童顔をプリプリと怒らせている。迫力は――先生の名誉のために皆無ではなかったと言ってやりたい。
「まったくもう! シュレーゲル君もバーゼルト君も、授業で習ってないような大技で遣り合うのは駄目だよ。他の生徒が巻き添えになってるじゃないか」
「にゃは。みんないい経験ができたんじゃないかなって思います」
悪びれもせず、エーベルはそう言い放った。
先生にたしなめられ、素直に反省したアーディには考えられない言い分である。
「え? ええ??」
先生が丸め込まれる前に、アーディはエーベルの頭を水面スレスレまで押しつけ、自分もペコリと頭を下げた。
「やりすぎました。すいません」
アーディに頭を下げさせたとなると、ディルク先生も困惑した。立場上、注意しないわけにもいかないので言いに来たのだろう。
「あ、うん、気をつけようね」
エーベルが抵抗してうにゃうにゃうるさいので、アーディはそのままエーベルの顔を水に押しつけた。
ぶぶぶ、と泡を吐きながらもがくエーベルから手を放すと、顔を上げたエーベルは不機嫌そうに膨らんだ。
「そういえばピペルはどこダ? 主のピンチにいないなんてケシカランな」
どこにピンチがあったのかは知らない。そして、思い出すのが遅い。
アーディは見当たらないピペルが女生徒に痴漢行為をしていないかだけが気がかりだった。
キョロキョロとピペルを探してみるけれど、見当たらない。どこかに潜んでいるのか。
そんな時、レノーレがポツリと言った。
「せっかく来たんだし、帰る前に少しだけ泳ごうかしら」
「勝手にシロ」
興味なさげにエーベルは言う。レノーレもエーベルには言っていないとばかりに睨んだ。
そこからアーディに向けて嫣然と微笑む。
「ねえ、アーディ、どうしよう? あたしの水着姿見てみたい?」
冗談めかしてそんなことを言う。アーディはなるほどと思ってうなずいた。
「見たい」
エーベルとヴィルから同時にええ!! っと声が上がった。当のレノーレも少し驚いた様子だったけれど、気を取り直してクスリと笑った。
「アーディがそう言うなら――」
と、レノーレは体操服のジッパーをためらいなく下げた。白いワンピースの水着を着たふくよかな胸もとがあらわになる。そうして、その途端にやはりやって来たのだ。黒い塊が。
「レ、レノしゃん!!」
湖底から沸いて出た。意外すぎる登場に一瞬驚きを隠せなかったけれど、アーディはすぐさまピペルを捕獲した。水を含んでいて重たい。
「おい、エーベル、パス」
エーベルにピペルを押しつけると、エーベルはニヤリと笑った。
「オヤオヤ、これは脱水しないとナァ」
ぴぎゃーという悲鳴が湖にこだました。