〈11〉苦肉の策
アーディは窓を閉めずにベッドの上に倒れ込むと、そのままぼんやりしていた。窓を閉めないのは、さっきの怪物たちのことが気がかりだったからかもしれない。
その窓から、急に金色に輝くツバメが飛び込んでくる。
「うわっ!」
思わずベッドから飛び起きた。
そのツバメは旋回して部屋の中央まで来ると、急に光を増していく。そして、アーディが眩しくて目を閉じた次の瞬間には、ツバメは学園長の姿に代わっていた。
「が、学園長?」
しかし、それは学園長そのものではない。思念だけというのか、実体を伴わない。そこにいても向こう側が透けて見えるのだ。
学園長は皺の深い顔で穏やかに微笑んでいる。
「いやはや、やはり大人しく部屋にはおられませんでしたな」
「そ、それは……」
全部エーベルのせいだと言いたいが、多少は自分のせいでもある。
ただし、学園長の口調は咎めているふうではなかった。穏やかに続ける。
「いえ、今回に関しましては反省文を書けというのではありません。むしろ、今宵の外出の件は口外法度でお願い致します。ええ、実を申しますと、防災訓練などというのは苦肉の策でして」
「は?」
反省文を書かずに済むのは嬉しい。助かる。
しかし、妙に含みのある言い方をされた。アーディが怪しむのも当然だろう。
学園長はアーディに対してごまかすつもりはないらしく、続けた。
「毎年、外であんまりにも騒がれるものですから、生徒たちにどう説明したものかと思いまして、数年前から防災訓練と称して皆が外を出歩かないようにしていたのです」
学園長が言う意味がわからなかった。
呆然としてるアーディに、学園長は苦笑する。
「この時期になりますと、学園の敷地内で妖精たちの祭がありまして」
「よ、妖精の?」
「そうです。人間も収穫祭や学園祭と、年に何度かははめを外すでしょう? 妖精たちも年に一度、最も力が強まる日、満月の夜に怪物に化けたり悪ふざけをしながら集まるのです。人間でいうところの仮装のようなものなのでしょうか。小さな妖精たちが集まって大きな怪物の形を作って競い合っているようなのです」
「…………」
「毎年腕を上げていて、今年もよい出来だったのですが、如何せん足音がうるさくて。地響きまでします。けれど、あの様子を生徒が目にしたらパニックでしょう? それで、防災訓練と称して寮の外へ出さないうちに教員たちで妖精を誘導して寮や校舎から引き離して対応しておりました」
あの怪物たちが妖精だったと。
だから落下したアーディを助けてくれたのか。
「エーベルが攻撃したら、あの怪物は砕け散ったんです。妖精たちは無事でしょうか?」
学園長は静かにうなずく。
「ええ、合体していたのが崩れてしまって残念そうではありましたが、無事です。妖精たちもお祭り騒ぎではめを外しておりましたから、少々懲りてくれるといいのですが」
学園長の思念はわざとらしくため息をついてみせる。
「妖精たちがエーベルの使い魔のピペルを攫ったのは何故でしょう? いつも、妖精たちは魔族のピペルには近づかないのですが……」
「体が大きくなって、気も大きくなったのかもしれませんね。いつもは妖精たちよりもあの猫の方が大きいでしょう? それが逆転して、日頃の恨みを晴らされたのではないかと」
そういえば、ピペルが妖精の恨みを買うようなことをたまにしていた気もする。そこは否定できない。
ついでに言うと、エーベルにも不思議と妖精は寄りつかない。以前、ツュプレッセの森の奥地で出会った精霊にも嫌な魔力だと言われた。ツヴィーベルの末裔であるエーベルと妖精たちとの相性は悪いらしい。
それが何を意味するのかは知らないけれど。
「ちなみに、この学園に自然災害はございません。ただし、時々こうして王国の権力が介入できない問題が起こるのですがね」
やはり、常春の気温を維持するようにして自然もある程度はコントロールできてしまうのだ。それを生徒たちには知らせていないから、防災訓練なんてものがあっても疑われないのか。
「それでは、そろそろ防災訓練終了のベルが鳴ることかと。いや、今年もなんとか凌げました。もしシュレーゲル君が何か不審がるようでしたら、どうぞ上手くごまかしてくださいますよう、お願い致します」
学園長は最後にとんでもない無茶を言ったかと思うと、またツバメの姿になって窓から飛び立っていった。
そうして、終了のベルが鳴り響く。
大人しく自習していた生徒たちにとっては長い時間であったかもしれないが、アーディにとってはほんの僅かな時間に感じられたのだった。
ただし、疲れた。