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広い廊下を進むと、一室の扉が目の前で開いた。そして中から、血相を変えた侍女が一人、転がるように飛び出してきた。
「だ、誰か……!!」
言葉にならない叫びを聞いて、この部屋で間違いないと確信した私は、部屋へと飛び込んだ。
「ほら、遠慮しなくていいわよ!!」
うぉーーー!!しまった、遅かった!!間に合わなかった!!
「これが極上の焼き菓子だと言うのなら、食べてみなさいよ!!」
私が目にした光景は、一人の侍女の上に、レイちゃんが馬乗りになっていた。そしてレイちゃんの手には青虫がのっていた。クネクネとその存在を、アピールしていた。そして、その手は馬乗りになった侍女の口元へと、今にも押し付けられそうになっていた。
ひどく眩暈がした。
侍女は手で口を押えながら、青虫を食べさせられないように必死だ。もう涙目だ。
侍女たちは、一番喧嘩を売ってはいけない人物に、喧嘩を売ったのだ。
それを今は、身をもって知っている最中だろう。
現に誰も彼女を止められない――
「ほら!!美味しいからどうぞというのなら、食べてみせてよ!どんな味かを教えてよ!!」
「レ、レイちゃん……」
空気が凍っている。周囲の皆、ドン引き。
私が声をかけると、その場にいた侍女達がいっせいに私を見た。まるで、彼女を止めてくれとでも言いたげな視線を投げてくる。
自分たちが蒔いた種でこうなって、ここで私に頼むのは少し調子がいいんじゃないの?そう思ったけれど、そんなことも言ってられない。
「自分がねぇ、されちゃ嫌なことは、人にしてはダメなんだよ!これ常識!!――わかった!?」
馬乗りになられた侍女は、涙目になりながら、コクコクと頷いた。この場にいる誰もが彼女を止められずに、呆然とその光景を見ていた。
「……レイちゃん」
「あ、メグ!!」
再び、私が名前を呼ぶとレイちゃんは、パッと顔を輝かせ、馬乗りになっていた侍女から離れた。
「レイちゃん……この騒ぎは……」
「あんまりにも、ねちっこい女みたいな嫌がらせするからさ、ちょっと怒ってやったよ!!」
いや、レイちゃん彼女達は女性ですから。
「もしやメグ……」
レイちゃんがハッとして顔を上げた。
「あんたもやられた?焼き菓子に混じって青虫出された?」
ひっ……!!
レイちゃん、顔怖い怖い。声が低くドスがきいてる。レイちゃんの様子を見て、周囲の侍女達がますます顔を青くして、目を伏せた。やっぱり、皆グルだな。
「よーし!!メグに青虫出した侍女に、今から食べさせに行くか!!」
部屋を出て行こうとするレイちゃんの腕を、慌てて掴んでとめる。
「レ、レ、レイちゃん!私は大丈夫だよ、焼き菓子だけしか出されてないよ」
「……本当?」
レイちゃんが探るような眼差しを向けてくる。これは、絶対怪しんでいる。
「うん、美味しい紅茶と一緒だったよ!!」
「ふーん」
どこか腑に落ちない表情をするレイちゃん。
「なんで私にだけ、意地悪するんだろ。頭にくるわ。もしかして私が大人しそうだから、反抗しないとでも思ったのかしら?」
素で不思議そうに首を傾げるレイちゃんだけど、それはない。
むしろ、このレイちゃんによくぞ、こんなことをした。あっぱれ、逆に褒めてやりたい、侍女達のその根性を。
昔からレイちゃんは、やられたらやり返す。大人しく黙ってなんていない。
その分、情にも厚い性格なので、私が嫌がらせをされたら、自分のことのように怒ることもしばしだった。ただ、『倍返し』が基本なので、その光景に、私が青くなる場面も多々あった。
シャーと牙を出して威嚇するレイちゃんは、まだ怒り冷めやらぬといった様子だ。
無理もないか。青虫を出されるなんて、イタズラでもやり過ぎだ。
「いい?集団で嫌がらせされたらね、一番ボスだと思う奴にかかっていくんだよ。下っ端一人を潰したところで埒があかない。主犯格だと思う奴に当たりをつけて、そいつを真っ先に潰すんだよ。昔、先輩がそう教えてくれた」
あの……学生時代はどんなだったの?レイちゃん……。
レイちゃんなりのケンカ道を語ってくれましたけど、それって必要な知識なのかしら。
その時、騒ぎに気付いたらしい年配の侍女が一人、飛んで来た。どうやら侍女頭らしく、事情を聴いている。
侍女たちは罰が悪そうな顔をしてうつむいている。無理もない。ほんの悪戯のつもりが、返り討ちにあったのだから。
状況を尋ねられたレイちゃんは、
「いえ、大丈夫です。美味しいお菓子を出して貰っただけです。その時に彼女達が、少し粗相をしてしまったのです」
意外にも、侍女たちを庇った。これには私もびっくりしたが、侍女たちが一番驚いているだろう。
口を半開きにして、瞬きを繰り返している。
「まぁ!!それは申し訳ありません」
「いえ、彼女達も次からは気を付けてくれるでしょう」
「お優しい言葉をありがとうございます」
深々と頭を下げた侍女頭に、レイちゃんは頭を上げるように言い、優しい口調で語りかけた。
「ですが、次に同じことがありましたら、その時にはさすがに私も、怒ると思います」
美人なレイちゃんがにっこりと微笑むと、その破壊力は抜群だ。しかし、その笑みの真の意味を知っている私と侍女たちは目を伏せた。こ、怖い――。 侍女達よ、あの微笑みを見て、レイちゃんを敵にまわすなんて馬鹿な考え、即効捨て去るべし!
レイちゃんを怒らせると大変だ。なにせ、火の玉みたいな彼女なのだから。
しかしもう二度と、同じことはないと思うよ、レイちゃん。
そして皆に退室してもらい、レイちゃんと二人っきりになると、ドッと疲れが出てきた。
ソファに腰を掛け、深く沈みこんだ。
「しかし何で、こんな嫌がらせをされたのかしら。私が悪いことをしたなら、謝るけどさ。身に覚えもないわ」
どこかまだ納得していない様子のレイちゃん。
白黒はっきりつけたい性格の彼女だから、そう考えるのが普通だ。
だから私は先程見た、レーディアスさんと女性とのやり取りを、隠さずに教えた。ここは正直に話すべきだと思ったのだ。仮にレーディアスさんがレイちゃんを気に入ってたとしても、彼を庇う義理は今のところない。それどころか、今後のレーディアスさんとの関係をレイちゃんはどうするのだろう。今すぐじゃなくても、選ぶのはレイちゃん自身だ。その為にも、耳に入れておくべきだと判断したのだ。
「そうなんだ、罪な男だね、レーディアスも」
「うん。そう思う」
先程目にしたことをレイちゃんに話して聞かせると、レイちゃんは呆れたようにため息をついた。
「まぁ、人それぞれだし。私は自分に害がなければ、誰が何してようと別に構わないけどね。でも、個人的にそんな男は好きじゃないかな」
――はい、レーディアスさんの株が下がったよ。
「私も女性に不誠実なのはダメだと思うよ」
「ん、珍しいね?メグがそう言い切るなんて」
そう言って笑うレイちゃんだけど、当然ですよ。私の親友の未来が掛かっているかもしれないのだから。下手な男性にレイちゃんのことを、渡せないよ。――さて、今後は名誉挽回することは、あるのかな。
「ところでレイちゃん、魔力の試験はどうだったの?」
「うん。コントロールが出来るところを見せたら、あっさりクリア。この魔力で、国に仕える王宮魔術師にならないかと誘われたけど、お断りした」
「断ったの!?」
「うん。面白くなさそうだし」
ケロッと言うけれど、レイちゃん、それは凄いことだと思うよ。才能ある人にしか出来ないし、お給金だって破格だよ。それを伝えてみると、
「だって、人に縛られた世界で自由がない。それより火打石を作って、村民に配っていたほうが、魔力が役立っているって実感するわ」
忘れていた、レイちゃんは面倒なことが嫌い。
「村の皆の喜ぶ顔も見れるしさ。それに畑仕事をしたいよ。土が懐かしいわ」
それは同感するといわんばかりに、私も深くうなずいた。