〈3〉飛び級
この日、何故かアーディは学園長室へ呼ばれた。
何もやらかしていない。だから、何か用があって呼ばれただけだろう。
もしかすると、城にいる家族が何か言ってきたのだろうか。落第したら帰ってくるなとか、そんな内容かもしれない。
「アーディ=バーゼルトです」
学園長室の扉をノックすると、中から返事がした。
「どうぞお入りください」
ここへ来る時ばかりは学園長もアーディを王族として扱ってくれる。少々丁寧だ。
学園長室の中には担任のディルク=エッカート先生がいた。眼鏡の童顔で、まだ若いが結構優秀なのだ。暴走したエーベルを止めてくれたこともある。
「朝礼でお話した通り、一年生の落第者は一人だけです。殿下は入学以来、優秀な成績を保たれておりますので心配はしておりませんが、もちろん忖度の余地はございませんので手は抜かれませんように」
学園長には笑顔で嫌な釘を刺された。ディルク先生が焦っている。
「も、もちろんそんな考えをお持ちではないと思いますが。シュレーゲル君やクラス長、親しい間柄の生徒に関しても、成績に色をつけることはできかねます。……まあ、幸い、皆優秀ですが」
エーベルのために懇願なんてする気もないが、ヴィルが落第したら可哀想だと思ったかもしれない。できれば一緒に二年生になりたい。ヴィルがいなかったら、アーディは一人でエーベルの奇行に耐えなくてはならない気がしてゾッとする。
そう考えて身震いした時、アーディはふと思い出した。
エーベルの不可解な言動を。
なんの意味もないたわ言に過ぎないが、話す相手も他にいないので、なんとなく口にしてみた。
「そういえば、エーベルがこの間、『この学園は変だ』と言っていました。あいつの言う変っていうのがまず意味がわからないんですけど」
何気ない世間話のつもりが、これを言った途端に学園長の余裕綽々の顔から笑みが消えた。
ああ、余計なことを言ってしまったかもしれない。自分が任されている学園を変だとか言われて嬉しいはずもないかと。
しかし、そういうことではなかった。
「変、ですか……」
顎を撫でながら学園長はつぶやく。いつも微笑んでいるから、笑っていない学園長の顔が怖いと思った。
「い、いや、彼はいつも突拍子がないので、深い意味はないのかもしれませんが」
今さらながらにフォローすると、学園長は急に朗らかに笑った。
「どうでしょう。彼は天才ですから、気がついたのかもしれません」
「……え?」
アーディの方がきょとんとしてしまった。それは一体、どういうことなのかと。
ディルク先生はひたすらハラハラしていた。
学園長がアーディの目をまっすぐに見据える。これはきっと真面目な話なのだと思えた。
「この学園には秘密があります」
「ひ、秘密?」
「ええ。実はそれに気づいた生徒は飛び級するという決まりがあります。ただし、これまでの歴史の中で気づいた者はただの一人もおりませんが」
いきなり重大なことを打ち明けられ、アーディは瞠目するばかりだ。
学園の秘密とは一体何なのだろう。
アーディはこの一年、そんなことを考えて生活してこなかった。同じような体験をし、学園生活を送ってきたエーベルだけが何故その『秘密』に触れたのだろう。
やはり、エーベルは規格外なのか。
それとも、アーディの早合点で、本当はなんにも気づいていないのかもしれない。いつもの無責任な言動が特別に受け取られただけなのか。
ぐるぐると目が回りそうだった。
そんなアーディに、学園長は人差し指を立てて言った。
「もし彼が本当にこの学園の秘密に気づいているのだとしたら、彼は次の進級の際には二年生ではなく、四年生になります。類を見ない二学年の飛び級です。そうしたら、彼は殿下のクラスメイトではなくなりますね」
クラスメイトではなく、先輩だ。それではレノーレよりも先輩になってしまう。
エーベル先輩――ゾッとする。
エーベルの学園生活が半分のたった二年で終わってしまうとしたら、当の本人はどう思うだろう。学校が好きなエーベルだから、案外嫌がるかもしれない。
クラスにいても厄介だが、先輩になったらもっと面倒くさい。
すべてエーベルの勘違いでありますように。
アーディはそう祈りつつ、このことは蒸し返さないようにと決めたのだった。