〈1〉慣れ
2章(全12話)です。
お付き合い頂けると幸いです。
ここはイグナーツ王国の誇る最大の学園アンスール。
全寮制であり、良家の子女が多く集っている。魔術から教養まで幅広い分野を教え、国の中枢を担う要人を育て上げるのだ。
今年の新入生が入学してようやくひと月が過ぎた。
協調性がないとされるアーディ=バーゼルトもほんの少し学園生活に慣れたような気がした。平凡な顔立ちに中肉中背の体格、特に目立ったところのない外見をした彼は、本名をアーデルベルト=ゼーレ=イグナーツといい、これでもこの国の第二王子である。顔は地味だが、それでも血統は確かなのだ。
ただし、その身分は隠して学園に通っていた。何故かというと、面倒だからのひと言に尽きる。
目立ちたいとも思わないし、普通に卒業できればいい。本来、学園に通う必要などない英才教育を受けていたアーディは、売り言葉に買い言葉で学園に通うことを決めた。つまり、両親と兄に卒業したという事実だけを突きつけられれば満足なのである。
平々凡々な外見とは裏腹に、幼少期から仕込まれた能力の高さはある。けれどそれを表に出すつもりもなく、テストですらわざと空白を作って順位を落とす始末だった。
ただ、アーディがそんなことをしなくても、文句のつけようのない成績で首位に立った人物がいたのだが。
エーベルハルト=シュレーゲル。
癖のない金髪をひとつに束ねた美しい少年である。細身のその立ち姿には気品すら漂う。
ただし――。
性格は壊滅的と言えた。
天は彼に容姿と才能という二物を与えた。そして、そのふたつを持ってしても補えない性格をつけ加えた。プラマイゼロどころか激しくマイナスである。
アーディはそう思うのに、学園の生徒たちはエーベルを崇め奉る。美しく才能溢れる王子だ、と。
美しく才能溢れたら性格は二の次でいいらしい。アーディにはそのところがまるで理解できない。なのに、当のエーベルはやたらとアーディに懐き、友達だと言ってはつきまとう。そうしてアーディはいろんな人間からやっかまれるのであった。
アーディの不穏な学園生活はほぼエーベルのせいである。
「アーディ、おはよう」
涼やかな、それでいて可愛らしい声が教室の席に座るアーディにかけられた。
ヴィルフリーデ=グリュンタール――ヴィルという愛称で呼ばれる彼女は魔術学が苦手で、アーディがなんとなく手を差し伸べたことから他の生徒よりは少しだけ親しくなった。ショートカットに細い体つき。しばらくの間、アーディは彼女を男子生徒だと思って接していた。今思い起こしても申し訳ない。
にこりと笑うヴィルは中性的で、美少女というよりは美少年と言いたくなるような容姿だった。
「おはよう」
あまり愛想はよくないアーディは笑顔に真顔で返す。機嫌が悪いわけではない、これが常なのだ。ヴィルもその辺りはすでにわかってくれているようで、何か怒っているのかも知れないなどという邪推はしないでいてくれる。
ヴィルは魔術学は苦手だけれど、それ以外の成績はよく、テストの総合点も割と上位ではあった。アーディは三番。次のテストでは手心を加えなくてもエーベルがいれば目立たないかと思う。
「おはようございます、エーベルハルト様!」
――来た。
大抵周囲が騒ぐから、エーベルが来るとすぐにわかる。フンフフーン、と鼻歌まじりにやって来たエーベルは、丁寧に挨拶してくれたクラスメイトのことは目にも入っていないらしく、華麗に素通りした。そうして、いつも通りにパッと顔を輝かせてアーディの方へ駆け寄って来る。
「アーディ、おっはよー」
アーディは顔をしかめた。ヴィルがハラハラとそばで見守る。毎日がこうして始まる。
「朝からうるさい」
ぴしゃりと言い放つと、エーベルはうにゃあと間の抜けた声を出した。
「朝から照れ屋さんだねぇ」
「意味がわからん」
「てはははは」
「……」
毎日、実のない会話である。あしらうのにも随分慣れた。
このエーベル、外見は御伽噺の王子かも知れない。けれど、その実態は――世界征服を企んだ悪の大魔術師フェルディナント=ツヴィーベルの子孫である。ちなみにその事実を知るのは、生徒の中ではアーディとヴィル、それから二年生のレノーレ=ティファートの三人だけである。
エーベルはその血筋を隠すどころか誇っている節があり、そのうち学園中に広まるかも知れない。けれど、どれだけの人間が信じるのかなという気はする。
噂はひとり歩きして、エーベルが王子だと思い込んでいる生徒の多いこと多いこと。
本物の王子は、そんなエーベルの従者として相応しくないと陰口を叩かれる始末である。
世の中は理不尽。それを知ったアーディであった。