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――などと、鈴木は、質問してきた女性に簡単に説明した。周りの者は、黙って聞いていた。いつの間にか、数馬の隣に寄り添うように少女がしゃがんでいた。
やがて、扉を開けた茜の後から、軍用医療キットを抱えた男性店主が入ってきた。
茜の姿を認めて礼を言う女性店主。
「片づけありがとう、茜ちゃん」
「あっ、ありがとう」
続いて、軍用医療キットをそばに置いてくれた男性店主にも礼を言った。
「すみません……」
と、鈴木。床に置かれた医療キットを見て、頭を下げる。
女性店主は、慣れた手つきでキットを開けると、鈴木の手の治療に取りかかった。
鈴木の手を消毒し、傷口をふさぎながらテープを貼る女性店主。
「これは、ずいぶん高価な……。皮膚と同化する絆創膏じゃないですか……。お金払いますから……。ありがとうございます……」
と、鈴木。
「いいえ。気持ちだけで結構です。開封済みのやつですから……。これ、皮膚の拒否反応を抑える軟膏です。1日3回塗ってください。ここに入れときますね」
女性店主は、さばさばした口調で言うと、その軟膏の入れ物を鈴木に見せ、医療キットの分かりやすい場所に入れた。
鈴木の隣にいた三浦が、何も言わず女性店主に頭を下げた。あの三浦が頭を下げたことは、数馬には意外だった。他の者たちもそう思っただろう。
周囲の雰囲気が若干あたたまったのを感じた数馬。そんな時、少年が通用扉から顔を出し、女性店主の姿を認めて声をかけた。
「あのう……。すいません。こちらにカップってありますか?」
「野営用の味気ないのしかないけど、それでよかったら……」
「はい、それで結構です」
すがすがしい少年の笑顔。射撃場のどんよりとした雰囲気に光が差すようだ。
「じゃあ、一緒にいれましょうか……。ちょっと待っててくれる?」
と、言って立ち上がる女性店主。
「はい。ありがとうございます」
少年は返事をして、扉の向こうに消えた。
「123……4、5……」
一人ひとり指差しながら、人数を確認する女性店主。
「若葉ちゃん。俺、冷たいのがいいな」
男性店主が言った。
「んっもう! 途中で話しかけないでよ!」
と、女性店主。
「冷たいのがいい方、いらっしゃいます?」
と、女性店主が言うと、何人かが手を挙げた。挙手したのは、男性店主、数馬、茜、男女2人組。
「5人ね。氷足りるかしら……。それで、カップは、えっと……。123……4、567……、89……10。ちょうど10人ね……」
人数を確認して扉に向かう女性店主。扉の前でふと立ち止まると、振り返り、再びぶつぶつと人数を確認する。数え終わると、ひとりでうなずいて、扉の向こうに消えていった。
「紅茶をごちそうしてくれる方がいらっしゃいますから、みなさんでいただきましょう。さ、こちらに座ってください」
ロッカーの前にいる人たちを促す男性店主。鈴木と三浦を残して、皆がその場を離れた。
「さ……、少し落ち着きましょう。さっ、こちらへ……」
その場に残った2人に、もう一度声をかける男性店主。鈴木が三浦を抱えるようにしておもむろに立ち上がる。
「さっ……」
ゆっくりと歩き始めた2人を男性店主が促した。
鈴木と三浦が長椅子に向かうのを確認して、男性店主が続けた。
「それと……、紅茶を置く台か何かがあるといいな……。そうだ、商品の陳列台を使おう!」
男性店主は、今までの殺伐とした雰囲気を変えようと努めているようだ。
「店長、手伝いますけど……」
腰を上げる数馬。その様子を、隣にいた少女が不安そうに見る。少女は数馬のそばから離れたくないようだ。
「いいよ。そろそろ、紅茶が来るだろ」
男性店主は、早足で通用扉に向かった。
――一方、紅茶を用意する女性店主と少年。
「あら、ずいぶん本格的ね?」
と、笑顔で言う女性店主。
「ええ、せっかくですから……。みんなで飲んだ方がおいしいですし」
爽やかな笑顔を浮かべる少年。
「おい、どうだ?」
男性店主が給湯室を笑顔でのぞき込んだ。
「あともう少し」
女性店主が返事をする。
「君! 他の人も誘っていいかな?」
と、男性店主が少年に聞く。
「え……ええ。もちろんですよ」
少年は少し間を置いたものの、笑顔で返事を返した。
「若葉ちゃん! お隣さんにも人がいるって言ってたな」
「うん」
「声をかけて、様子、見てきてくれる?」
「わかった」
「俺は、紅茶を置く台を用意しておくから」
「あっ、ありがとうございます」
2人の会話の間に入って、礼を言う少年。女性店主の向こう側から笑顔で男性店主に頭を下げた。男性店主は、うなずいてその場を離れた。
「じゃあ、後はお願いしていい? 私、隣のお店を見てくるから」
「ええ」
「また、手伝いに来るわね」
「お願いします」
少年の返事を聞くと、女性店主は給湯室を出ていった。
そして、無機質な射撃場にささやかな紅茶の席が整った。
「いやあ、雰囲気が明るくなったな。うん」
うれしそうに言う男性店主。女性店主の方を向くと、彼女もうなずいてそれに応えた。
商品陳列用のテーブルに置かれた2つの盆。その上にキャンプ用のホーローカップが置かれている。店の商品だったもので、外側の色は、白、黄、赤、青、紺、黒、橙、茶など、それぞれ違う。どのカップも内側は白で、そこに黒く透き通る紅茶が注がれている。彩り豊かなテーブルになった。
2つの盆のそばには、一つひとつ包装された既製品のクッキーが積まれている。パッケージを見ると、表面にジャムが載ったタルト風クッキーのようだ。赤、紫、橙色と3種類ある。
皆が座っている長椅子は、そのテーブルの方を向いて〈く〉の字型に配置されている。
「みなさん、この席は、こちらの方がご厚意で設けてくれました」
皆の前で少年を紹介する男性店主。
「お名前をまだ聞いていませんでしたね」
「ボクは、山本です。みなさん、どうぞ召し上がってください」
少年は、ぺこりと頭を下げると、手を差し伸べて、皆を促した。
「あっ、冷たい紅茶は、青と紺と黒のカップに入っています。どうぞ……」
「山本君が、そうおっしゃってくださっているので、みなさんいただきましょう」
少年の隣に立っていた男性店主も促した。
「この場を使って、自己紹介しませんか? 山本君だけが名乗るのもおかしな感じなので……」
と、続ける男性店主。座っていた何人かがうなずいた。
「あっ、じゃあ、座ってください。山本君……。ちょっと狭いですけど……」
確かに狭い。2つの長椅子にはすでに4人ずつ座っている。壁側の長椅子に座っていた2人組の男女が席を詰める。
「いや、ボクはこのままでいいです」
と、少年は、にこやかに言うと、自分から、積極的にカップと菓子を手にして、壁に寄りかかった。それを見た他の人たちもちらほら手を出し始める。
鈴木が左手で自分のカップを、右手で三浦のカップを取る。
数馬もカップに手を伸ばす。手にしたカップは、まず茜の方に差し出した。
「ありがと……」
両手で受け取る茜。数馬はこくりと小さくうなずいた。
続いて、カップを少女に差し出す数馬。少女はうつむいたままだ。
「大丈夫、そんなに熱くないから」
数馬は、少女の右腕をそっとつかむと、その手にカップを近づけた。少女はようやく両手でカップを持った。
男性店主は、カップが行き渡ったのを見て自己紹介を始めた。
「ええ、私は、この店の店主の、渡辺則光です。こっちは妻の若葉です」
と、言って小さく頭を下げる男性店主。顔も体も精悍で、Tシャツの上から盛り上がるたくましい胸が印象的だ。
男性店主の紹介に合わせて頭を下げた女性店主も、引き締まった顔と体格をしている。立ったままカップを持った二の腕には、力こぶができている。
「じゃあ、そちらからお願いできますか?」
と、左の席から自己紹介を促す男性店主。20歳前後の女性が立ち上がった。
「中村です。隣のお店で働いていました。お声をかけていただいてありがとうございます。ひとりでいて心細かったのでとてもうれしいです!」
明るい雰囲気でかわいらしい女性だ。大きな胸が、作業用のエプロンの上からでも分かる。少しふくよかに見えるのは、たまたま居合わせた他の人たちの誰もが、細身だからだろう。
向かいに座っていた少年、山本が、笑顔でうなずいた。中村に会釈を返したというよりも、〈うなずいた〉という表現が似合う仕草だった。
中村が腰を下ろすと、少しの間沈黙が続いた。次は、数馬が助けた少女だった。
静かにうつむいたままの少女。黙って、カップの中を見つめている。青白く見えるほど肌が白く透き通り、かすかにそばかすもある。両親のどちらかは明らかに白人のようだ。
「じゃあ、先に僕が……」
と、数馬が自己紹介をした。続いて、茜、三浦、鈴木が名前を名乗る。
さらに、男女2人組の男性と女性。2人ともサイトウという名字だった。
「ごきょうだい?」
と、女性の紹介が終わると、女性店主が聞いた。
「いえ……、あの、字が違います。と、友達です」
と、答えた女性が顔をほんのりと赤らめた。凛々しさにあどけなさが残る美人だ。
静かで穏やかなひと時。皆、思い思いに紅茶を飲み、菓子を食べている。ふさいでいた少女や三浦もカップを口元につけていた。
紅茶を半分以上一気に喉に流し込む数馬。喉が渇いていた。うまい、としみじみ思う。
喉が渇いていたのは、数馬だけではなかったようだ。
「お代わり入れてきましょうか?」
と、男性店主に声をかける少年。男性店主のカップの持ち方は、中身が入っていないと誰の目にも分かるものだった。
「いや、いいよ。ありがとう。ちょっと、みんなでゆっくりしようよ……。飲みたくなったら、自分で飲み物を用意するよ」
男性店主は笑顔を浮かべた。
「いえいえ、みなさんがお代わりできるように、新しいお茶をいれてきます。あったかいお茶になりますけど……」
少年が席を立った。
〈……現在も軍や当局の必死の対応が続いていますが、事態は全く収束していません。2週間前には、全国でヌエの一斉駆除が行われたばかりで発生した今回の事態。政府では……〉
テレビの音声が聞こえてくる。
数馬は画面に目を向けた。ヌエが発生してから落ち着いてテレビの画面を見た記憶がない。各地で混乱が続いているようだ。中継映像は流れない。数馬が男性店主と茜と一緒に見た最後の映像が何度も流されている。
よりそっていた少女の重みが増したように感じた数馬。自分の右の二の腕の方を見ると、少女が全体重を預けて目をつむっていた。安心したのだろうか。
まだ幼い寝顔。数馬から無意識に笑みが漏れる。
〈繰り返します。みなさん、事態が収束するまで外出しないでください! 雨戸のある家は、閉めてください! 雨戸のない家や建物にいる方は、窓から離れ、建物の奥に避難してください! 災害用伝言電話については、画面の上をご覧ください……〉
(そうだ……。伝言電話で実家の家族に声でも入れておこうか……。田中さんは……?)
と、思い、茜の方を見る数馬。茜は生あくびをしていた。
「田中さん、家族に伝言電話は……?」
「ん……? うん……」
茜の目が、とろんとしている。数馬の知らない表情だった。他の人にはそう映らないかもしれないが、数馬には、そこに何か色っぽさのようなものを覚えた。
数馬の二の腕を枕にしながら、うとうとしている少女を起こすのは、悪いと思いながらも、立ち上がろうとした数馬。しかし、体がひどく重い。頭がぼんやりする。
突然、聞こえたガタッという音に、体をびくりとさせる数馬。必要以上に驚いた。頭が半分眠りかけているようだ。
数馬が音のした方を向くと、バランスを崩した茜が手を台についていた。立ち上がろうとして、よろめいたようだ。うまく立ち上がれないのは、茜だけではない。三浦も、長椅子の背もたれに左手を付き、中腰になったまま動けないでいる。
数馬の頭が、本格的に〈ボーッ〉としてきた。
〈にげだした○いぶつ○いきで○な○かとの○○もありま○が、ど○○も○れ○○か?……〉
テレビの音声が次第に遠のいていく。
次に数馬の意識が戻ったとき、目に入ってきた光景は、以前とは全く別のものだった。まるで、異世界にでも迷い込んでしまったように感じた。