〈7〉温度差
その翌日、エーベルは朝からご機嫌だった。
使い魔を使役していいか許可を仰ぐから、校長室で一度呼んでいいとディルク先生に言われたのだろう。アーディはそれをすでに知っていたけれど、何故知っているのかという説明が面倒なので黙っている。
エーベルはニコニコと笑顔を振り撒き――振り撒くだけならばよかったのだが、その美貌の下からぐひゃひゃはと不気味な笑い声を漏らしていた。
皆はどうやってあの声を遮断しているのだろう。うっとりとエーベルの笑顔を眺めている。
誰かその秘訣を教えてはくれないものだろうか、とアーディは思わず遠い目をしてしまった。
機嫌のいいエーベルは、今日もいい天気ですね! と他愛のない会話を試みる信奉者たちに珍しく返事をして構っていた。エーベルに笑顔を向けられた彼らの目に涙が浮かんでいるのも、アーディには薄ら寒い。
そしてエーベルは授業中も笑顔を絶やさなかった。無駄に笑顔だったが、授業を聞いていたかは怪しい。ただ、聞いてなかったとしてもテストでは平然と満点が取れるのだから先生も複雑だろう。
「……エーベル君、ご機嫌だね。使い魔のことかな?」
と、休み時間にヴィルがぽそりと言った。アーディは嘆息する。
「多分な」
そんな会話をする二人に、エーベルがスキップしながら近づいて来た。
「アーディ、アーディ!」
ヴィルが押しのけられて転びそうになったので、アーディはすかさず手を伸ばしてヴィルの転倒を防いだ。そして、エーベルの脳天に遠慮なくチョップする。
「落ち着け」
ざわ、と教室が揺れた。
けれど、エーベルはにゃひひと笑っている。何気に打たれ強い。
「天才美少年にこういうことするの、アーディだけだよ? だから好き」
「好かんでいい」
「またまたー」
「……」
二人の温度差をヴィルがオロオロと見守っている。逃げ遅れたとも言う。
アーディはもう一度嘆息した。
「で、何が言いたかったんだ?」
そう水を向けると、エーベルはやっと思い出したように手を打った。
「あ、そうそう。学園チョーが放課後に使い魔の検分をするから来いって」
「ようするに、まだ使役の許可が下りたわけじゃないだろ? ちょっと浮かれすぎだな」
はっきりそう言ってやると、エーベルはうぇえ? と変な声を出した。
「何言ってんのサ? ピペルをひと目見たら誰でも気に入るにょん」
いちいち腹を立てても仕方ないけれど、腹の立つヤツである。
けれど、エーベルをまるで褒めないレノーレもピペルは可愛い黒猫だと言っていた。まったく根拠がないわけでもないのだろう。
こうして浮かれている分にはフィデリオにちょっかいをかけることもない。ならそれでいいかと、アーディはそんな風に考えることにした。
「というわけだから放課後付き合ってよ」
エーベルにそう言われ、アーディは一瞬考えてから、まあいいだろうとうなずいた。少しだけどんな使い魔なのか気にならないでもない。
わーい、と素直に喜ぶエーベル。ヴィルも気になる様子だった。
「私も行っていい?」
恐る恐る言った。ヴィルなりに勇気を振り絞っただろうに、エーベルはすでに聞いてない。しょんぼりとしたヴィルだった。
☆
その後は授業内容よりも放課後のことが気になった。それはアーディだけではなく、ヴィルも同じのようでそわそわしていた。エーベルは終始ニコニコとしていた。やはり、授業を聞いていたかどうかはよくわからない。
最後の授業が終わって起立、礼をした瞬間に、エーベルは瞬間移動かと思うような速度でアーディの隣に立った。
「さあさあさあ、行くぞー」
ぐいぐいとアーディの腕を引っ張る。アーディはそれに抵抗しながら机の上のものをなんとか片づけた。そうして、エーベルに引っ張られながら去る途中にヴィルに声をかけた。
「おい、行くぞ」
「え?」
教科書をしまっていたヴィルはびっくりして振り返った。その顔に、アーディは淡々と言う。
「行かないのか?」
「い、行く!」
エーベルはヴィルが来ても来なくてもどうでもいいらしい。特に来るなとは言わなかった。