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「生存者はいましたが? 生きていましたがあ? 見殺しオンナ。見殺しオンナあああ!」

 と、三浦の怒声を背中に浴びながら、女性店主の方へと歩いていく茜。

「なあに?」

 と、女性店主は、普段以上の笑顔をつくり、茜に話しかける。

「佐藤さんが、呼んでます。女の子と一緒に廊下に……」

「分かった。一緒に行こうか……」

 女性店主は、茜の肩にそっと手を置いた。

「命がけで行ったのに、感謝の言葉もないんですな」

 男性店主の強い口調が聞こえる。三浦に向けた言葉だ。

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 これは三浦ではない。鈴木の声だ。

「あっ! 見殺しオンナが来た! 私を殴ってまで光矩(みつのり)さんを探すのを止めた人だあ!」

 と、三浦は、男性店主の言葉には耳を貸さず、近づいてくる茜をあからさまに指差す。

「やめなさい! 牡丹(ぼたん)

 三浦に怒鳴る鈴木。

「すみません。取り乱してしまってまして……。本当にすみません。お恥ずかしい。すみません」

 そう言って、周囲に頭を下げた。

「鉄砲好きな人にお願いして何が悪いの? そういう時のために練習してるんでしょ?」

 わめく鈴木。近づいてきた茜がしゃがんで三浦の襟首をつかんだ。

「じゃあ、アナタは店長に何かしてくれるの? 佐藤さんに何かしてくれるの? あんな危険なこと、アナタの常識ではどうか知らないけど、私の常識ではとうてい許されることではないの」

 茜は三浦の襟首をさらに引く。

「いい? 分からなくてもいいけど、アナタの考えを押しつけないで……」

 〈静かな威圧感〉。今の茜の雰囲気は、そういう形容ができる。雷鳴を内に込めた夕立前の曇り空ような威圧感を、三浦は全身に受けた。

「アナタのために訓練しているわけじゃないの。それは分かるよね。オトナだものね」

 と、言って、三浦の襟首を突き放した茜。女性店主に促されて、射撃場を出て行った。

 緊張の糸が切れたように、うなだれる三浦。鈴木は、それを慰めるように、手を三浦の肩にまわした。

 茜が女性店主を廊下に連れて来た。

 数馬は、それを見て、自分の首に絡んだ少女の腕を引きはがすと、抱えていた少女を大切な物を扱うように、そっと床に降ろした。

 少女は、床にぺたりと尻を落として動かない。兄のジャケットをぎゅっと両腕で抱きしめている。

「さ……、こっちにいらっしゃい……」

 女性店主は声をかけると、少女を抱えて、倉庫に連れていった。

 少女が倉庫に入っていったのを見て、職員用男性トイレに入る数馬。洗面台に手をついて大きくため息をつく。

〈ねえ、茜ちゃん、ちょっと手伝ってくれる?〉

 倉庫から出てきた女性店主が、入り口で待っていた茜に声をかけ、そのまま女子トイレに駆け込んでいくのが聞こえてくる。

 少女の腰を押さえていた両手に、おそるおそる鼻を近づけ、顔をしかめる数馬。やはり臭う。

 防護服の上から手洗い用の石けんをつけ、念入りに洗う。手を振って念入りに水を切ると、今度は清掃用具入れからモップを取り出した。

 清掃用の流し台でモップの先をゆすぐと、緩く絞り、少女が腰をつけた床を念入りに拭く。水滴で床に筋ができ、それがモップの動きに合わせて前後左右に踊る。

 倉庫から足早に出てきた茜が、数馬の様子をちらりと見て女性用トイレに入っていった。

 次、茜がトイレから出てきたときには、廊下に数馬の姿はなかった。

 数馬は、トイレでモップを念入りにゆすぎ、今度はしっかり絞って、用具入れに戻していた。

 皆がいる射撃場へ向かう数馬。扉を抜けると、鈴木と三浦が寄り添うようにしてロッカーの前の床に座っていた。

 長椅子に座っている少年と2人組の男女。少年は、持っていた|大きなスポーツバッグを開いて中をまさぐり、男女は、テレビを見ながら小声で何やら話している。

 男性店主は、カウンター正面の射撃台に寄りかかり、数馬を待っている。数馬と目が合うと、数馬の銃をすっと掲げた。数馬が肩に提げている自動散弾銃と交換しようということなのだろう。

 長椅子を迂回して、男性店主に歩み寄る数馬。

「店長、着替えませんか?」

 と、銃を交換しながら言った。

「ああ……そうだな……。サトちゃんの入れ物、そこにあるぞ……」

 と、カウンターの方に視線を向ける男性店主。数馬もその方を見ると、確かに自分のガンケースと茜のガンケースが、カウンターのそばに寄せられている。

 散弾銃を持ち、カウンターの向こう側へ行く男性店主。数馬も、ケースのそばでしゃがむと、小銃のレバーを引き、最後の1発を取り除いて、丁寧にケースに収納した。

 散弾銃をしまった男性店主が数馬を待っていた。

「おい、電話したか? 伝言電話……」

 銃を収めた数馬が立ち上がったのを見て、話しかける男性店主。

「着替えてからで大丈夫です」

 と、数馬。

「そうか……」

 と、男性店主は、射撃台に置いておいたヘルメットを手に取り、数馬と一緒に通用扉に向かった。

 ふとロッカー前で足を止めた数馬。男性店主も動きを合わせる。

「これ、戻しておきますね……」

 と、鈴木に声をかけ、数馬は、そのそばに置かれていた自分のヘルメットを手に取った。

 小さくうなずく鈴木。三浦は、うなだれたまま床をぼんやりと見つめていた。虚空を見ていたと言った方がいいかもしれない。

 鈴木は、男性店主と目が合うと小さく頭を下げた。

「お騒がせ……、しました……」

 という鈴木の言葉にうなずいて、男性店主は通用扉を開けた。数馬がそのあとについていく。

「すみません……」

「何でお前が謝るのよ」

「仕事の同僚ですから……」

「そういうものか? 分からんな。取り乱しているって言ったって、あの女の人の言動は、まともじゃないよ……。まともじゃない……」

 などと、言いながら、倉庫の扉のノブに鍵を差し込み、手をかける店主。話し込んでいたために、鍵がすでに開いてることに気付かなかった。

「ほれ! 早いとこ、着替えようか……」

 と、言いながら、数馬の背中を押して先に入れる店主。次の瞬間、数馬の目に女性の裸が飛び込んできた。

「こらっ! 使用中だよ!」

 怒鳴る女性店主。

 慌てて閉める数馬。しかし、一瞬ではあったが、数馬の目には、裸の少女の横姿が頭に焼き付いてしまった。ほとんど何も置かれていない倉庫棚の隙間から見えたのは、透き通るような真っ白い肌、すらっとした体の曲線、胸と尻の小さな稜線(りょうせん)……。そばにいた女性店主と茜は、全く目に入らなかった。少女の姿が無意識に脳裏を反復し、じわじわと数馬の顔が紅潮する。

「おい、どうした?」

 と男性店主。

「あっ、いや……。先客が……」

「まだ着替え終わってないのか? 俺たちの置きっぱなしの着替え、返してくれって頼んでくれよ」

「いやっ、あのっ、できませんよ」

 慌てる数馬。

「はあ? 何を中学生みたいに……。じゃあ、俺が言おう」

 と、男性店主は、扉をノックする。

 小さく開いた扉から、手が出てきて、2人の男の服が廊下に積まれた。最後に茜の顔半分がちらりと出できて数馬の方を向き、扉が閉まった。一瞬のことだったが、数馬には、じっと見られたような気がした。

「おお、出てきた、出てきた」

 と言って、服を手にする店主。自分以外の服を数馬に手渡す。

「隣の倉庫で着替えますか?」

 と数馬。

「男はここでいいだろ、別に……」

 と、自分の強化防護服に手をかける男性店主。

「あっ、はい……」

 数馬も防護服を脱ぎ始めた。

「ここの地下駐車場って閉鎖できないんですか?」

 と、数馬。脳裏を行き来していた少女の白い裸体が、真っ赤な血の惨状に上書きされた。

「いや、どうだろ。意識したことがないから分からないな……。普段開いているのは間違いないよ。今だって開いてるんじゃないのか?」

「開いてるとしたら、化け物が避難階段からここに入ってくるってことはありませんか?」

「そうなんだよ……。カミさんから聞いたよ……。まあ、すぐにここまで入って来られないとは思うがな。避難経路にある扉ってのは、売り場から避難方向に押して開くようにできている。逆方向は引いて開けなきゃならない。つまり、ここから避難階段へは、扉を押すだけで簡単に行けるけど、避難階段からここへ来るには、扉を引かなきゃならない。扉の取っ手は特殊な形状をしているし、ヌエがそう簡単に扉を引けるとは思わないしな……。まあ、対策は考えてあるよ……」

 と、男性店主は、着替える動きをいったん止めた。

「……扉にセンサーをつけて……」

 防火扉の避難扉を指差す店主。

「……ここに照準カメラをつけようと思っている……」

 店主は、体をひねって、店内に入る扉の右上、廊下の突き当たりの隅を指差した。

「悪いけど、その時は、手伝ってくれ」

「はい」

 数馬が返事をしたとき、射撃場の通用扉から、少年が出てきた。

「みなさんで、休憩しませんか? ちょうど、おいしい紅茶とお菓子を買ってたんです。用意してきますね」

 すがすがしい笑顔を浮かべる少年。紅茶の缶を数馬と男性店主に見せながら、給湯室に入っていった。

 やがて、着替え終わった2人は、自分の服とヘルメットを抱えて、倉庫の扉の前に立った。

 扉をノックすると男性店主。茜がすぐに出てきた。

「どうぞ……。もう……入っても大丈夫です」

 と、ぼそりと言って、扉を開け放つ。

「おお、かわいらしいじゃないか」

 と、男性店主。

 すかすかの在庫棚の向こう側に、軍用のつなぎ作業服をだぼっと着ている少女の姿が見えた。サイズが大きいらしい。余った袖や裾を巻き上げてある。店主には、それがかわいらしく見えたようだ。

則光(のりみつ)さん、ちょっと! そこに荷物置かないでよ! そこは特売品を置く棚でしょ」

 と、女性店主。男性店主が強化防護服とヘルメットを無造作においたためだ。

「非常時だからいいじゃない。これじゃあ、次、いつ特売できるかわからないし」

「んっもっ!」

 と、女性店主。

「サトちゃん、ほらっ……」

 装備を棚に置くよう数馬に促す男性店主。数馬は女性店主の顔色をうかがうようにおそるおそる置いた。

 女性店主は、茜と一緒に、カサカサと音を立てながら、ビニール袋を片づけている。少女の服や、その体を拭いた手ぬぐいだろう。

「大丈夫か? 何か手伝うことないか?」

 と、男性店主。

「ありがとう、大丈夫……。じゃ、茜ちゃん、これお願いね?」

 と、言って、女性店主は立ち上がり、少女の肩をそっと抱えた。

「さっ、行こうか……」

 少女に優しく声をかける女性店主。少女は、こくりと小さくうなずくと、女性店主に促されて倉庫を出て行った。

「少年が紅茶を振る舞ってくれるってさ。みんなで、ひと息つこうか……」

 と、言って、男性店主も2人について出ていく。

 倉庫には、茜と数馬の2人になった。数馬からは、棚の向こうに茜の姿が見える。カサカサと音を立てて、ビニール袋をつかんでいるようだ。

「あっ、あのう……何か手伝おうか?」

 棚越しに声をかける数馬。茜は左右の手に持ったビニール袋をちらりと見ると、数馬の方に顔を向けて首を小さく横に振る。その顔には控えめな笑顔が浮かんでいた。

 茜と一緒に倉庫を出た数馬は、従業員用の女性トイレで別れた。数馬は、そのまま射撃場に戻る。

 床に座っている鈴木のそばに、男性店主がしゃがんでいる。鈴木が手のひらを気にしているのを、男性店主がたまたま目にとめたらしい。

「失礼……」

 鈴木の両手首を握り、手のひらを上にする男性店主。

 ちょうど射撃場に入ってきた数馬は、鈴木が両手をかばいながら広瀬の亡きがらを引っ張り出していたのを思い出した。

「これは、ひどいな……」

 男性店主はつぶやいた。

 鈴木の手のひらは、両方とも乾いた血で黒ずみ、真一文字に傷が開いている。

「大丈夫ですよ。あの時、拳銃も握れましたし……」

 苦笑いを浮かべる鈴木。

「若葉ちゃん! この人の手、見てくれる? 俺は、救急箱を取ってくる!」

 男性店主は、女性店主を呼んだ。

「す、すいません。ありがとうございます」

 と、鈴木は、深々と頭を下げた。

 男性店主と入れ替わるように女性店主がやってきた。

「怪我を見せていただけますか?」

 女性店主の言葉に応じて、鈴木は、両方の手のひらを見せた。

「うわっ……。あっ、す、すみません……」

 これは女性店主の言葉ではない。長椅子に座っていたはずの女性の声だ。いつの間にかそばに立っていた。興味があったらしい。

「いえ……」

 照れくさそうに手を隠す鈴木。

「これって、今テレビでやってるヌエにやられたんですか?」

「ええ……。怪我をした部下を連れて、トイレに逃げ込んだんですが……、同僚は……」


 ――その時の光景が鈴木の脳裏によみがえる……。

「早く行け! 何してる!」

「通してくれ、お願いだ!」

 叫び声や悲鳴に近い怒号が聞こえた。ぐったりとした広瀬を背負ってトイレに逃げ込んだ鈴木は、その通路をふさぐ形になってしまった。

 大きな衝撃を感じ、前へ押し出されるように倒れた鈴木。トイレの床に倒れた状態で振り返ったとき、白い獣が2匹見えた。広瀬の反応はない。人の波に押しつぶされて、腹ばいに倒れたままだった。

 夢中ではいずりながら、目に付いた個室に入る鈴木。自分の体が全て入った時点で、夢中で立ち上がり、体で扉を閉めて、鍵を閉めた。外からは、野太い悲鳴やうめき声が聞こえてくる。

 洋式便座の(ふた)を閉め、そこに乗る鈴木。相手は獣のような化け物だ。扉の下の隙間から口や前足を入れてくると思ったのだった。

 案の定、刃物のように鋭い爪と白い前足が、扉の下からのぞいた。こちらを探るように左右に動いている。

 しかし、しっぽが入ってくるのは予想外だった。長く鋭い尾先が鈴木の背後にある壁を突いてきた。

 命の危険を覚えた鈴木。尾先の動きが弱まった瞬間を逃さずつかむ。

 釣り上げた魚のように、ぶりぶりとうごめく尾先。鈴木は放さないよう、引き寄せながら手に巻き付けようとした。

 ヌエの尾先と鈴木との格闘はしばらく続いた。鈴木の気持ちは、その尾をいっそ引きちぎりたいくらいだった。しかし、人間の握力には限界がある。ふと、気が緩んだ次の瞬間、掃除機の電気コードのように、するりと鈴木の手を抜けていった。

 「うっ……」と、顔をしかめる鈴木。両手の傷は、その時に付けたものだ。しかし、この程度の傷で済んだことを、鈴木は幸運に思っている。つかんでいなければ、確実に刺し殺されていたと思ったからだ。

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