〈10〉原始的
アーディが呆然と立ち尽くしていると、何故怒られたのかわからないエーベルがアーディの周りをウロウロした。――が、口を利いてやらなかった。
アーディの中で説明のつかない何かがモヤモヤと立ち込めていて、感情が追いつかない。
霧散した怪物たちはエーベルに倒されてしまったということか。
相手が善か悪かを問う前に、命が散ったのならエーベルがしたことは軽くはない。
「ほら、エーベル様がアーディしゃんにまで魔術をブッ放したから怒ってますにゃん」
ざまーないですにゃん、と小声で付け足したが、エーベルは聞いてなかった。聞こえたら締め上げただろうに。
そうしていると、ディルク先生が駆けつけてきた。一緒にいたのは、隣のクラス・ウルの担任エレット先生だ。二人で外まで見回りをしていたということだろうか。
「ふ、二人とも外に出ちゃ駄目じゃないかぁ……」
そう言いながらも、やっぱりかという顔をしていた。エーベルにじっとしていろというのは、犬に二足歩行を強要するのと同じくらい難しいことである。頑張ればちょっとくらいできるかも、というレベルの話だ。
ディルク先生は、むっつりと、いつも以上に不機嫌なアーディの顔を見てやや怯んだ。
「バ、バーゼルト君、ええと、その、もしかすると、付き合わされたって言いたいのかな?」
それはもちろんだが、アーディは押し殺した声で言った。
「先生……」
「は、はい?」
ディルク先生が畏まった。その態度はまずいが、アーディが不機嫌だから焦ったのかもしれない。
アーディはなんとか少しだけ体の力を抜くと、改めて言う。
「ここに怪物がいたんです。巨人とか、ドラゴンとか。防災訓練のために用意したんですか?」
「へっ?」
明らかにディルク先生がギクリとした。わかりやすい。美人で、いかにも仕事ができそうなエレット先生はすかさずディルク先生のフォローに入る。
「そんなの、用意するはずがないでしょう?」
にこやかに言われた。こちらの方が役者が上だ。
「じゃあ、あれは――」
一体なんだったのか。
この時、ピペルを抱えたエーベルが割り込んできた。
「ボクの使い魔が攫われるところだったんダ! それで慌てて追いかけたんですけど!」
と、ピペルを先生に見えるように突き出す。ピペルは、にゃぁぁ、と猫っぽく鳴いてみせた。
「うちのピペルが可愛いからって攫ったら駄目デショ? ボク、慌てて助けにハシッタんです」
すると、ディルク先生とエレット先生は顔を見わせた。
「攫われた……。ピペルは魔族だよね?」
「ハイ。こう見えても猫じゃないです」
「いや、変った猫だな、くらいに思われてたりして」
ディルク先生の失言に、ピペルはハァン? と唸った。が、その時、ピペルを持つエーベルの手がギュッと締まった。可愛くない声を出すと手厳しい。
エレット先生が形のよい額に手を添えてハァ、と嘆息した。
「とりあえずは寮の部屋へ二人を戻しましょう。今に訓練が終わってしまいますから」
そう、ディルク先生に言う。
「そ、そうだね。二人とも、どこを通ってきたんだい?」
「窓です」
「…………」
二人の部屋は三階である。
「危ないからもうしちゃ駄目だよ」
釘を刺されたが、エーベルに効き目がないこともわかっているだろう。
エレット先生は逆に興味津々だった。
「窓からどうやって?」
「魔術陣で浮遊すればカンタンでしょ?」
にゃしし、と反省の色がまったく見えない笑い声を漏らしつつエーベルは答えた。
「魔術陣で飛べるの? どうやって?」
「それは――」
得意げなエーベルの頭にアーディは手刀をかましてやった。
「いいから、戻るぞ」
エーベルは調子に乗ると面倒くさい。防災訓練終了のベルが鳴ってもお構いなしだろう。
エレット先生は残念そうだったが、仕方なくアーディとエーベルを寮の部屋に連れて戻る。
ディルク先生が寮の鍵を持っていて、それで玄関を開けた。
「物音を立てないように」
そう注意されてアーディたちは階段を静かに上がった。そして、アーディとエーベルの部屋があるフロアの通路を見て、アーディは顔を引きつらせた。
エーベルの部屋の前に椅子が三脚横並びに置いてあり、その三脚は鎖で繋がれていた。そして、エーベルの扉のドアノブにはこれでもかというほどの鎖が巻かれ、椅子に巻きつけられている。
それを目にしたエーベルは、きょとんとした。
「開かないと思ったんダ。なぁんだ、どんな術かと思ったら」
魔術で施錠したのではエーベルならどんなに難解でも破りかねない。最後に頼りになるのは、原始的だが物理ということか。
先生たちの苦労が涙ぐましい。
ディルク先生はガチャガチャと絡まった鎖を焦りの見える顔で外し、エーベルとピペルを部屋に押し込んでまた施錠した。
そして、アーディの部屋の前まで来ると、潜めた声で言った。
「すみません、殿下。後で詳しくご説明させて頂きます」
アーディも部屋の中に押し込められたが、説明をしてくれる気はあるらしい。
取り残された部屋の中、開け放った窓と揺れるカーテンを眺めてアーディはため息をついた。




