16
昨夜、思わぬ場所でアーシュレイド殿下に会った私達は、あの後広間に戻った。
しばらくするとアーシュレイド殿下の登場で、広間の熱は一気に上がったのだった。
あ、本物の王子様だったんだ。
明るいところで改めて見る殿下は、背も高く、長めの黒髪に勝気な雰囲気の整った顔つきだった。耳元には装飾品がたくさんついていた。まあ、それも似合っているのだけど、レーディアスさんは魔力封じの装飾品と言っていた。あれだけたくさん着けなければ、制御できないぐらい、魔力が巨大なのだろうか。
レーディアスさんが磨かれた大人のかっこよさなら、殿下は青年の若さ溢れるイメージだ。
今思えば失礼な態度をとってしまったけれど、なんとなく気さくな感じだったし、気にしてないわよね、きっと。
ああ、だけど、これが終われば村に帰れるんだわ。
私は希望的観測を込めて、その後の舞踏会を過ごしたのだった。
**
翌日、侍女達の態度がなにやらおかしい。
「メグ様、本日は爪を整えましょうか」
「メグ様、これは有名な店の焼き菓子ですわ」
「メグ様、本日のお召し物、とてもよくお似合いですわ」
とてもよく似合うって、いつも着ている服装なんだけど……。
まるで手のひらを返したように、ちやほやとしてくる侍女達に私は戸惑う。なんだというのだ。ここに来た初日は青虫で歓迎され、レイちゃんの撃退により、まるで腫れ物を扱うような態度になった。こっちが動くたびに、ビクビクされているのだから、居心地が悪いこと極まりない。それなのにここにきて、ちやほやされているものだから、訳がわからない。その態度の変化に、今度はこっちがビクビクしてしまう。
悩んでいると、部屋の扉が叩かれた。
「メグー!支度は進んでる?」
「レイちゃん」
そうなのだ、私とレイちゃんは、舞踏会が終わったので、もう帰り支度をしようという話になっていた。だから私も細々と帰る準備を始めていた。顔合わせも一応済んだし、その後に何も起こらない。帰れと言われたら、すぐに出て行けるようにと、今はその準備に追われている。
「レーディアスに、いつ頃帰れるか聞いてみようか?」
「うん。彼も忙しい人だから、なかなか会えないと思うけど、確認しないとね」
「え?レーディアスは暇だと思うよ」
きょとんとした表情で言うレイちゃんの顔を見て、私はハッとした。そして確認する。
「だって、騎士団長でしょう。暇なわけないよ」
「でも割と頻繁に、顔を会わせているけど?」
それはきっとレイちゃんだからだ。彼は決して暇な人なんかじゃない。何かと用事を作って、それを口実にレイちゃんと顔を合わせているのだと思う。だけど、まったく気づいていないのがレイちゃんだ。
「じゃあ、メグ。次にレーディアスに会ったら、確認してみるよ。そしてそのまま了解を得たら、私と一緒に村に帰ろう」
「うん」
私は張り切って荷物をまとめに入った。
**
午前中に荷物をまとめ終わり、私は出された紅茶を飲んでいた。すると、いきなり扉がすごい勢いで開いたので、驚いてカップを落としそうになった。
「メグ、なんだかよからぬ噂を耳にしたの」
深刻そうな面持ちのレイちゃんが、部屋に入って来る。
「噂になっているのよ、『舞踏会の夜、殿下が遅れたのは女性と逢引していたから。そして、殿下はその女性を押し倒して、服をビリビリに破いていた』って……」
「それは……」
「そうだよ、どう考えてもメグっぽくない?」
「そ、そうかな……」
「そうだよ。あの男が誰でも匂いを嗅ぐのが好きで、押し倒す趣味があるなら話は別だけど!!」
そ、それは危険人物だと思うわ。だけど、さすがに一国の王子がそんな変態な趣味はないと思うの。その噂、かなり尾ひれがついていると思う。服は袖口が少し破れただけだし、そもそも逢引って――
「……」
「……」
沈黙が包む空間で、何やら嫌な予感がする。レイちゃんも黙ったまま、真正面を見ている。
しばらくすると、窓辺へと近寄った。
「ねぇ、メグ。見て、窓の外」
「なに?」
呼ばれて近寄ると、お城の門が見える。そしてそこには、数台の馬車があり、それに乗り込む貴族の女性の姿があった。その中には、昨日舞踏会で見かけた女性の姿もあった。
「今日、家に帰る女性もいるって侍女達が噂していた。あれがそうだよね」
「……多分、そうだと思う」
それは私も気になっていたのだけど、朝から、王城全体がどこか慌ただしい。それと同時に門の周辺が騒がしいことに、私も気付いていた。一度に帰宅者が大勢いれば、それだけ混乱するから、きっと順番に帰宅しているのだと、勝手に予想していた。
お前はもう帰っていいぞ、と言われるのだろうか。私はそう声をかけて貰うのを強く望んでいる。
「ねぇ、メグ……。帰っちゃおっか?」
「はい?」
いきなり言い出したレイちゃんに、驚いてその顔を見ると、レイちゃんはごく真剣な眼差しを向けていた。
「でも、勝手に帰っちゃ……!」
駄目なんじゃない?そう問う前にレイちゃんが自論を述べる。
「だけど、ダメとも言われていない。だいたい舞踏会に出席する約束で、約束は果たしたし。………………それに1000ペニーも、もう貰った」
ぼそっと呟いた最後の部分が決めてになったのだと思う。
「レーディアスに置手紙でもするわ。用事は済んでいるから、追ってはこないはずよ。それに……何だか嫌な予感がするのよ。早く離れたほうがいいと思う」
「レイちゃん……」
レイちゃんの呟いた顔を見て、私の背中にも緊張が走る。だけど、レーディアスさんはレイちゃんのことを、このまま離さないと思うよ、そう言いかけた言葉をグッと飲み込んだ。
そして、私とレイちゃんの意見は一致する。
「そうだね、帰ろう。レイちゃん。私達のあの場所へ」
「ええ、メグ。そうと決まれば善は急げ。荷物はまとめた?」
「うん」
そう、もとより最小限の荷物でやってきた私達。今すぐにでも、飛び出せる。そう告げるとレイちゃんは、満面の笑顔を浮かべた。
「じゃあ、行こうか」
そうしてレーディアスさん宛にレイちゃんは置手紙を書いたあと、私達は仲良く門へと向かった。
**
「いい?メグ。私達は何も悪いことをしていないから、堂々としていれば、大丈夫なはずよ」
「うん、レイちゃん、わかったわ」
帰る娘さん達が多い中、私達はどさくさに紛れて帰っちゃうぞ、計画を実行中。
一応、門番でチェックがあるらしく、列をなして並んでいる。
ここは堂々としていれば大丈夫だとレイちゃんに言われた。よくよく考えれば、強引な形で連れて来られた私達の方が稀で、大半が望んでここへ来ていると聞いた。そんな中、みずから帰る人なんて、そう滅多にいるわけじゃないわよね。
だから私達がいなくなっても、誰も困らないという考えに達した訳だ。私とレイちゃんで。
「村の皆に、お土産を何にしようか」
「なんでも喜ぶと思うよ。だけど、村長にはラビラの帽子を外せないねー。あとは甘いお菓子が好きだよね」
そんな風に、魔力だとか舞踏会のことなど、私とレイちゃんの頭の中では、スッコーンとどこかに追いやっていた。むしろ気分だけは先に、王都観光へと出発していた。
そんな矢先――
「あれ……もしかして」
「まさか…」
なにやら周囲が騒がしいことに気付いた。どよめく声が聞こえる。それと同時に騎士団の人達が集まってきていることに気付いた。レーディアスさんと同じような服装だから、きっとそうだ。もっとも、レ―ディアスさんと彼等の服装は同じように見えて、少し違う。階層の違いかもしれないと思っていると、彼等はあっと言う間に、列をなして並んだ。
驚いて口を開けていると、すぐさま列の間が割れた。そこの間を歩いて出現した人物に、思わず目を見張った。
「お前達は、どこへ行く気だ!!」
そこにいたのは、髪を振り乱したアーシュレイド殿下の姿だった。
心なしか額に汗までかいて、呼吸も乱れている。その様子から、急いで走ってきたのが見て取れた。
「レ、レ、レイちゃん」
私は脅えながら、レイちゃんの背中にそっと隠れた。我ながらズルくて情けない姿だとは思うけれども、何だか殿下が怒っている様子だから怖い。
レイちゃんだけが慌てずに、直立不動の姿勢で、向かって来るアーシュレイド殿下を見つめていた。
「……チッ。思ったより早いな」
ん?いま、レイちゃんから舌打ちする音が聞こえたような気がします。気のせいでしょうか。
髪を振り乱して近づいてきた殿下の側には、レーディアスさんの姿もあった。彼が手に握りしめている手紙を見て、全てを納得した。勝手に帰ろうとした私達に、殿下は怒っているのだろう。正式に許可を貰っていないのだから、それは当たり前かもしれない。
だけどこんな派手なお迎えまでして、誰かに任せておけばいい話じゃないの?なぜ殿下本人がこの場にいるの?
「お手紙に書いたままです、殿下。私達は村に帰ります」
混乱している私の隣にいるレイちゃんは、ごく冷静に返答した。