〈9〉実技
進級試験は、国語、数学、歴史、魔術学の一般教科の筆記。
そして、一番重要な魔術学のみ実技試験も行われるという。
普段の試験は筆記が主だ。事実、入学できた時点で最低限度の魔力はあるわけで、筆記で術式を理解できているかどうかがわかれば問題ないという判断だろう。
筆記がものすごくよいのに実技ができないから落第ということはまずない気がする。
だから、実技はおまけのようなものではないだろうかとアーディは思う。
むしろエーベルのような問題児が調子に乗ってやり過ぎる方がいけない。
そういえば、ヴィルは実技が苦手なタイプだった。魔力が少し低いのもコンプレックスらしい。
しかし、あの取り巻き連中よりはずっとマトモに使えるのだから問題ない。
「グラスの再形成か」
と、アーディは寮の部屋で一人、試験内容を読み上げてみた。
一人ずつ、試験官の教員が割ったグラスを魔術で元通りにするというもの。グラスくらいの大きさならそれほど苦労はしない。
多分、大丈夫だろう。
――大丈夫だと思うのだが、ヴィルは不安なのかもしれない。
昼食を一緒に取ると、水の入ったグラスをじっと見つめていた。わかりやすい。
「実技試験な」
声をかけると、ヴィルはグラスを落としそうなほどびっくりしていた。
「あ、うん! 実技。グラスの再形成」
すると、エーベルはピペルの背中の毛を指で掻き分けて『ピッピ』とよくわからない文字を刻みながら言う。
「グラス、元通りにしたんじゃ意味ナイし。より良く直してナンボだにゃ」
「違う。元通りにしないと駄目だ。変な工夫をしたら減点って書いてあったぞ」
「え、つまんな」
ピペルはエーベルに遊ばれた背中をせっせと足で撫でつけている。
「実技試験を落としてもエーベル様はどうせ落第しないのですにゃ。好きにしたらいいのですにゃ」
投げやりな発言の後に小さく『こんちくしょう』と毒づいたのをアーディは聞いた。
エーベルが学園に通わなくなったら、一番苦労するのはピペルなのだが。
「えー。つまんないケド、仕方ないなぁ。グラスは元通りにする代わりに、ピペルのデザイン変えようかナ」
あは、と笑っている。絶対、こんちくしょうが聞こえたのだ。
ヒッと飛び上ったピペルは、唯一庇ってくれそうなヴィルの方へ行こうとして失敗した。ピペルの黒い翼がヴィルの手を叩いてしまい、ヴィルは手にしていたグラスを床に落としてしまった。幸い、水はほとんど入っていなかったのだが、グラスが割れた。
「あ……」
「割れた。さあ、直せ」
エーベルが急に振ったから、ヴィルが戸惑っている。
「え、あ、うん。ええと、まずは欠片を……」
グラスの欠片を拾い集めてテーブルの上に置くと、ヴィルはブツブツと独り言をつぶやきながらうつむいた。
「――」
ヴィルの指先が光り、グラスは再び形になっていくのだが――。
出来上がったグラスを前に、エーベルは半眼になった。かと思うと、
「えい!」
指先でピンッとグラスを弾いた。その途端、グラスにひびが入った。
エーベルの指が強いのではない。グラスの繋ぎ目が十分でないからだ。
「遊んでるナ、ちびっ子」
「あ、遊んでないよ!」
「これで遊んでないなら、オマエも特訓が必要じゃないノカ?」
エーベルの指摘にヴィルがショックを受けた。
しかし、確かにこの強度では減点対象だろう。こう言っては悪いが、アーディももう少しできると思っていた。
今の段階で発覚したのは不幸中の幸いだろう。
「まだ一週間あるし、ヴィルならすぐ修正できる」
アーディはフォローしたのに、ヴィルは心底困り果てたようだった。
「でも、イステル君たちの勉強も見ないと」
「あんなにつき合ったんだから、もういいだろ? ヴィルだってそろそろ自分のことを考えないと」
今の術式に問題はなかった。何がいけないのかというと、恐る恐るやるから力が抜けてしまうのかもしれない。
何度か練習すればコツをつかめるとは思う。そのためには、あの連中につき合っている時間は惜しい。
「でも、力になるって約束したのは私だもん」
もどかしい責任感を発揮する。放っておけばいいのに。
エーベルは、ピペルの新デザインを考え始めたのか、ピペルを逆さ吊りにして撫で回していたが、ふいに会話に戻ってきた。
「そんなモノは一瞬でできるようにボクがコツを教えてやる! こうだ、コウ!」
エーベルほど教え方の下手な人間はいないのだが、説明を聞き流し、目で見る分にはいい手本になる。ヴィルは食い入るようにエーベルの手元を見ていた。
「う、うん。ごめん、もう一回……」
「こう、コウ!」
一年経って、エーベルが少しくらいはヴィルにも親切になった気がしないでもない。
そんなやり取りをしていると、解放されたピペルが、助けなかったアーディを恨んで呪いのひと言を投げつけてきた。
「ヴィルしゃんがお忙しいのなら、アーディしゃんがあのれんちゅ――あのヒトたちに勉強を教えたらいいのですにゃん! アーディしゃんなら余裕ですにゃん!」
余裕ぶっこいているアーディに押しつけたらいいのだと。
この時、ヴィルが顔をアーディの方に向けた。マズいと、アーディは感じた。
「私、実技はとても人に教えられるレベルじゃないみたい。もし、アーディが実技だけでも見てくれるならお願いしたいけど……迷惑なのもわかってる。アーディにだって自分の勉強があるから」
それに、アーディがあの連中とは仲が良くないのもわかっている。とても無理強いはできないのだ。
とても嫌だけれど、ヴィルの心配事を減らしてやりたい気持ちもある。
ここまでヴィルが頑張ったのに、あいつらが結果を出せなかったらヴィルは自分のせいだと落ち込むのだから。
渋々、アーディはうなずいた。
「わかった。少しなら……」
「いいの?」
「うん」
「ありがとう!」
結局のところ、この笑顔が見たかっただけかもしれない。
「その代わり、ヴィルの方はできるようになるまでエーベルがちゃんと教えろよ」
「にゃはは。天才のボクはセンセイには向かないのダ」
「知ってるけど、なんとかしろ」
「わぁ」
というわけで、アーディが先生になり、ヴィルは生徒に逆戻りした。