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 トイレの入り口に人間が4人、トイレの外にヌエが2匹、残る弾は2発。

 ヌエの出方をうかがう店主。弾が外れる可能性を考えると、遠くからうかつに発砲することはできない。

 相手も人間の出方を待っているようだ。店主に仲間を何匹も殺されている。遠くに見えるヌエも、近くにいるヌエも、うろうろと様子をうかがっている。

 はっと、われに返り、手に持っていた銃のシリンダーを倒す鈴木。

「ここにあと3発あります。これで間に合いませんか!?」

 鈴木は気を利かせたつもりのようだ。

「その銃では……。何もないよりはいいですが……」

 そう答える店主の語調は重い。ヌエが突っ込んできたら、対人用の拳銃弾くらいでは、止められないだろう。

「チッ、もう1匹飛んできやがった……。こちらからしかけちまおうか……」

 ヘルメットをかぶっている店主の言葉を聞いて、辺りを見回す数馬。左手に見える吹き抜けのホールに、ヌエが1匹浮遊している。

 胸がぎゅうっと締め付けられる数馬。あまりに心細い。数馬の喉が〈グウッ〉と変な音を立てた。つばを飲み込もうにも、喉がからからでうまくできない。

『私、弾持って行くから! 踏ん張って!』

 女性店主からの無線が入る。男性店主や数馬のヘルメットにはカメラが搭載されていて、それに捉えた映像は、射撃場のモニターで見ることができる。今までの動向を黙って見ていたが、ついに我慢できなくなったのだろう。

「いや! 来るな! 何とかする! 悪循環に陥ったら大変だ」

 きっぱりと断った店主。女性店主はそれ以上何も言わなかった。

「サト!」

「はい!」

「俺は、正面にいるのを仕留める。お前は、空を飛んでるのを撃て!」

「はい!」

「足の悪いヌエは無視して階段に駆け込む!」

「はい!」

「仕留められなくても、ヌエが落ちたら、階段に向かえ! いいな!」

「よし!」

「みなさん! 私とこの人が発砲したら、避難階段に駆け込んでください! 私が殿(しんがり)を務めますから、後ろを振り向かないでください!」

 と、叫んで、ちらりと2人の様子を見る店主。鈴木は、拳銃をぎゅっと握ってうなずいている。少女は、うずくまったまま泣いている。

「おい、サト」

「はい!」

「逃げるときは、その女の子を頼む……」

「はい……」

「321ドンッで行くぞ、いいな」

「はい」

「3……」

「2……」

〈タタラタラタランッ……〉

 店主が2まで数えた直後、突然、4人のいる左の方向から、多くの銃声が聞こえてきた。乱れ撃ちといった感じだ。

 左側に浮遊していたヌエが墜落し、奥の2匹のヌエが見る間に倒れた。

〈タンッ!〉

 少し遅れてもう1発銃声が聞こえた。同時に、墜落して床で暴れていたヌエが動かなくなった。

 銃声が聞こえてきた方向に目をやる数馬と店主。建物正面入り口と直結しているホールの陰から、数人の兵士が現れた。各員が前後左右に小銃を向け、隊形を組みながら移動している。

 その輪の中心には隊長らしき中年男性。この男性だけは、小銃ではなくサブマシンガンを肩に提げ、それを右手に持っている。

 その隊長らしき人物が、数馬と店主に気付き、近づいてきた。4人の隊員もぴたりくっついてくる。

 2人のそばまで来たところで敬礼する男性。店主が敬礼を返した。

「所属はどちらですか?」

 と、言って男性が敬礼の手を降ろす。

 店主は、一瞬、言葉を詰まらせた。許可なく実弾を公共の場に持ち出し、発砲するという違法行為を見られたからだ。

「ええと……。民間人です。人を救出していまして……」

 と、店主。思わず、返答が言い訳がましくなる。

「その服は、化特服(かとくふく)ですな……?」

 と、男性。

「え、ええ、わたくし軍装屋を営んでおりまして……」

「ああ、それは、いい考えですな。化け物相手にはいいかもしれん。上に提案してみよう」

「|隊長殿は、どういったご用で……。救助ですか?」

「いやあ……、われわれの部隊は救助ではない……。避難場所にする場所を調査しに来たのだ。さっきから、やたら銃声が聞こえてきたのでな、友軍かと思い、分隊を分けて、われわれが応援に来たんだよ。まあ、とにかく、無事でよかった」

「本当に助かりました。危ないところでしたから……。ありがとうございます」

 深々と頭を下げる店主。数馬も合わせて頭を下げた。

〈ズタタンッ! タンッ!〉

 小銃の発砲音が複数重なって聞こえた。

 一斉に隊員を見る3人。2人の隊員が銃口を向けている方向に目をやると、その先には、動かなくなったヌエが1匹転がっている。店主や数馬が倒した分も含め、ホールやコンコースには、相当数のヌエの死体が点在していた。

「そちらの救助は、うまく行きましたかな?」

「ええ、ちょうどさっき、助け出すことができまして、戻ろうとしていたとこなんです」

「どちらに?」

「店舗です」

「そうですか……。避難場所が用意できるまで、とにかくがんばってください。お手伝いらしいことができなくて申し訳ない……」

「いえいえ、とんでもない。本当に助かりました」

「あっ、そうだ。昔あった地下鉄駅の入り口は、ここを真っすぐ行ったところでいいのですかな?」

 コンコースの奥を親指で示す隊長。

「はい」

 短く答える店主。

「それと、ここには地下駐車場もあると聞いているのですが……」

「ええ、地下3階から5階までがそうです……」

「そうですか、ありがとうございます……」

「いえ……」

「どちらに向かわれますか?」

「えっ……? ああ、そこの避難階段から店に戻ろうと……」

「じゃあ、今のうちにどうぞ。化け物がひっきりなしに出てきますからな……」

〈ズタタンッ!〉

 また、小銃の発砲音が重なって聞こえた。

「さっ、気を付けて」

 と、促す男性。

「ありがとうございます」

 口をそろえて礼を言い、会釈する店主と数馬。

「行きましょうか……」

 と、と言って、後ろにいたヘルメット姿の鈴木を促す店主。

 立ち上がる鈴木。しかし、少女は、ジャケットを抱えたまま、うなだれている。

「サトちゃん、あの子を抱えてしまってくれ。その服を着てれば、らくらくできる」

 そう言って、店主は左手の甲で数馬の右腕を軽く叩いた。

「はい」

 と、返事をして、数馬は、銃を肩に提げると、少女に歩み寄り、ひょいと両手に抱えた。

「あああああ……、う~、ううううう……」

 再び泣き出す少女。ぷうんと、糞尿の臭いが数馬の鼻をつく。数馬は、なるべく表情に出さないように努めた。

「いやあ、ここもひどい有様ですなあ……」

 数馬が少女を抱えている間、隊長らしき男性が、ぼそりと言葉を漏らした。

「他も、こんな感じですか?」

 男性の言葉に応じる店主。

「ええ、どこもかしこもひどい有様です。軍隊や公安だけでは間に合わない状況で……。ホントに厳しい……」

「そうですか……」

〈ズタンッ!……タンッ!〉

 2人の隊員が発砲した。

「お待たせしました」

 と、少女を抱えた数馬が店主の背後から声をかける。

「それでは……」

 改めて頭を下げる店主。数馬も鈴木も合わせて頭を下げた。

「さ……」

 大きくうなずいて手で促す隊長。少女を抱えた数馬が横切ったとき、一瞬表情が微妙に変化した。しかし、少女を見た瞬間、すぐにひどく気の毒そうなものを見る目に変わっていた。

 避難階段に難なくたどり着いた4人。ヌエの脅威がなければ、数秒で行ける距離だ。さっきまで、どれだけ遠く感じたことだろう。しかし、それは、誰も口にしなかった。まだ、油断はできない。

 避難階段の扉まで来たところで、その脇に立つ店主。

「すいません。扉を開けてください」

 と、鈴木に向かって言って散弾銃を構える。

 扉をゆっくりと開ける鈴木。

 隙間に銃口を差し入れ、油断なく中の様子をうかがう。

〈パタタタンッ!〉

 背後から乾いた銃声が重なって聞こえる。先ほどの部隊のものだろう。

 人が通れるまで扉が開いたところで、体を滑り込ませ、耳を澄ます店主。累々と折り重なる死体以外、今のところ異常はなさそうだ。

「さっ、中へ!」

 店主は、開いた扉を背中で支えると、他の者を招き入れた。銃口は油断なく階段の方に向けられている。

 まずは、鈴木。続いて少女を抱えている数馬。少女が数馬の首をきゅっと抱えた。足元が見えない。

「ごめんね、ちょっといい……?」

 少女の耳元でささやいて、首をぐいと動かし、その腕をふりほどく数馬。それでも少女は組み付いてくる。

 やむを得ず、少女を左肩に載せ、抱えるような体勢を取る数馬。自分の左手の手首を右手でつかみ、少女の尻がすっぽりと収まるようにし、汚れた部分をさりげなく覆うことにした。

〈ひっく……。ひっく……〉

 数馬の背後から少女がむせび泣く声が聞こえてくる。

「さあ、降りて!」

 と、鈴木と数馬を促す店主。銃も目も油断なく周囲に向けられている。鈴木が先頭になって階段を下りはじめた。

「ふう……」

 鈴木が肩で息をする。死体を踏む感触は数馬も経験しているが、言語に絶する。

 鈴木の様子を見た数馬は、階段を埋め尽くすこの死体を少女が見ておびえはないかと、不安になった。肩に抱えたまま、暴れられたら大変だ。階段を踏み外す恐れもある。

「目をつむって……。怖くない……。怖くない……」

 少女に声をかけ、幼い子どもをあやすように、左手で腰をぽんぽんと優しく叩き始めた数馬。

「う……、ううううう……」

 少女がまた声を上げて泣きだした。数馬の言葉は、少女が〈あの時〉兄から聞いた言葉とそっくりだった。


 ――さかのぼること午前11時過ぎ、少女は、自宅から兄のいるこのビルに向かった。今日は兄が昼食をごちそうしてくれることになっていた。昼食後は、新学期の用意に、ひとりで買い物をする予定であった。

 柔らかな麻でできたロングスカートの白いワンピース、肩まで覆うほどのつば広の白い帽子。残暑の厳しいこの季節にふさわしい、誰が見ても涼しげに映る姿だった。

 兄のいるビルに到着し、トイレ前の太い柱のそばに立つ少女。少々品のない場所かもしれないが、兄との待ち合わせにいつも利用していた。人が少なくて、互いの姿を見つけやすいからだ。われわれの世界のように携帯電話は発達していない。

 腕時計の針は12時を少しまわっていた。兄がいつも現れる方を向いて、ぼうっとホールの人の流れを見ていた。

 兄には仕事の都合があるし、レストランの席は予約していたので、兄が多少遅れても焦る必要はなかった。そういうこともある。

 やがて、兄がホールの向こうに姿を現した。手を振る少女、手を振り返す兄。

「待たせてごめんね」

 兄が少女に声をかけた直後、ホールの空気が激変した。

 ホールには、人の悲鳴や叫び声が響き、白い固まりがいくつも猛烈なスピードで横切った。

 何人かの人が固まって少女の方に向かってくる。誰も必死の形相だ。

 何事かとホールの奥に目をこらしたとき、少女は事態を把握した。

 何匹もの白い獣が、人間を襲っている。霧のように見えるのは、人の血だ。

 後ろから肩を突き飛ばされる兄。

 次の瞬間、少女は、兄の腕をつかみ、トイレに駆け込む集団に混ざり、多目的トイレに駆け込んだ。殺到する人の波にのまれて、帽子が落ちたが、足を止めることはなかった。

 誰かが引き戸を閉めようとすると、ひとり、またひとりと、人が押し寄せてくる。扉を閉めようとする人と、入ってこようとする人がもみ合いになる。怒号や悲鳴が聞こえる。

 トイレに10人くらい入ったところで、誰かが何かを喚きながら、強引に戸を閉め、鍵をかけた。ざわついた人の声に紛れ、少女には聞き取れなかった。

 少女は兄の胸に顔を埋めていた。閉めた戸を必死に叩く音、助けを求める叫び声、怒号、がガタガタギシギシと戸が揺れる音。

 不自然な音を立てた引き戸から、外の光がわずかに見えた直後、外から聞こえる声が断末魔に変わった。

 兄の胸に顔を埋める少女。もはや聞くに堪えなかった。兄が少女をそっと抱え込む。

 やがて、兄が不意に倒れ込んできた。尻もちをつく少女。兄がその上に覆い被さってきた。

「うっ」

 声を漏らした兄。引き戸が倒れ込んできたのだった。

「もっと、中に入って。早く」

 兄の言葉に従う少女。

 力なくうめく人の声と獣の鼻息がくっきりと聞こえてきた。

「目を閉じて……。大丈夫だ……。大丈夫……。怖くない……。怖くない……」

 兄の優しい声が唯一の救いだった。

 しかし、兄の声が変わった。

「うっ、あっ、うっ、ぐうううううう……くっくっ、ぐあっ、くっ、くっ、くっ、くっ、ごあっ……」

 いつもと全く違う兄の声におびえる少女。胸がきゅうっと締め付けられる思い。

 兄を心配した少女が静かに頭を動かすと、そこに見えたのは、血で真っ赤に染めた兄の顔と、鋭い獣の牙と爪だった。

 少女は、再び耳をふさいで目をぎゅっと閉じた。

 奇妙な声を出していた兄は、(たん)が絡んだような声を出して、そのまま静かになった。兄の全体重が少女の体に乗ってきた。

 次の瞬間、下半身がふわっと軽くなって、頭の中が真っ白になった。ただ、カシカシと何かをひっかく気味の悪い音だけが耳に入ってきていた。そこから先は、記憶がない。

 次に気付いたのは、二の腕に触れた数馬がしていた手袋のざらっとした感触だった。


 ――話は、バックヤードにたどり着いた4人に戻る。

 少女を肩に抱えた数馬は、人間の死体に時折足を取られ、バランスを崩すことがあったが、転倒することなく地階に無事降りることができた。

 防火扉の避難扉をくぐる4人。数馬は少女を胸に抱えていた。

 通路の突き当たりに茜の横姿が見える。射撃場の通用扉の脇で、壁に寄りかかって立っている。4人に気付いて顔を向けた。

 先を行くヘルメット姿の鈴木に会釈する茜。鈴木は会釈を返して店主を待つ。少女を抱える数馬は、茜のそばで立ち止まり、店主を先に行かせた。店主は、何も言わず、茜の肩をぽんと軽く叩くと、待っていた鈴木を促し、射撃場の扉に入っていった。

「お帰り……」

 数馬の目をじっと見てぼそりとつぶやく茜。

「あっ、うん……。ただいま」

 数馬は顔を赤らめた。

「あの……、おかみさん呼んできてくれないかな……」

 抱えている少女の尻をすっと茜に見せる数馬。

「うん……」

 茜は顔色ひとつ変えずに扉の奥に消えていった。

 少女は泣きやんでいた。しかし、幼い子どものように、その腕を数馬の首にひしと巻き付けている。

 通用扉の2枚目を抜けた茜。三浦がその姿を見るなり、罵声を浴びせた。

「ほら! 見なさいよ! 生きてるじゃない! 人でなし!」

牡丹(ぼたん)! やめなさい!」

 鈴木が三浦をいさめる。

 茜は、全く動じずに女性店主の方へ向かう。

「こっち向きなさい! 後ろめたくて見られないんでしょ? 生存者はいましたが? 生きていましたがあ? 見殺しオンナ。見殺しオンナあああ!」

 茜の後ろから、三浦の声が聞こえる。

 途中、脱いだヘルメットを射撃台に置き、眉間に(しわ)を寄せた表情の男性店主とすれ違った。

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