〈5〉ヴィル先生
この一年、こいつらは何をしていたんだと問いたいが、問わずともわかる。
授業中、ぼうっとエーベルのことばかり見ていて集中していなかったのだ。愚かな行為である。
そうだ、自業自得だな、とアーディは納得した。
むしろ、この五人の誰かでよかったのかもしれない。この五人が、五人から四人になったところでエーベルはきっと気づきもしない。
仕方ない。仕方ない。
アーディはかなりどうでもよくて、すでに割りきっていた。しかし、ヴィルは善良すぎる。
「そんな……。クラスメイトが欠けるなんて嫌だよ。ねえ、今からでもきっと間に合うから頑張ろう?」
優しく声をかけていた。
その優しさがかえってつらいのか、太いのは滂沱の涙を零した。
「い、一ヶ月しかないのに、できる気がしない」
また言い訳をする。自分のことだろうに。
アーディはイラッとしていたが、ヴィルが真剣だったので罵倒するのはやめた。
「私も一緒に勉強するよ。わからないことは訊いてね」
ヴィルだってテストがあるのは同じだ。それこそ、自分のペースを崩していては成績が下がる。
そんなことはアーディが指摘せずとも当人だってわかっている。わかっていても見捨てられないのか。
損な性分だな、と心配になる。
「ヴィル……ありがとう」
太いのは、ヴィルには素直に礼を言った。
ヴィルが見なくとも、先生に頼めばいいんじゃないのかと思ったが、生徒たちは落第はともかくとして進級思念の重要性をちゃんと理解していた。
つまり、先生は忙しかったのだ。ディルク先生の前には、ひっきりなしに質問に来る生徒が列を成していた。この五人につきっきりで勉強を教えるのは無理だ。
放課後になって、ヴィルはさっそく太いのの机の上に教科書を広げて向かいの席に座った。
ヴィルは女生徒だから女子寮で、帰る先はアーディたちの男子寮とは違う。
だから、放課後に少し話した後は別々に別れるのだ。アーディがここに残っている必要はまるでない。ないのだが、気になる。
モタモタとカバンに教科書を片づけて帰り支度をしていると、まるで予期していなかった斜め後ろからエーベルが衝突してきた。アーディは危うく机ごと吹き飛ぶところだったが、なんとか踏み留まった。
「アーディってば、ぼぉぉおーっとしてどうしたのサ?」
なんてことを言いながら抱きついてくる。
そんなに強調されるほどぼーっとは断じてしていない。
このカマッテチャンに一年間耐えた自分だが、あと三年耐えられる自信がなくなってきた。ぶつけた脇腹が痛い――のだが、エーベルに抱きつかれていると、それを目撃した女生徒が悲鳴を上げて卒倒した。あの女子にはアーディの顔など『へのへのもへじ』にしか見えていないはずだが。
ヴィルが勉強を見ているはずの太いのを始めとする取り巻き連中も、アーディを呪詛するような視線を投げかけてくる。
アーディはため息をつくと、エーベルを貼りつけたまま移動した。
「よく考えて見ろ。エーベルが学年一で、僕が二番。つまり、成績が上がればエーベルからの扱いも変わるんじゃないか?」
無理やり剥がそうとすると、タコのように剥がれない。エーベルの腕から逃れようともがいていると、エーベルはいつもの、にゃしし、というよくわからない笑い声を立てていた。
取り巻き連中はそんなやり取りを眩しそうに眺めている。
「成績が上がれば……」
誰かがそうつぶやいた。
たったこれだけのことでやる気に火がつくとは思わないが。
思わないが、火はついたらしい。
「エーベルハルト様と!」
「…………」
アーディがエーベルにつきまとわれ始めたのは入学式当日である。テストどころか授業すら受けていなかった。それでも、エーベルはアーディに白羽の矢を立てたのだ。
テストなどというもので測らずとも、エーベルは動物的な直感に従って動いている。だから、今さら成績が上がろうが外見を磨こうが、エーベルの彼らに対する評価は変わらないだろう。
ただ、夢を見て頑張るならそんな指摘は無用だ。放っておこう。
いきなりやる気になった彼らは、太いのの机にそれぞれの机をくっつけ、一緒になって勉強を始めたのだ。
その熱意に押されつつも、ヴィルは彼らの先生になって懸命に教えるのだ。
飽きたエーベルがピペルを連れて寮に帰っても、アーディはなんとなくそこにいた。
「ヴィル先生、この魔術陣は右巻きのラーグで正解ですよね!」
メガネがそんなことを言ってヴィルにノートを突きつける。ヴィルはそのノートを受け取り、トントン、と確認するように指先をつきながら考え込んだ。
アーディは座り込んでいた机の上からノートを覗き込み、つぶやく。
「違う。右巻きにするとラーグがここのティールに反発してしまうから、左巻きで始めると、最初はシゲルになる」
引っかけ問題だが、素直なヴィルは引っかかりやすそうだ。
もともと、ヴィルは魔術学が一番苦手なのである。ヴィルが誤った答えを出す前に口を挟んだ。
いつもはアーディのことを敵視している彼らだが、アーディの成績がエーベルに次ぐことは壁の掲示板が証明している。うぐぐ、と黙った。
ヴィルが、ありがとうという目をアーディに向けてきた。
これだから、置いて帰れない。
男子生徒五人の中に一人だけ女の子を置いておくというのもよくない、と自分も男子生徒だという事実を横に置いて保護者気取りのアーディである。