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放心状態とふらふらの足で部屋に戻りソファに腰かけ、クッションを抱きしめて呟いた。
「なにかの間違いじゃないかしら。私が候補に選ばれたなんて……」
ぼそっと呟けば、レイちゃんが冷静に答えた。
「間違いじゃないでしょ。あの時、メグを一人にしなければ良かった。庭で殿下に会わなければ、こんなことにはならなかったのに」
悔やむレイちゃんだけど、そこは悔やんでも仕方がない。もとはといえば、私が抜け出したせいであって、レイちゃんが責任を感じることはないのだ。部屋を重い空気が漂う。そんな中、レイちゃんが顔を上げた。
「落ち着け、って言ってもすぐには無理よね。私、喉が渇いたからラテ水持ってくるね。メグも飲むでしょ」
「あ、うん」
ラテ水とはほんのり果実の甘さの味のついたお水だ。爽やかなのど越しが気に入って、私とレイちゃんはよく飲んでいた。一人残された部屋で深いため息をついていると、突然ノックが聞こえた。
「レイちゃん?」
もう戻ってきたのかしら。走って行ったのかな?と思いながらも扉を開けると、そこには想像もしなかった人物が立っていて、目をひん剥いた。
「ミ、ミランダさん……!!」
先程広間で見かけたミランダさんが、扉を開けた先に立っていて驚いた。だがしかし、慌てて頭を下げた。
「いいのよ、メグさん、頭を上げてちょうだい」
私はゆっくりと頭を上げる。そこにいたのは、いつもの作業用の格好ではなく、素敵なドレスに身を包み穏やかに笑うミランダさんの姿があった。立ち話も失礼だと思い、慌てて部屋へと招き入れた。
「ミランダさんが、まさか王妃様だったとは知らずに……」
「ごめんなさいね。そうよ、私が『体が弱くて公の場を欠席しがちな』王妃です」
悪戯がばれた時のような笑顔を見せたミランダさんが、口を開いた。
「本当の理由はね、堅苦しくて苦手なのよ。公式の場は」
そう言って肩をすくめるミランダさんは、なるほど。どこから見ても健康体に見えた。
「結婚する時にね、一つ条件を出したのよ。『花を栽培する場を用意すること』って。それが認められたから結婚したの。あら、私は庶民の出なのよ。実家は至って普通ですもの。王妃になるにあたっては、私は侯爵家の養女に入ったのだけどね、私の体に流れているのは、農家としての血なのよ」
それは二人の馴れ初めを聞いてみたい気がする。身分違いの二人がなぜ、こうやって結ばれたのかを。
「そもそも結婚する時の条件だから、文句は言わせないわよ。どうしても必要な場にはきちんと出席しているわ」
威厳ある王様の隣に、ひっそりとたたずむ可憐なミランダさんだったけれど、そう聞けば、ミランダさんが王様より強いのかな、と感じた。
「それよりもメグさん!!」
私は手をガシッと握られて、驚いた。
「うちの粗野な息子がね、一人の女性を押し倒したって聞いてすごく驚いたのだけど、あなただったのね、メグさん」
「いえ、押し倒された訳じゃないです」
話がだいぶ大きくなっているけれど、ここはきちんと訂正しなければ。
「今まで女性に全然興味を示さなくてね、いきなり押し倒すだなんて、教育を間違ったわ。ごめんなさいね。それだけを私の口から伝えたくて、あなたと会いたかったの。でもまさか、メグさんだったなんて……」
「ええ、私も驚きです」
職人顔負けの格好に泥にまみれた姿で黙々とハーブの栽培をするミランダさんと、私の目の前に立つ美しく着飾った女性が、まさか同一人物で王妃様だったなんて。
それにアーシュレイド殿下の母上……。 言われてみれば、どことなく似ている。王妃様の美貌を、殿下は見事に譲り受けている。
「でも私は、この素敵な縁に驚いているわ。うちのアーシュがあなたを選ぶのなら、私も全力で応援するわ」
「え、あの……」
驚いて咄嗟に言葉が出ないけれど、そこは違いますと言わなければいけない。
「そうね、そうしてハーブガーデンを増築して、二人でそこに籠っているのもいいかもね」
あ、今の発言はちょっと心が揺らいだぞ。……じゃなくて、
「それはないと思います」
「あら、どうして?身分が関係ないのは私とルドルフで証明済みよ」
王妃様は不思議そうに首を傾げた。ルドルフとは恐れ多くも国王の名前だ。
「アーシュレイド殿下とは噂になったから、しょうがなく残したのだと思います。先日もそのようなことを言っていましたし」
「あら。うちのアーシュったら、そんなことを言ったの?」
そう言うとコロコロと笑いだした彼女は、とてもアーシュレイド殿下のような大きな子供がいるとは思えない。いったいいくつなんだろう。聞くのは失礼だから聞けないけど。
「ですから、そんなミランダ様――いえ、王妃様が想像するような事はないと思います」
「今回の件は、アーシュ本人が乗り気になったと聞いているけれども?それこそ、身分をとやかく言いだす人物を一蹴したと聞いたわ」
「え……」
思いもしなかったことを聞いて、ポカンと口を開けてしまった。
「あの子は歴代の王族の中でも魔力が強すぎて暴走してしまうの。なんとか装飾品で抑えているのだけど、いずれ自分の力で制御できなければ大変なことになる。アーシュの力を子孫に引き継ぐ訳にはいかないと、出来るだけ魔力のない令嬢を集めてアーシュと結ばれて欲しいと周囲の人間は思っている。
それよりも、あの子が誰かを大事に想い、魔力で破壊するほうじゃなくて、護れるほうにならないといけないわ。これは誰と結婚しても同じことよ、アーシュ本人が変わらないとね」
その時王妃でもあるミランダさんが見せたのは、母である顔だった。
「まあ、あの子は昔から素直じゃないというか、意地っ張りで天邪鬼な部分があるけれど、よろしくね、メグさん」
王妃様はそれだけを伝えると、すっくと立ち上がり、部屋を出て行った。
「まさか王妃様だったなんて……」
なんてことだろう。私は失礼な態度を取らなかっただろうか。ずいぶん慣れ慣れしい態度をとった気がする。
そんな考えに浸る間もなく、王妃様と入れ違いで部屋に入ってきた人物を見て、驚いた。
「なんだ、お前。母上と知り合いだったのか」
ア、アーシュレイド殿下――!!
堂々と入ってきてますが、ここは私の部屋ですから。考え事の真っ最中ですけど!
「アーシュレイド殿下、女性の部屋に断りもなく入るなんて失礼ですわ」
と、これまた無断で入ってきたレイちゃんがラテ水を片手に持ち、私の代わりに叫んだ。
そしてそのすぐ後にノックが聞こえた。レイちゃんが扉を開けると、レ―ディアスさんが頭を下げた後、入室してきた。丁寧な物腰で入ってきた彼は扉のすぐ側に立つ。きっと殿下を見守っているのだろう。
「アーシュレイド殿下、質問なのですが……」
「なんだ」
私は勇気を振り絞って聞いてみることにした。大事なことだから、しっかりと確認しておかなくてはいけない。
「わ、私がなぜ候補として残っているのでしょうか……」
一度舞踏会に出席すれば、もう村に帰れるとばかり思っていた。
「そ、それは……変な噂を周囲の人間が本気にしたんだよ。おまけに魔力もゼロなもんだから、俺とはちょうどいいだろうと、周囲が勝手にだなぁ」
そんなたまたま誰でも良かったのなら、私以外で選んで欲しいのだけど。
「ですが、聞いた話では、殿下は私を押したと……」
思わず怪訝な顔して殿下を見れば、一瞬にして顔が赤く染まっていた。




