38*
*レイ視点
走り去るメグの背中を、最初は呆気にとられて見ていた殿下。
「殿下ってば、逃げられてやんの」
そんな殿下に私は野次を入れる。だけどそのうちに、みるみるうちに、彼の顔が嬉々としてきた。
「あいつ……!!」
そう吐き出した殿下は、決心したかのように拳を握りしめた。
「俺から逃げられると思うなよ!こっちだって、相当恥ずかしい思いをしてまで告白したんだ。そう簡単に、逃すかよ。逃げるなら、捕まえるまでよ!!」
そう言ったと同時に、素早い足の早さで、メグの背中を追いかけた。
あの速さでは、メグが捕まるのも時間の問題だと思われる。
「おー、行った、行った」
徐々に小さくなる殿下の後姿を見つめながら、私は笑った。
「だけど混乱した時のメグの逃げ足は、相当早いからなぁ。アーシュは追いつくかしら?」
そう言いつつも私は殿下の背中に、密かなエールを送った。
「あなたは、それでいいのですか?」
「ん?何が?」
ひっそりと横から聞こえてきた声に、私は反応する。
「殿下がメグさんを捕まえてしまっても、構わないのですか?」
いつの間にか隣に並んでいたレーディアスに聞かれるけど、そりゃね、少し寂しい気持ちはある。
だけどメグが幸せなら、それが一番だ。傍で見ていたらメグもまんざらじゃなさそうだったし。自然な姿で笑っていた。
その気持ちを本人が自覚していないだけで、気づくのは時間の問題じゃないかしら。
「私はメグが幸せなら、それでいいよ」
「――では村へは帰らないのですか」
「それは解らない。だけど、今すぐには無理そうじゃない?」
私はそう言うと二人の走り去った方向へと、視線を投げた。きっと今頃、メグの必死の逃亡も虚しく、捕えられていることだろう。
「あなたはこうなるのが解っていて、あえてメグさんの前で、村に帰ろうと、口にしたのですね」
私はレーディアスの問いかけには答えず、笑って受け流した。
「メグが村に帰りたいって希望したら、私はどんなことをしてでも、帰るつもり。だけど、殿下の告白を聞いて、だいぶ揺らいでいるんじゃないかしら?」
「……メグさんのことですし、殿下に押し切られそうな気もします」
鋭いレーディアスの読みに、私は豪快に笑った。
「悩め、悩め!まだ時間はたくさんあるし。私はメグが決めた道を応援するよ」
「あなたの気持ちは、それで固まっているのですね」
「うん。メグを泣かせたら、殿下だろうと、何だろうと、ボッコンボッコンのギットンギットンだけどね」
「その濁語が、穏やかじゃないですね」
苦笑するレーディアスに私は伸びをしながら告げた。
「あのさ、メグっていい子なの」
「それは充分に解ります」
「私が『あの村で一生過ごそう』と言えば、素直に『うん』って即答出来ちゃうような子だから。でもそれは裏を返せば、自己主張が弱いの。周囲に気を遣い、摩擦を嫌う。だから意見を合わせてしまう方を選ぶ。村に帰る案にうなずいたけど、殿下の告白を聞いて、選択肢が二つに増えたでしょう。さあ、どちらを選ぶかしらね」
私のいる場所からは、そんな二人の姿は見えない。今頃、どんな展開になっているのかしら。本当は駆けつけて側にいたいけれど、見守ることも大事だと、自分に言い聞かせた。
「だけどこうやって多くの人に係わることが出来て、メグにとっていい変化を見いだせたみたいだ」
「まるで保護者のような考え方ですね」
「そうかな。本当は少し寂しいけどね」
なぜか私は本音を漏らしてしまった。
「私から見ても、メグさんもまんざらではないと思います。星降る丘へ行くと約束をしたようですし。そこから殿下のやる気がすごかった」
「そうなの?」
それは知らないな。そもそも星降る丘とか、そこどこよー。
私が首を傾げると、レーディアスが説明をしてくれた。
「星降る丘は、流れ星が見える場所です。普段も人々が集まる場所ですが、そこは恋人同士でいくと、星の恵みを受け、幸せになると言い伝えられているのです。男性からそこへ行こうと誘いを受けて、了承の返事は、すなわち将来を誓い合うことを意味します」
つまりは――
「星降る丘の別名は、『恋人達の聖地』です」
「ああ、そりゃメグ変な約束しちゃったなー。あの子、きっと解ってないわ」
よく確認もせずに返事をしてしまうところも彼女らしいと、私は苦笑した。
穏やかな日差しを受け、肌に心地よい風が吹く。私は太陽に顔を向け、その眩しさに顔をしかめながら、呟いた。
「これから私は、どうしようかな。メグがもし、ここにいると決めた以上、村は引き払わないといけないわね」
どっちにしろ、あのままじゃいられない。道具だって置きっぱなしだ。それに村の皆は私とメグの帰りを待っていてくれると思う。もし村に帰らないと決めたのなら、きちんとお別れを告げて、道具を引き払わなければならない。村長のご厚意にずるずると甘えて、いつまでも中途半端な状況ではいられまい。
だけど、まず今しばらくは、このままでいいかな。
将来の道をはっきりと決定するのも、そう遅くはないはずだ。そう、村のこともあるけれど、まずは自分のこれからを考えよう。――だけどもう、心の中では決まっている。
密やかに決心して微笑した私は、ふと視線を感じる。
私の横に並ぶレーディアスが、静かに微笑んでいるものだから、私もつられて笑った。
穏やかな空気が流れたあと、私は口を開いた。
「さて犯人も捕まえたし。あとは自分のやり残したことは……そうね、レーディアス」
「レイ」
私が彼の名を呼び、その顔を見ると、彼は私を見つめていた。
二人の間を穏やかな空気が包む。風が頬をさする、レーディアスの瞳の色は痛いぐらいに、真剣な色を宿している。
優しい雰囲気が包み込む中、私は素直に気持ちを口にしようと思う。
「レーディアス、今までありがとう」
「いえ、お礼を言われることなど、何もしていません」
「ううん、あの村から連れ出してくれたきっかけは、あなただから」
そう、私はあの村にいることが、ずっとメグにとっても幸せだと思っていたのだ。何の危険な目にも合わないし、私達はお互いしかいなかった。
それは保守的な世界で、傷つくことも少ないけれど、毎日が変わらなかった。ましてや、メグが恋をするなんて、そんなこともなかったはずだ。こうやって、外の世界に触れることができた。今となっては、とてもいい変化のように思えた。そう、メグにとっても、私にとっても――
「レーディアスのおかげよ。……だから、ありがとう」
「……っ!!」
私は素直に笑顔を向けて、再び口にした。その途端、レーディアスの頬がほのかに朱色に染まる。そして口元に手を当て、私から視線を逸らした。
「レイ、あなたに伝えたいことがあります」
「そう、私も言いたいことがあるの」
私がそう言うとレ―ディアスは、視線で私の言葉を促す。
私は穏やかな彼の表情を見つめながら、口を開いた。
「仮の婚約者という立場を、解消して欲しい」
そう伝えた瞬間、レーディアスが弾かれたように、目を見開いた。
「もうこれで、メグの側にずっといる為の理由も必要なくなった。それにアーシュレイド殿下も側にいる。少し寂しいけど、殿下も成長したみたいだしね」
私は力強く言い切った。
そう、いつまでも過保護なままではいられない。本音はすごく寂しいけど、メグを守る人物が殿下と私の二人もいては、メグだって苦しくて息が詰まってしまうかもしれないでしょ?
ここは殿下に任せるのだ。だけど私とメグの友情はずっと変わらないと、胸を張って誓えるわ。
「だから、レーディアスも私に囚われず、自由になって欲しい。もう十分だから」
そう、仮の婚約者の存在に囚われずに、毎日を過ごして欲しい。これまでがそうだったように、自由を満喫して欲しい。
「メグがここに残るのなら、私はレーディアスの部下の一人として、再スタートをきるよ。屋敷を出て騎士団の寮に入り、一から出直すわ」
私は頭を下げた後、スッと手を差し出した。
「これからもよろしくお願いします。――レーディアス騎士団長様」
私が清々しい気持ちで、顔を真っ直ぐに上げて伝えると、レ―ディアスはうつむいてた。
そして、その表情は苦渋に満ちていて、なぜか冴えない。さっきまでのいい感じだった雰囲気は、どこかに消え去っていた。




