〈12〉穏やかな日
その頃、イグナーツ王国の王城にて。
「ジーク、フィロメーラに渡したアーディに宛てた手紙はなんだったの? あんな渡し方をしたら、多分怒るわよ?」
呆れたように言う母に、王太子ジークヴァルトは優雅な微笑みを浮かべたが、それもすぐに綻ぶ。生来悪戯好きなところがあり、それが時折滲み出る。
「あはは、ちょっとした嫌がらせです。アーディなら、フィロがいても自発的に挨拶ひとつしないでしょうから。書いた文面はなんだったかな……? 庭の花が咲いたとか、忘れてしまうほどどうでもいいことでしたね」
「あの子とフィロメーラの婚約の件が持ち上がってる、それについては書いてないの?」
ジークヴァルトもまだ婚約はしていないが、それは相手を吟味しているからであって、まあ近いうちに決めるつもりではある。
「書いてありませんよ。アーディはどうせ承諾しませんから」
「あら、どうしてそう思うの?」
母にとっては、アーディはまだまだ赤ん坊と変わりないのだろう。
いつまでも、仏頂面でハイハイしていた時から成長していないはずもない。あの可愛げのない赤ん坊の頃を思い出して思わず噴き出してしまった。
「青春真っただ中ですよ。彼女の一人くらいできたんじゃないですか?」
「まっさかぁ。あのアーディが」
后にあるまじき軽さで否定されたが、ジークはあながち可能性はなくもないと考えている。
「卒業したらきっと誰か連れてきますよ。賭けますか?」
それが『あの子』であればよいな、と思う。
☆
「アーディ、ごめんね! うちの弟がすっごく迷惑をかけたみたい」
翌朝。
レノーレがルッツの首を小脇に抱えながら、校舎へ向かうアーディのところにやってきた。ちなみにエーベルは寝坊しているらしく、まだいない。
ルッツは息をしていないように見えたが、レノーレはアーディの前に引きずってきた後にやっと弟を解放した。
「いや、別に……」
一番迷惑をかけたのは多分エーベルだし、その次はフィデリオの鳥だし、ルッツは大したことない。
「落とし物を拾ってもらっただけだから」
「あら、そうなの?」
と、レノーレは意外そうに言った。それから、ため息をつく。
「ヘタレな弟を持つ姉の苦労から解放されたのは二年間だけだったの。バカな幼馴染から解放されたのはたった一年だったし。あたし可哀想」
確かにそれは可哀想かもしれない。
アーディは少しレノーレを気の毒に思った。
しかしこの時、ルッツが怯えた様子で辺りを見回した。校舎へ向かう生徒がチラホラいるだけである。
「噂をすれば影って言うじゃないか! 噂しないでよ、姉さん!」
ルッツのノミの心臓にエーベルの存在は耐えられないのだった。今にもエーベルが飛んでこないかと怯えている。
「あいつなら寝てる。多分、ギリギリまで」
「ヤダ、ピペルが大変……」
まったくだ。
それでも、ルッツは身震いしていた。
「で、でも、彼の家、今は無人のはずなのに、いたんだ」
「え?」
「学校にいるし、使い魔だってここにいるのに、家に誰かいた」
「あんた、あの辺りには近づかないようにしていたんじゃないの?」
「いないってわかってたから、このところはそうでもなくて。そしたら、通りかかった時、誰かいたんだよぅ。瞬間移動とか身につけたんじゃないかなっ?」
いくらエーベルでも、さすがにそれはないだろう。
そうなると、考えられる可能性は限られてくる。
「エーベルの母親とか?」
確か放浪癖があると聞くが。
ついでに言うと、後片づけもできない。つまり、エーベルにそっくりな、そんな母親。
「もしくは、幽霊?」
レノーレが言ったひと言が、弟には衝撃的だったらしい。ヒィッと悲鳴を上げて青ざめた。
「冗談に決まってるでしょ」
「朝っぱらからそんな冗談言わないでよ!」
「夜に言った方があんた、眠れなくなるじゃない」
「うぅっ」
ルッツは今晩眠れないのだろうか。案外普通に忘れて寝ていそうな気もするが。
「まったく。あんたはいつまで経っても成長しないんだから」
呆れたように言うレノーレだったが、残念ながらアーディにはこれからも彼は変わらないように見えた。
レノーレとルッツと別れ、二年生の校舎へ向かうとヴィルが歩いてきた。
「おはよう」
何気なく声をかけると、ヴィルは妙に緊張した様子を見せた。
「……おはよう」
「どうした?」
なんとなく様子がおかしいような気がしたけれど、ヴィルはただじっとアーディを見上げている。
かと思うと、ポツリと言った。
「昨日の手紙、見つかった?」
「見つかったけど、ぐしゃぐしゃになって読めなかった。もう一回送ってもらえるように頼むつもりだ」
「えっ? 一年生の子にっ?」
「違う。あれは家族からの手紙だ」
それを言ったら、ヴィルは大きな目を瞬かせ、妙に深い息を吐き出した。
「家族からだったの?」
「そうだけど?」
「一年生の子は?」
「あれは手紙とは関係ない」
アーディが言いきると、ヴィルは苦笑した。
何故か、いつまでも笑っていた。
「またイステル君たちが勝手に騒いだのね」
「そういうことだ」
ヴィルと並んで教室へ向かった。
アーディが入学してからというもの、当人の望みとは裏腹に騒がしい人々と関わり合ってしまっている。またしてもそれが広がったような気はすれるけれど、ヴィルといると穏やかな気分になれた。
ヴィルとは知り合えてよかったなと思っている。
「だーかーらー! 起こしましたですにゃんっ!」
「いつ?」
「ずっと! 起こしてましたですにゃんっ!」
「ずっとって、いつからイツ?」
「くっそ、この@*:ー/^¥p――!」
教室で席に着くと、遠くからピペルの悲鳴が聞こえた。
これがアーディにとってのなんの変哲もない日常である。
そう割り切ってしまうようになったのがちょっと嫌だったりするけれど。
【 11章End *To be continued* 】
後日。
『兄上へ
先日もらった手紙を読む前に駄目にしてしまった。
申し訳ないが、もう一度書いて送ってほしい。 アーディより』
ジーク「…………」
『アーディへ
学園で過ごす弟へ精一杯の慰めと励ましを、それこそ心を込めて書いたのだけれど、残念だ。
同じものは二度と書けないから、気にしないで勉学に励んでくれ。 兄より』
ジーク「くだらない手紙への苦情かと思ったら、なんだ、読めなかったのか。丁度よかったな(ハハハ)」
ヴィル「あれ? アーディどうしたの? なんかしょんぼりしてない?」
アーディ「いや、ちょっと罪悪感が……」