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その日の朝までさかのぼります。
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朝日が森全体を包む。
朝露のついた葉っぱ、靄がかかった空間に、清々しい朝が訪れようとしている。
私は簡素な木のベッドの中で、のそのそと動き出す。
少し肌寒いけど、これもいつものこと。伸びを一つして、せーのでベッドから起き上がる。
そして窓辺へと立ち、今日の空模様の確認をする。
「今日も晴れそうだな」
私はあくびをしながら、寝癖がついてぼさぼさになった頭をなでつけた。本来ならストレートな髪なので、すぐに元の髪型に戻る。
「さぁ、起きますか」
いつもの朝が始まろうとしている。
私の名前は桜井恵。なぜか日本から異世界トリップをしてきた生粋の日本人で、歳は18歳になる。
ある日の学校帰り本屋に寄ったつもりが、気づいたらこの世界の、このヘボン村にいたのだ。
最初はファンタジーな本を読みすぎたわー、ないわー、夢だわーなんて思って、笑う余裕さえあったけど、一向に冷めない夢に、これが現実だと認めた瞬間、私は泣き崩れた。
あれから三年。
どうなることかと思ったけれど、私はこの村で生活していた。ド田舎で自給自足がモットーなヘボン村。名前までも平凡で、取り立てて目立つような村ではなく、皆が力を合わせて、ひっそりと生活していた。
どこからかポツンと現れた怪しい私を、すぐに自宅に招き入れてくれた村長夫妻を筆頭に、皆が泣きじゃくる私に優しくしてくれた。
もしかして私が悪い人間で、金目の物を持ちだすような人間だったらどうするの?
そう私の方が心配してしまうほど、警戒心が薄かった。だが、それがすごく助かった。
しばらく村長の元に身を寄せて、この村についてのことや生活などを一通り教えて貰った。そうして半年が過ぎた頃、今は使用していない村の外れにある村長の持ち家の一つと、目の前に広がる広大な土地を貸してくれた。
『わしらはもう歳だから、いついなくなっても、自分で生活できるようにならなくてはいかんじゃろ』
そう言って、カッカッカと笑う村長だったけど、確かに村長は90歳をこえている。
その冗談は笑えない。
だが、村長の厚意をありがたく受け取り、彼の元から自立したのだ。
昼間は広大な畑で野菜やハーブなどを作ったり、近くの森で布を染める草花を摘んできたり。そんなこんなで、私の一日はスローライフにみえて、結構忙しい。
そしてまた、充実していたのだ。
野菜を植え、収穫する。そこで収穫した野菜や果実を村の中で物々交換などをして、生計をたてていた。
すぐ隣に広がる森は自然の宝庫で、食べられるキノコや木の実など、自然の恵みがたくさんあった。
そうして慣れてくると家畜の世話を任されるようになった。
もちろん私だって、そんなにすぐに、ここでの暮らしに馴染んだわけじゃない。
15の私が見知らぬこの世界にきて、もちろん泣いた。それも号泣レベルだ。夜になると故郷が懐かしくて、涙を流したことも数えきれない。
だけど、そこまで悲観的にならなかった理由が一つだけあるのだ。
それは――
「レイちゃん、起きなよー!!」
ダイニングキッチンから続く隣の部屋の扉を開け、ベッドを見る。そしてそこで、もぞもぞと動くブランケットの膨らみに声をかける。
「まだ……いま……起きる」
「もう!起きる気全然ないじゃん!!」
まったく起きる気の無い声を出して来たのがレイちゃん。
私と共に異世界トリップしてきたレイちゃんは、私と同年。というより半年ほどレイちゃんがお姉さん。レイちゃんも私と同じ本屋にいたはずが、気づけばこの世界にいたのだ。
異世界トリップ後に目を開けてみれば、レイちゃんも私と一緒に道端に転がっていたっけ。
そこから二人で叫んで、わんわん泣いて。動揺して混乱して取り乱して村長に保護されて――今に至る。
最初は二人暮らしも不安だったけれど、すぐに慣れた。というより同年代の女性の二人暮らしは楽しかった。共用のスペースを持ちながらも、個人のスペースもあったので、一人になりたい時は一人になれた。
辛いときには励ましあい、時には喧嘩をしながらも、仲良くやってきた私の親友であり大切な家族になったレイちゃん。
「もう朝だよ」
「朝じゃない」
これがいつもの私達の日課。レイちゃんは朝に弱いのだ。昔からここは変わらない。
「じゃあ、朝ごはん作ったら起こすからね」
レイちゃんが了解とばかりに、ブランケットから手を出して、ひらひらと振る。私は朝ごはんの用意をする前に、着替えて畑へと降り立つ。
広い畑には、さまざまな野菜が植えられている。
土の栄養がいいのか、食べきれないほど収穫できたりする。それを近隣の住民と物々交換したりして、生活が成り立っていた。
木の家に広い畑、完全な自給自足生活。この世界でも、日本と同じような食べ物がたくさんあって、それが救いだった。
畑に行き、今日食べる分だけのジャガイモを掘る。ゴロゴロと出てくると、顔がほっこりする。
ああ、よく実っている。これなら村のみんなも喜んで物々交換に応じてくれるだろう。その隣に植えてある、そら豆もそろそろ収穫時だ。これは茹でて塩をつけて食べても美味しい。私は次の収穫のめどをつけると、次なる目的の場所へと向かう。
「おはよう、モーモー」
次に牛小屋へ行き、牛のモーモーから、新鮮ミルクを搾乳する。鶏のコケ子は今日も卵を産んだ。やったね、そう思いながらそれを手にして、家へと戻る。
昨日焼いたベーグルがあったはず。早く食べないと固くなっちゃうわ。
そうだ、燻製肉も焼いて食べようかしら。塩味がちょうどよくて、焼くと旨味が出てきて、とてもジューシーだもの。レイちゃんは喜ぶわ。
まずは火をおこそうと思い、火打石を釜戸に投げいれると、そこから勢いよく火が発生する。
鉄で出来たフライパンを火にかけ、物々交換で得た燻製肉を少し火であぶる。
あたりは香ばしい香りが充満したので、窓を開けて空気を入れ替えた。ジャガイモを薄くスライスし、燻製肉を炙った時に出た油で、それを揚げ焼きにする。
ほどよく色のついた時点で、モーモーから絞ったミルクを入れる。ぐつぐつと煮えてきたら、塩とブラックペッパーで下味をつける。
そして最後に、以前作って寝かせておいた手作りチーズを貯蔵庫から引っ張り出す。ナイフで薄くスライスして、上からふりかけた。
そうそう、コケ子の卵も茹でよう。そう思った時に、次の火打石がないことに気付いた。
そんな時、真っ先に向かうのが、レイちゃんの部屋だ。
部屋の扉を遠慮なく開けて、声をかける。
「レイちゃん、火をつけて」
「ん~」
まだ寝ぼけているレイちゃんに、私の声が届いているのか疑問だ。こんな時は、必殺の台詞がある。
「でないと、ご飯つくれないよ」
食べることが大好きなレイちゃんは、この言葉に弱い。そう言った瞬間、レイちゃんの指が動く。軽くパチンとするだけで、ふわふわと明るい光が飛んできて、釜戸に火がともる。
まるで手品かと思う芸当だけど、私はいつしか慣れた。――人はそれを魔力とよぶ。
この世界にきて、初めて知ったことだ。
「ありがとう」
私はお礼を言って、釜戸まで戻った。
もう火打石がなくなってしまった。またレイちゃんに補充してもらわないとな。ゆでたまごを作りながら、そんな事を思っていた。
たまごがゆで上がるまでの間、ジャガイモの皮を剥きながら、私はこの世界について、ぼんやりと考えていた。
人々の基本的な暮らしや食べ物は、私達のいた世界と同じ。
だが、この世界と私のいた世界での決定的な違いがあった。
この世界の人間は、生まれながらにして魔力を持っているということだ。
村長に説明された時は、なにそれファンタジーと思い、半信半疑だった。
村長いわく、生まれた時から、その力の大きさは個々で違うみたいだ。
魔力を体から微かに放つだけで、これといった特技のない人が大半らしい。かと思えば、王族おかかえの魔術師と呼ばれるほど巨大な魔力を持つ人など、さまざまらしい。
一つ疑問なのだけど――
なぜか、私の親友レイちゃんは、この世界に飛ばされた時から、あっという間に魔力に目覚めた。体中からみなぎる何かを感じるらしい。そしてそれは、巨大な魔力の持ち主だと思う。だって村の中でも、レイちゃんほど魔力を使いこなしている人は見た事がない。
考えていると、卵が茹で上がったので、お皿の上にそれを盛り付けた。
燻製肉とじゃがいものクリームチーズ煮に、それに昨日のベーグルを皿に添えて、大きな声を出す。
「レイちゃんご飯だよー!!」
「お~今行く~」
何度起こしても反応が鈍いけれど、ご飯が出来た時だけ返事はしっかりするレイちゃんは、ちゃっかりしている。
そしてぼさぼさの頭で起きてきて、いつもの挨拶をする。
「おはよ、メグ。今日も朝から、めちゃくちゃいい匂い」
「温かいうちに食べちゃって」
あ、そうだ。
席についたレイちゃんに、忘れないうちに言っておかないと。
「レイちゃん、火打石なくなったよ」
「わかった、これ食べたら作る」
レイちゃんは当たり前のように返事をした。
火打石とは、そこら辺に転がっている石ころに、レイちゃんが魔力をこめた石。これを釜戸に投げ入れると、火が発生するのだ。これはお料理には欠かせないのだ。
私は大変重宝している品物だが、レイちゃんはあっさり作ってしまう。それを知った村の人達も、すごく驚いていた。やっぱりすごいんだな、レイちゃん。
――ん?私ですか?
私は魔力など欠片もみじんもない人間ですが、それが何か?