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「なっ……!!」
音の聞こえた方向へ目を向けると、城の一番高い場所にある一室の窓ガラスが割れ、そこから黒い煙がもうもうと噴き出している。
「あ、あれは……?」
突然の出来事に、私は目を見開く。
火事!?爆発?何かの事故!?煙が出ているなら、火種があるはず。だったら早く消さないと!!
「み、水、水!!」
焦りながらも爆発したと思われる窓を指さしながら、レーディアスさんに向き合った私。それとは反対に、レーディアスさんは冷静な様子で、ため息を一つついた。
「またですか」
「へ……」
その言い方に、どこか引っ掛かりを感じる。そもそもレーディアスさんは、なぜこんなにも落ち着いているのでしょうか……
「魔力が暴走なされたのでしょう」
「は……」
そ、それってつまり……
私は首をガクガク震わせながら、城をそっと振り返った。
割れて破片の飛び散った窓、部屋の中はまだ燻っていると思われる、黒い煙がもうもうと吐き出され続けている。
「あ、あそこは……?」
「アーシュレイド王子は、今はあそこにおられますね」
しれっと言うレーディアスさんに、思わず頬が引きつった。
「大方、舞踏会が嫌だとか、駄々をこねているのでしょう。しばらく私が留守にしている間に、少しは気が変わるかと思いましたが、そうではないらしい。まったく嘆かわしいことです」
「…………」
開いた口が塞がらないとは、まさに今の状態だ。
「ですが、最近では魔力が暴走する前に、結界を張ることを覚えられたので、ケガの心配はご無用です。――内面はお優しいお方なのですよ」
や、優しさが、まったく伝わらない!!
「わ、私……帰らないと!!」
これは王都観光も1000ペニーもいらないから、一目散に退散するに限る!危ないものには近寄らない!
命大事に!これ本当!
あたふたと踵を返した私の肩が、大きな手でがっしりと掴まれた。
「メグさん、どこへ行かれるのですか?そちらの方向ではないですよ」
焦る私とは対照的に、レーディアスさんは微笑みながら首を傾げる。
「む、村に帰らないと!!」
「ははは。メグさんは、冗談がお好きだ」
騙された、騙されたよーー!誰か助けて!レイちゃーーーん!!
レーディアスさんのこと、爽やかでカッコイイと思っていたけど、それは見た目だけで、とんだ策士だった!
これは絶対計画的でしょう!!これを私に告げるために、私とレイちゃんを離したんだ。
私は一人にされた真意をようやく語った。
いきなりこれを知ったら、レイちゃんはきっと怒り狂う。そして強大な魔力を持つレイちゃんは、私が嫌だと言ったら、全力で村まで連れ帰ろうと決行するはず。
例え、雨が降ろうが槍が降ろうと血の雨が降ろうとも……。想像するだけで、何が起こるか予想がつきすぎて怖い。この人もそれを見越したんだ!!
「私、何を言われても村に帰ります……!だ、だってコケ子とモーモーが私を待ってる!お腹を空かせている!餌をあげないと!!」
「鶏も牛も、村長宅にお願いしたじゃないですか」
「で、でも……」
私は次なる口実を、必死で考える。瞳をさまよわせる私に、レ―ディアスさんの薄い緑の瞳が細められ、口元に弧を描いた。
「そこまで気になるようでしたら、今度、会わせて差し上げます」
「え、え、ええ」
「メグさんの食卓に上がりますよ」
い、意地悪だぁぁぁぁぁぁ!!!
レイちゃん!!!この人、意地悪だったよ、優しいなんて嘘!
やっぱり初対面の人間を、そう簡単に信用しちゃいけないんだ。世知辛い世の中は、日本も異世界も一緒なんだ!!
顔面蒼白になった私に、レーディアスさんは、少しだけバツの悪そうな顔を見せた。
「すみません、メグさん。冗談を言い過ぎました」
「じょ、冗談!?」
う、嘘だ!さっきのは絶対本心だったね!私はもう騙されないからね!
「しかし、そう悪い状況にはならないと、私が約束をします」
「何を根拠にそう言えるのですか?」
「勘です」
根拠のないことをあっさり断言してきた彼に、私は肩をガクッと落とした。
「私の勘が当たり、アーシュレイド様が一言却下といえば、すぐに帰れるじゃないですか。大金を手にして」
「うっ……!!」
「村長や村の皆も、お土産を待っていらっしゃるでしょう?」
――そうして私も甘い誘惑に負けた。
レイちゃんのことを言えない、お金に弱いのは、私もだったみたい。
それにここまで来て、絶対帰してもらえないだろう。そう断言できる。
私は先程の浮かれ気分の足取りはどこへやら。とぼとぼと重い足取りで、レーディアスさんの後をついて歩く。いつか仕返ししてやるリストに彼の名を刻みながら、レーディアスさんの広い背中を恨みがましく見つめていた。
**
城内に入り、レーディアスさんの案内の元、廊下を進んでいた。広い通路、敷き詰められた高級な絨毯に、居心地が悪く感じられる。
私はなぜこんな場所で歩いているのだろう。村の畑で収穫して、こんな天気のいい日は川で張り切って洗濯をしていた日々が懐かしい。コケ子とモーモーは元気にやっているだろうか。
帰りたいな……
感傷的になっていると背後から、女性の呼び止める声が聞こえた。
「レーディアス様!!」
振り返ると、そこにはウェーブになっている金の髪が腰まで長く、白い肌に、ほんのり赤く染まった頬。パッチリとした二重瞼に長いまつげの、小柄で可愛らしい女性が立っていた。
「レーディアス様、ようやくお会いすることが出来ましたね」
女性はレーディアスさん目がけて一直線に、喜んで側に近寄ってくる。その様子では、私のことなど視界に入っていないと思われた。彼女の表情は眩しいぐらいに晴れやかで、その様子から彼に恋をしているのだと感じた。
しかしそれに対するレーディアスさんが、一瞬眉をひそめたのを、私は見逃さなかった。
「申し訳ありません。勤務中ですので」
「そんな……レーディアス様。次はいつ頃会えますの?」
「運が良ければ、こうやってまた会えますよ」
「私が言いたいのは、そういうことではなくて……!!」
彼の対応は驚くほど、冷ややかだ。
頬が瞬時に朱色に染まった女性を見て、修羅場の予感がする。そして、巻き込まれてはいけないと、私は三歩後ろに下がる。
よし、レーディアスさんがどんな男性か見極めるべし。――レイちゃんの将来のためにも。
そして私は見物を決め込むことに決めた。
「お誘いしても、いつもつれないお返事ばかり。私、もう待ち焦がれましたわ」
「そうですか。焦げるまでとは大変です」
「そんな……」
レーディアスさんは爽やかな笑顔を浮かべてはいるが、目が笑っていない。
目の前の女性を面倒だと思っているのが、すごくよくわかる。
やがてため息を一つつくと、うつむいている女性に声をかけた。
「私に構う時間が勿体ないですよ。花が散る前に、お気づきになられた方が賢明です」
「……っ」
今の一撃は、相当痛いと思う。そう言われた女性は、涙を堪えながらも走り去った。ほんの一瞬の出来事に私は唖然としながらも、その姿を見送った。
「さぁ、行きましょう」
そして何事もなかったように、颯爽と歩き始めるレーディアスさんに、思わず言ってみた。
「冷たいのですね」
「私ですか?」
「ええ」
正直、冷たいでしょう。私は大きくうなずいた。
やはり、優しそうに見えて、この人は侮れない。本当の性格を見極めるには、まだまだ時間が足りないと感じる。
「下手に優しくしては、相手に期待を持たせるだけになります。こうするのが、一番の解決策です。あとしばらくすれば、彼女は自分に相応しい優しい男性の隣で、にこやかに笑っておられるでしょう」
にっこりほほ笑むレーディアスさんを見ていると、つい口から出てしまった。
「なんといいますか、知り合った女性の大半は、虜にしていそうですよね」
「まさか、そんなことはないですよ」
そう言って笑う顔からは、色気が駄々漏れしている。これでモテない訳がない。そんなことを言ったら、本当にモテない男性はどうなるのだろう。ただの道端の石ころ以下になるだろう。
「そんなレーディアスさんが本気で好きになる女性とは、どんな人なのでしょうね。見てみたいです」
思わず口から出た私の本音を聞いたレーディアスさんは、口端を軽く上げた。