〈8〉よくないと思う
進級試験に向けて勉強漬けの毎日を送っているのは、何も一年生ばかりではない。むしろ二年、三年の方が厳しいのだ。
昼食を取りに食堂へ向かうと、生徒たちの大半がブツブツと何かをつぶやきながら順番待ちをしていた。これまでのテストくらいでは見られなかった光景だ。やはり気合の入り方が違うらしい。
今日、ヴィルは女友達と食べるらしく一緒に来なかった。アーディにくっついてきたのは、残念美少年と黒猫モドキだけである。
「なあ、アーディ。なんで皆変なんだろナ?」
テストが常に楽勝なエーベルには、必死で頭に物を詰め込もうとする人々の気持ちはわからない。首をしきりに傾げながらメニューを見ていたから、何を食べるのか悩んでいるようにしか見えないが。
二人ともサンドイッチにした。アーディはそれに加えてミネストローネとフライドポテトを追加する。エーベルは食が細いというか、食べ物に興味が薄いのでアーディの半分くらいしか食べない。
アーディは城に戻ったら食事は栄養管理されたものが出される。それらはもちろん美味しいし、不満ではないけれど――フライドポテトなんて城では食べたことがなかった。油で揚げて塩を振っただけのイモがこんなに美味しいなんて知らなかったのだ。
こうした食事ができるのは今のうちかと思うと、食事の時間も楽しみのひとつだ。
テーブル席なのに、エーベルはアーディの横に座るから正面が空いている。変な配置だが、もう気にしない。気にしないで食べていると、長椅子に座るアーディの右に人が座った。狭い。
「……おはよう」
昼なのでその挨拶は違うと思うけれど、いつになくぼんやりとしたレノーレだった。
もしかすると、レノーレも試験勉強でクタクタなのかもしれない。サンドイッチの入ったカゴをテーブルに置くと、それを食べ始めるのではなく、アーディの肩にコツン、と頭を預けた。
――視線が痛い。
レノーレの人気はエーベルと同様に高いので、こういうことをされるとアーディの敵が増えるだけである。エーベルのサンドイッチのお裾分けをもらっていたピペルが顔を上げた。
「レノしゃん、お疲れですにゃん?」
鼻の頭にマヨネーズがついている。あれは可愛く見せる計算だろうか。
レノーレはピペルの方をチラリと見ただけでまた目を伏せた。
「うぅん、進級試験の対策をね……」
すると、黙って食べていたエーベルが余計なことを言った。
「進級できなかったら、もう一年間二年生ができるんだから、落ちても別によくナイ?」
よくないと思う。
思うのだが、ピペルもナイスアイディアとばかりに目を輝かせた。
「レノしゃんも同じクラスになれたらきっと楽しいですにゃん!」
無邪気を装うが、実際のところは邪気の塊である。
ピペルにとっては楽しかもしれないが、留年したらレノーレにとっては地獄だ。いつもならエーベルの発言の時点で目くじらを立てるのだが、今は怒る余裕もないらしい。
「ごめん、ピペル。あたし、留年だけはイヤ。エーベルとクラスメイトなんて気が狂いそう」
寝言のようにしてつぶやいている。
――クラスメイトどころか、もしエーベルが飛び級したら先輩だ。その場合はどうなるのだろう。
エーベルはというと、気にせずサンドイッチを食み出した。マイペースなのは今に始まったことではないが。
アーディも食べているが、レノーレは眠たすぎて食欲がないのかもしれない。サンドイッチにまだ手をつけようとしなかった。
「睡眠不足で勉強なんてできない。ちゃんと休んで食べて、体調管理もしないと」
年上に向けて偉そうに説教したアーディだったが、言っていることは正論のはずだ。ああいう詰め込み方は身につかず、時間の浪費にしかならない。短時間で集中して頭を働かせるにはどうしたらいいのかをまず考えるべきだ。
「うん、そうね。気をつける」
レノーレはしょんぼりと答え、机の上のサンドイッチに向き直った。いつも勝気なレノーレがしおらしい。それが可愛く思えたと言ったら、レノーレの眠気は冷めるだろうか。――言わないけど。
一番食べる量は多いが、一番最初に食べ終わったアーディはエーベルとレノーレの間を抜け、皿を返却に行った。そうして戻ってきてみると――。
エーベルが笑いを噛み殺しながらサンドイッチを食べていた。
睡魔に負けたレノーレは、アーディがいないことにも気づかなかったのだろうか。それとも、眠たすぎて何も考えられなかったのか。
レノーレは左に倒れ、すぅすぅと寝息を立てていた。丁度いい具合に、エーベルの膝枕で。
「今は食べるより寝た方がよさそうだな」
アーディも思わず苦笑した。そして、食べ終わらないエーベルを置いて食堂を出た。
多分、エーベルは昼休み中食堂から戻ってこないだろう。エーベルのつきまといから久々に解放された気分でアーディは伸びをした。