〈1〉変だ
ここはイグナーツ王国の誇る最大の学園アンスール。
アンスールは全寮制であり、良家の子女が多く集っている。よい職に就くためにはこの学園を卒業することが必須条件とされるほど、ここでの学園生活が人生を左右する。
しかし、左右される必要がまったくない生徒がここに一人。
一学年クラス・フェオ。
アーディ=バーゼルト。
特別醜いわけでもなく、美しいわけでもなく、ごく平凡な地味顔をした十四歳の少年である。焦げ茶色の短髪と同色の目、いつも仏頂面だが、特別機嫌が悪いというわけではない。こういう顔なのだ。
成績は学年でほぼ二番手。運動神経もいい。平凡な顔に似合わず、まずまず優秀な生徒である。
そして、彼こそはこのイグナーツ王国の王子だった。兄がいるので王太子でこそないが、王族だ。本来であれば学園になど通う必要もないのだが、本人の希望で通っているに過ぎない。
だから、アーディだけはこの学園生活で将来が左右されることのない唯一の生徒と言える。
とりあえず、問題なく卒業できればいいと考えているアーディだが、優秀なのに卒業まで行きつけるのか不安が残るのだ。それというのも、とあるクラスメイトのせいだった。
エーベルハルト=シュレーゲル。
類稀な美少年と言っても過言ではないかもしれない。金髪の髪をひとつに結んでいるだけで飾り立てているわけでもないのに、彼はそこにいるだけで特別だった。
彼の青い目に捕らえられた人は卒倒する。老若男女問わず絶大な人気を誇っており、信奉者の数は一学年分の総数に匹敵するというが、隠れファンも多いのでこの数は定かではないという。
そんな彼、エーベルに親友と認定されているアーディの日常が平凡なわけもなく、トラブル続きである。身分のことは誰にも話していないから、アーディはただの、地味顔のくせにいい目を見ているヤツという認識にしかならない。
やっかまれること数多く、そろそろ一年が経過しようとしている学園生活ではすっかり慣れっこだった。
そんな毎日の中、放課後になってエーベルが自分の席から動かず、ぼうっと窓の外を眺めているのを見て、アーディは目を開けて寝ているのかと思った。
エーベルは正真正銘、天才である。入学以来、学年トップの座を明け渡したことはない。テストは常に満点という、文句のつけようのない成績だ。
ただ、性格が変で、突拍子もなくて、ちょっと理解できない。天才故になのか、その辺はよくわからないが、とにかく『普通』とはかけ離れている。
そのはずが、この時のエーベルは至ってマトモに見えた。そんなにも真面目な顔をしていたらただの美少年じゃないか、とアーディの方が戸惑った。変なものでも食べたのだろうか。
「エーベル?」
いつもなら、呼びかけなくても勝手に飛びかかってくるのに、今日は大人しいからアーディの方から声をかけてしまった。
しかし、そうしたら、エーベルはいつものエーベルに戻った。
へにゃっと破顔し、先ほどまでの緊張感が霧散した。あれはアーディが見た白昼夢だったのだろうか。
「うにゃん? どーしたのサ、アーディ?」
どうかしているのはお前の方だと言いたいのを堪えつつ、アーディは言った。
「いや、お前がぼうっとしているから」
すると、エーベルは立ち上がり、人の少なくなった教室の窓辺から外を眺め、そして振り返った。
「ちょーっと考えてたんだよ」
「うん?」
多分ろくなことを考えていない。アーディは身構えたが、エーベルはニコニコと笑いながら言ったのだ。
「この学園ってサ、変だナ」
変と来た。お前の方がよっぽど変だ。
アーディは呆れて半眼になる。
「変だなんて言えるほど他の学校を知ってるのか?」
思わずそう言い返したら、エーベルはポンッと手を打った。
「あ、それもそうだ。そっかぁ、そういうことかぁ!」
――どうやらこれで納得したらしい。
いつまで経ってもエーベルはよくわからない。
そんな会話を二人の足元で聞いていた猫っぽいエーベルの使い魔であるピペルは、いつものことながらに余計なひと言を放った。
「エーベル様が変だから、普通が変に見えるのですにゃー」
ぐしゃ。
そうしていつも背中を踏みつけられるのだが、それでもピペルの失言癖は直らない。あれは鬱憤が溜まりすぎて無意識で言ってしまうのかもしれない。
少々は憐れなような気もしなくはないが、女好きのピペルはアーディに慰められたところで嬉しくもないのだ。