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そして私達は無言のまま足を進めた。
長い廊下をしばらく進み、角を曲がると、一室の前に人影があった。どうやら壁に寄りかかっているみたいだ。私がそれに気づくと相手も気付いたようで、壁からパッと離れた。
「あ!来た来た!!メグ―!!」
レイちゃんの声だ。私に気付いて手を振っている。少しの間だけ離れただけなのに、その姿を見てホッとするなんて、私はレイちゃん依存症かもしれない。
「レイちゃん」
その時、私は隣を歩くレーディアスさんの顔をそっとのぞき見る。レーディアスさんは、レイちゃんを視界に入れたあと、一瞬口元を綻ばせた。そして新緑色に輝く瞳に宿る色が、優しくて甘い感情を示していたのを、感じ取ってしまった。
決定的な瞬間を見てしまった気がして、私は慌てて前も向く。
もしかして、いや、やっぱり、レーディアスさんってレイちゃんのこと、気に入ってる……?だって、先程会った女性とは、対応の差がすごい。
それに、すっごく優しげに目元を綻ばせたこと、自分で気付いていないのかな……?
私の予感が当たるのか、これから見極めが大事だ。レーディアスさんの気持ちも、人柄も。
「良かった、遅かったから、心配していたんだ」
何にも気付いていないだろうと思われるレイちゃんは、いつもと同じ明るい声を出す。
「レイちゃんこそ、早かったんだね」
「うん、あっと言う間だったよ。楽勝」
魔力を量るとか言っていたけど、案外簡単だったみたい。あとでじっくり話を聞こう。
「私はすぐに解放されたんだけど、ここがメグの部屋になるって聞いて、扉の前で待っていたんだ。私の部屋は、ここからもうちょっと先だよ。私も部屋に戻って着替えるわ。そしたら、また来るからね」
「うん」
そうして私達の会話がひと段落ついた頃、レーディアスさんが微笑みながら口を開いた。
「レイさん、無事に終わりましたか」
「あ、レーディアス」
レイちゃんが驚いたように片眉を上げた。
まるで、今気づきましたと、言わんばかりの言い方に、私はギョッとする。私の隣に立つ彼に、気づかないなんて……。こんなに目立つ人なのに。よほど私しか目に入っていなかったらしい。それに対するレーディアスさんは気にした風もない。
「じゃあ、今から着替えに戻るわ」
「うん、わかった」
レイちゃんが忙しそうに踵を返す。せっかちな彼女は、早く着替えて私と合流したいのだろう。私も話したい事がたくさんある。
「あ、それと……」
数歩進んだところで、レイちゃんがクルリと振り返る。
「レーディアス、メグの着替えをのぞいちゃ駄目だからね!!」
真面目に言うレイちゃんだけど、何を言い出すのか。むしろ私より、レイちゃんの着替えの方が見たいだろう、レーディアスさんは。
笑いながら手を振って部屋に戻るレイちゃんを、隣で並ぶレーディアスさんと見送ると、彼が口を開いた。
「レイさんは、いつでも天真爛漫ですよね」
「ははは」
少し呆れたように言うレーディアスさんだけど、自分で気づいてる?ずっとレイちゃんを目で追ってるよ。そして嬉しそうだよ?さっきの女性を相手にした時とは、まるで違う表情をしているよ?
「あ、そうだ、メグさん」
「はい、何でしょう」
思い出したように口を開いたレ―ディアスさんは、急に顔を引き締めて私と向き合う。
「先程の女性のように、私にあしらわれた女性が少なからず、この城にはいます」
「は、はい」
そりゃ、あの女性一人だけじゃないだろうな。もてそうだしね。
「ですので、メグさんとレイさんは、私が連れてきた女性ということで、周囲から冷たい対応をされるかもしれません」
「えっ!?」
「何か問題がありましたら、すぐに私に知らせて下さい。即、対処します」
にっこりと笑うレーディアスさんだけど、それって……。
そして私は気づく、気づいてしまう。
もしかして私達は敵の中。あらぬ誤解や女性の嫉妬を受けることになる立場?だけどそれは、私達は関係ないし、レーディアスさんの問題じゃないの?女性達にどんな態度を取ってきたのかは、よく知らないけど、ま、巻き込まれたくない……!それに『対処』って、どうするの?き、気になるけど、聞けない……!
そんな言葉は胸の中にしまった。口に出せない私は小心者なのだ。
そしてレーディアスさんと別れ、あてがわれた部屋に入る。着替えなどを一通り済ませた頃、三名の侍女が、カートを押して部屋に入ってきた。
どうやら紅茶を淹れてくれるらしい。喉が渇いていた私は、ありがたく頂くことにした。
ああ、やっとホッと一息つける――
私は革張りの高級ソファに腰を沈め、流れてくる紅茶の香りを楽しみながら、心待ちにしていた。
**
「さあ、お召し上がり下さい」
紅茶と共に差し出された皿の上には、甘い香りと軽く焦げ目がついて、シナモンがふってある焼き菓子がのっていた。バターの香りがして、とても美味しそうだ。
だが、侍女たちは顔を見合わせ、クスクスと笑っている。
そして私はこの場で一人、凍りついている――
「さぁどうぞ」
「……」
私は無言になる。なるしかなかった。
なぜなら皿の上の焼き菓子には、お客様がいたのだ。
焼き菓子の上でもぞもぞと動いているのは、青虫ちゃんズ。
最初は焼き菓子の飾りかと思って目を疑ったが、どうやら錯覚ではないらしい。
元気に動く飾りなど、あるものか。
いーち、にーい、わぁ、数えてみればなんと、三匹ものっていた。
焼き菓子がもったいない!なんてことをするのだ!!
正直、畑仕事をしていた私から見て、こんな青虫ごとき、摘まんでポイとするのは朝飯前なのだが、幼稚な嫌がらせにため息が出る。
美味しい野菜を食べている時に捕えられ、焼き菓子の上に乗せられて、青虫からみても迷惑な話だ。もちろん私にとっても。
それにこの虫は細いほうだ。畑仕事の最中には、私の親指ぐらいにプリプリに太った虫もいたぐらいだから。
さてどうしようか……。
レーディアスさんと離れた瞬間、早速の嫌がらせ。きっと彼と離れることを、侍女たちは待っていたのだろう。
しかし、ここで平気で青虫を摘まんでしまえば、次からもっと手の込んだ嫌がらせをしてくるだろう。
だったら、キャーとか言って叫べばいいのかな?その方が今後のためにも、得策かしら?
あー、どうしようかな。
侍女達が私の反応を、今か今かと思って見ている。ここはやっぱり期待に添えて……
私はすうっと息を吸い、軽く叫ぼうと思ったその瞬間、ハッと我にかえる。私は一番大事なことを思いだしたのだ。こうしちゃいられない!!
強い力で机に手をつくと、大きな音がする。その勢いで立ち上がると、側にいた侍女は驚いた顔をしていた。
「レイちゃんは!?」
「はい?」
「レイちゃんはどこ?彼女にはこんなこと、してないわよね!?」
私は必死の形相になって、青虫のいる皿を指でさした。
「さぁ?わたくしには、なんのことですか、さっぱり……」
私の動揺を面白そうに顔を歪めて見ている侍女達は、何かを勘違いしている。それが、なんとも言えずにもどかしい。
「教えて!!」
思わず声を荒げたその時、どこからか、何かを切り裂くような甲高い声が聞こえた。
――女性の叫び声だ。
それが聞こえた瞬間、私は一目散に部屋から飛び出し、その声を頼りに走った。