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殿下はしどろもどろになって、声を出した。
「だ、誰だよ!?そんな嘘を教えたのは」
「王妃様です」
あなたのお母様から直々に聞いたばかりですが。
「……ッ!余計な事を!だいたい毎日花嫁を選べと煩いんだ。お前みたいなのが側に一人いれば、周囲の人間も黙るだろ!周囲がうるさく言わなくなるまで、『ふり』でもいいから、していろよ!」
「……はぁ……」
真っ赤な顔で弁解する殿下だけれど、それって私じゃなくてもいいんじゃないの?
要するに婚約者を決められたくない殿下の、嘘の有力候補として側にいろ、ってことかしら?それはこの婚約者騒ぎが落ち着いたら、私は村に帰れるってことなの?
「でも私……殿下のこと……何も知りませんし」
そもそも婚約者を名乗るほど、彼を知らない。
殿下のことだけじゃなく、この国のことも魔力のことも何も知らない。つい最近までヘボン村での生活が全てだったのだから。
「これから知っていけばいいだろう!!」
殿下はいきなり叫ぶと同時に私の肩をガッシと掴んだ。
その力強さに驚いていると、彼の大きくて黒い瞳が私をとらえる。
そこに宿る色は真剣さと情熱を含んでいるように感じられた。
「俺だってお前のこと、何も知らない。だからこそ、もっと知りたいと思う。それには時間が必要で、こうするしか方法が――」
「……殿下?」
急に真剣な様子を見せた殿下を不思議に思って声をかけると、そこでハッと我にかえった様子で私の顔を見た。目があった瞬間、殿下の顔が真っ赤になった。
「な、な、な、なんだよ!恥ずかしいこと言わせんなよ、お前!!」
「で、ですが、殿下が急に……!!」
え、そんな事急に言われても……。私もつられて顔が赤くなってしまう。
「そ、それになお前、その『殿下』はやめろ。堅苦しい言葉もなしだ。出会った時のように、普通に話せ!」
「で、でも、それは失礼に――」
「仮にも婚約者なんだから、『アーシュ』と呼べ。俺が許す!」
婚約者?まだ候補の段階で、決定したわけじゃないでしょうと、怪訝な顔を見せれば、それに気づいた彼が、弾かれたような表情を見せた。更には赤くなったのち、ついに殿下は首まで真っ赤だ。
「二人で赤面している時に悪いけど、ちょっといいかしら?『アーシュ』」
その声にハッと気付いてみればレイちゃんが、頬杖をついてあきれたような、生ぬるい視線を送っていた。
「お前っ……。まあ、お前も別にいいけどな」
アーシュと呼ばれた殿下は苦笑したけれど、特には気にしない様子だった。むしろ砕けた態度で少し嬉しそうだった。じゃあ、私も『アーシュ』と呼ぶようにしよう。……で、出来るのかしら。
私が少し悩んでいるとそこでレイちゃんが、すかさず口を挟んだ。
「その『周囲が静かになるまで婚約者候補のふり』という役割だけど、それはまさか、無償だという訳ではないわよね?」
私はガクッときた。さすがレイちゃん。儲けるとこでは、必ず儲ける。
肩を落とした私に、レイちゃんが向き合った。
「メグ、これは『報酬を貰える仕事』よ。そう思えばいいわ。それに、ここまで来たら逃げられないわよ。王妃様まで絡んでくるなんて、厄介だわ。ここは流れに身を任せるしかないと思う。他の最善な道を探しましょう」
こんな時、レイちゃんの決断は早い。こっちがだめなら別の道!そう切り替えることが出来る彼女は賢い人だと思う。私はぐじぐじ悩んでしまうから、時間を無駄にすることが多いのだ。
「だけど私はどうしよう。何とかして、メグの側にいないと!!」
「レイちゃん……」
私こそレイちゃんがいなくては困るのだ。自分でも依存しすぎだとは思うけれど、離れて暮らすことなんて想像つかない。
「アーシュにはメグだけが必要であって、私は必要ないもの。だけど、私はメグの側を離れることはできないわ。それには何か理由が必要よね」
思い悩んでいるレイちゃんに、質問をぶつけてみる。
「あ、レイちゃん、魔力の試験結果の最終判断はきた?」
先日、本当に危険もなく魔力をコントロールできているかの試験を受けていたレイちゃん。
それによって王宮魔術師として、無理に拘束されなければいいのだけど……
「ん?あっさりクリア。ちゃんとコントロールできるから、監視は必要ないとの判断で」
その時、アーシュに視線を投げ、ふふんと勝ち誇ったような仕草を見せた。レ、レイちゃん、またそんな喧嘩を売るような真似をして!!彼の口元が、わずかにひくついたじゃない。
「そうだ!!侍女はどうかしら?私はメグの侍女としてこの王都に残るわ!!」
「レイちゃん……」
自信満々なその申し出は、一見していい閃きだと思えるけど、一つ問題がある。いや、重要な問題が。
「レイちゃんの家事能力は破壊レベルでは……」
そう。レイちゃんは家事が苦手だ。
将来は立派なお嫁さんが欲しいと豪語していたぐらい、家事オンチだ。
「大丈夫!気合でなんとかして、メグの側にいる!!」
レイちゃんの気遣いはとても嬉しい。だけど、レイちゃん、無理だと思うの。
気合でどうにかなるレベルじゃないことを、長い間一緒に暮らしていた私は知っているよ……
「では、私から一つ提案をしましょう」
すると、それまで黙っていたレーディアスさんが一歩前に出て、初めて口を開いた。
「私の『婚約者』ということにすれば、レイさんはメグさんの側にいることが出来ます」
「え……」
それを聞いて言葉を失くした私は、すかざす隣にいるレイちゃんを見る。
レイちゃんは、口を開けたまま、固まっていた。
「どうでしょうか、あなたにとって悪い話ではないと思いますが」
「でもそれ……」
「私の婚約者になれば、私の家の権限でメグさんの側にいることができます」
ゆったりと静かな動作で笑みを浮かべる彼。だけど、何か裏があるような気がして、ままならない。
そんなうまい話はあるのだろうか。それをすることによって、レーディアスさんが得することってなに?私は彼の表情をうかがう。
本音を言えば、レイちゃんの側にいたい。だけどそれによって彼女の重い負担になることだけは嫌だったのだ。
「レイさんにとって、そう悪い話ではないと思いますが」
「そうだね、こっちが得することばかりだね」
「では……」
レーディアスさんは始終笑顔を向けている。
そこで意を決したように、大きく息を吸ったレイちゃんは――
「だが、断るッ」
何の迷いもなく叫んだレイちゃん。相変わらず男前――




