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 男性店主の質問に、こくりとうなずく三浦。

「はぐれる前にその人がいた場所は?」

 と、言って、男性店主は、エプロンのポケットから、よれよれになった地階の店舗案内を取り出すと、しゃがんで三浦の前に置いた。

 力なく首を横に振る三浦。

「こっちか……。1階のどこです!?」

 眉間に(しわ)を寄せ、店舗案内を裏返す店主。その面には入り口付近と1階の案内図が書かれている。

 三浦は、メインコンコースから、つうっと、脇の通路まで指差した。

「分かりました。じゃあ、1階の大通路(だいつうろ)から手洗い場、避難階段付近を確認すれば、納得していただけますね!?」

 店主は強い口調で言った。三浦がこくりとうなずく。

「それと、倒れている人はひとりひとり確認させませんよ! 人ひとりの命を危険にさらすんですから、わかっていただけますよね!?」

 三浦は、もう一度こくりとうなずいた。

「サト!」

 店主は、数馬に呼びかけると、ポケットから小さな手帳とペンを取り出した。

「ここが、ウチの店だ。裏の職員用通路を真っすぐ進んで、突き当たりを右に曲がると、左側に避難階段に通じる扉が見える。途中、ウチのかみさんが閉めた防火扉と俺が閉めた防火シャッターがあるが、脇の避難扉を通ればいい。避難階段から、1階に入ると、この人の言う〈細い通路〉に出るはずだ。その人が生き残っているとすれば……」

「生きてます!」

 三浦が口を挟んだ。

 男性店主が三浦をやれやれと見返す。

「……避難しているとすれば、この手洗い場の個室か、配電盤室、清掃用具の倉庫、この3カ所だ……」

「わかりました」

「それでいいですね、三浦さん! その人が見つからなくてもすぐ引き返してきますから」

 念を押す男性店主。

「はい……。お願いします……」

 三浦は、か細い声で返事した。

 うなずく店主。

「よし、じゃあ、サトちゃんこれを腰袋に入れておいてくれ」

 地図を書いたページを手帳から引きちぎると、数馬に手渡した。

「次は、無線機の確認だ」

 すっくと立つ男性店主。数馬もそれに合わせて立ち上がった。

 男性店主は、数馬のヘルメットの下部にあるダイヤルを操作した。

「これでよし……。そこの隅に立ってくれないか」

 通用扉の方を指差して、数馬に指示をする男性店主。数馬はそれに従った。

 一方、男性店主は、カウンターの下から無線のアンテナを取り出し、モニターに接続すると、モニターに付属していた無線機を握った。

「サトちゃん! 聞こえるかあ?」

 カウンターのそばに立ち、モニターのダイヤルを調整しながら、無線に話しかける男性店主。

『はい、聞こえます』

 射撃場の通用扉のそばで手を挙げる数馬。

「無線の状態は良好のようだな。準備完了だ……」

 と、男性店主。数馬は、自分の小銃を取りに、荷物がある方へ向かう。

 荷物がある場所には、不安な面持ちで茜が立っていた。

「行ってきます……」

 数馬の言葉に小さくうなずく茜。

 予備のマガジンを腰袋にひとつ入れ、銃を手に取る数馬。こんなことが起きるとは思ってもみなかった数馬は、専用のマガジンパウチを持ってきてはいなかった。

 コッキングレバーを引くと、未使用の弾が飛び出た。すでに薬室に装填していたのを忘れていた。

 落ちた弾を拾って差し出す茜。

 数馬は、それを右手でそっとさえぎって、そのまま握らせると、小さくうなずいた。

 その弾を握りしめ、胸に置く茜。

 男性店主が後ろから数馬の肩に手を置いた。

「俺も着替えていつでも行けるようにしておく。くれぐれも気を付けてな……」

「はい……」

 小銃を肩に提げ、通用扉に向かう数馬。

「倉庫まで見送ろう……。俺も着替えるから……」

 男性店主が通用扉を開いた。

 数馬は、自分の背中に皆の視線が集中するのを感じながら、扉を通る。

 男性店主もついてきた。

 分厚い2重扉を抜ける2人。

 右には店内に通じる鉄扉、左の奧には女性店主が閉めたという防火扉が見える。

「サトちゃん、見送りはここまでだ。危なくなったらすぐに引き返せ。本当なら、お前が行く義理なんて何もないんだから」

 数馬の背中を軽く叩く男性店主。

「はい……、行ってきます」

 数馬は一礼して先を進んだ。

 防火扉の手前まで来たところで、突然、別の店舗の通用扉が開いた。

 驚く数馬。相手も相当驚いたようだ。体を引っ込めて、ドアを乱暴に閉じた。

「もしもし……。数馬です。他の店舗にも人がいるみたいです」

『うん、見てた……。鍵屋の店員かな。そのサトちゃんの上司って人が他の店に避難していれば、裏口を通ってこの店にも来られるということになるけど……』

 女性店主の声が聞こえてきた。

「ええ……、そのまま進んでみます」

『了解』

 そのまま、防火扉にたどり着いた数馬。その脇に小さく設けられた避難扉を慎重に開いてみる。

 変哲のない通路が静かに続いていた。通る人は誰もいない。

 右には防火シャッターが閉まっている。向こうに何があるのか気になったが、数馬はそのまま進むことにした。

 通路の突き当たりまで来たところで、腰のポーチをまさぐる数馬。店主から渡された手書きの地図を取り出したのだった。

 道順を頭にたたき込む。この先、確認できる余裕がないかもしれないからだ。

 バックヤードの本道が左右に延び、右に進むと左手に避難階段に通じる扉がある。避難階段を上がって1階に出れば、扉から見て左側に入り口共用の男女別トイレと清掃用具室、右前方のエスカレーターの下に配電盤室がある。数馬は、この3カ所を確かめることになっている。もちろん、扉は施錠されている可能性も大いにあるはずだ。

(よし……)

 紙切れを戻して意を決して先を進む数馬。通路を右に進むと、〈避難階段〉と畜光塗料で大きく書かれた鉄扉が左手にあった。

〈ギギギッ……〉

 少しだけ慎重に開くと、きしみ音を立てる。

 扉の隙間からのぞき込む数馬。白い紙に赤い絵の具を飛び散らせたような光景が、その目に飛び込んできた。

 いったん扉を閉め、無線を入れる。

「数馬です。避難階段にヌエが侵入しているみたいです。地階の職員通路に入ったら大変なので、対策をお願いします」

「了解。地下駐車場から入ってきたのかも……。ウチの店に電気柵とかがあればいいんだけどねえ……。旦那と相談してみる。気を付けてね」

 女性店主から返事をもらって、もう一度扉を小さく開く数馬。扉の隙間に足を入れると、小銃を構え、トリガーのそばにある安全装置を前に倒した。

〈トン……トトン……トトン……トン……〉

 真っ赤な液体が、雨だれのように上からしたたり落ちてきて、鉄板製の踊り場や階段に当たり、音が響く。

 白い壁のそこら中に真っ赤な液体が垂れている。白い踊り場や階段にも真っ赤な液体がたまっている。さらにその周囲には真っ赤な飛沫が散っている。

 人間の血液であることは間違いない。扉の隙間からは、階下に向かう階段が見え、そこに人が倒れている。肝心の上に向かう階段の状況は、この状態からは見えない。

 上に向かう階段の様子を見ようと、隙間に体を滑り込ませ、耳を澄ます数馬。

〈トッ……トトッ……〉

 血のしずくが落ちる。ヘルメット越しに聞こえてくる音が生々しい。

『それ全部、血?』

 と、女性店主。

「……みたいです」

『ひどい……』

 ため息に近い女性店主の言葉が聞こえる。

 血の滴が、足元の血だまりに落ち、小さく飛び散る。

 入ってきた扉を閉める数馬。右側の壁の中央に、幅がひと回り広い別の扉がある。地階のコンコースに通じる扉だ。三浦もここを通ってきたのだろう。

 扉は少し開いていて、その隙間から、人の腕が出ている。避難階段に入る直前にヌエに襲われたのだろうか。

 その隙間に銃口を突き出して、向こう側をのぞき込む。薄暗いコンコースに人の死体が散らばっている。一面血の海だ。

 周囲を警戒しながら、銃を肩に提げると、扉からはみ出た腕を押し込み、扉をしっかりと閉める。ヌエが侵入しないようにするためだ。

 振り返って、手すりに近づき上を慎重にのぞき込む。

〈トン……トトン……トトン……トン……〉

 聞こえてくるのは、血の滴が鉄板に当たる音。

〈トッ……トトッ……〉

 体に感じるのは、血の滴が当たる音。

 螺旋状に延びている階段の手すり。そのいたる場所から、赤い滴が落ちてくる。赤い雨漏りだ。一面にわたり、鉄板製の階段の隙間がふさがっている。人の死体だろう。ひとつやふたつではない。数え切れない。

 見る間にヘルメットのシールドが汚れてきた。

 モーター音が聞こえ、シールドの表面がスライドした。付着した液体が自動的に除去される。

 数馬が目をこらしても、地上30階のビルの最上階はさすがに分からない。

 下をのぞき込むと、地下5階の底がかすかに見える。階段の至る所に人が倒れていた。死体だ。地下の駐車場に逃げ込もうとしたのだろうか。

〈タン……、タン……、タン……〉

 周囲の変化に全神経を注いで、1歩1歩階段を上る。鉄板の上を歩く足音が、無機質な吹き抜けの空間に響き、血の滴が落ちる音と混ざり合う。

『それって……』

 と、女性店主からの無線。

「はい……」

 数馬の息が荒い。

 地階と1階の間の踊り場に死体が折り重なっている。服を着た〈肉のかたまり〉だ。人間の肌はほとんどわからない。血の赤、肉のピンク、脂肪と骨の白、そういった色が混じり合った物体に、ぼろ切れになったスーツやオフィス用の制服が付着しているといった感じだ。

 踊り場の上に続く階段も、足の踏み場がないほどに死体で覆われている。将棋倒しになったところを襲われたのか、集団で逃げようとしたところを襲われたのかは分からない。ただ、足が置けそうな場所は、全て血に覆われている。普通の靴なら滑ってしまいそうだ。

 突然、〈タトトンッ、タトトンッ、タトトンッ……〉というリズミカルな音が聞こえてきた。そのリズムは、さっきミリタリーショップの入り口で聞いたばかりだ。何かが鉄板の上を駆ける音。胸がぎゅうっと締め付けられる音。死を連想させる音。

 踊り場中央の壁を背にして、銃を構える数馬。ヌエが上から来ても、下から来ても、迎え撃てるような体勢にした。

〈タトトンッ、タトトンッ、タトトンッ……〉

 その足音が響きすぎて、近づいているのか、遠ざかっているのか、判断がつかない。

 焦る数馬。銃を握る手が汗ばむ。

〈ヒュウウウン……〉

 強化防護服の冷却装置が作動した。避難階段の気温が高いようだ。それとも、緊張する数馬の体温が上昇したのだろうか。

〈タトトンッ、タトトンッ、タトトンッ……〉

 どこからともなく聞こえる足音を、ヘルメットの冷却音が邪魔をする。焦る数馬。

『どうしたの?』

 無線を入れてくる女性店主。数馬は返事をしない。

〈た、助けてえええええ!〉

〈タンタンタンタン……〉

 男性の叫び声と、人間の足音が聞こえてきた。

〈アアアアアアッ……!〉

 男性の悲鳴が聞こえて、その足音は途絶えた。

〈は、放せ、放せ、誰かアアア……!〉

 と、そこまで聞こえて、男性の声がぷつっと途絶えた。

 聞こえてきた全ての音が吹き抜けに響いて、いつまでも残っているようだった。

「ふう……」

 大きなため息をつく数馬。階段の手すりから慎重に首を突き出して、上下にのぞき込む。しかし、声がどこから聞こえたのか、特定できない。

 折り重なった死体をよけて階段を上る。時々、足を取られそうになる。

〈ヒョロロロロロロ……〉

 鳥の鳴き声のようなものが聞こえてきた。ヌエのものにちがいない。

 階段を上る足を速める数馬。足場が不安定な場所でヌエに遭遇したくないからだ。

 1階の扉付近も死体とその血に覆われていた。

 立ちつくす数馬。足の踏み場が一切ない。

 少しためらいがちに、死体の上に足を載せる。最初は軽く、そして次第に体重をかけてみる。赤い絵の具を含ませたスポンジを踏んだように死体から血がしみ出てきた。

 ためらいながら、死体の上を歩く数馬。扉の所まで来ると、しゃがみ込んだ。

〈ゴボッ……〉

 不気味な音に、皮膚が波打つような感覚が全身を駆け巡る。数馬の乗った死体が音を立てたのだ。

 周囲の変化を少しでも逃さないよう、耳を澄ます数馬。小銃をいったん肩に提げ、左手を扉のノブにかける。

 われわれの世界と同じように、避難階に指定された1階部分の避難階段の扉は、避難階段側から外側に開くようにできている。

 ノブをひねって扉を押す。しかし、少し()いたところで動かない。

 扉の隙間から外をうかがう数馬。足元に目を見開いた女性の死体が転がっていて、その向こうにも、さらに向こうにも、死体が折り重なっている。〈死体が床に敷き詰められている〉という表現の方がふさわしい。

『サトちゃん……。無理しないでね……』

 モニター越しに同じ光景を見ている女性店主から無線が入った。

 女性店主は無線を握りしめたまま、三浦の方を向く。三浦は、手錠をかけられたまま、遠くからモニターを見ていた。女性店主と目が合うと、三浦は無表情ですっと視線をそらした。

 その場にいる数馬は確信した。

(これじゃあ、係長も無事ではすまない……)

 しかし、一応確認しなければならない。それが三浦との約束だ。

 扉に体重をかけてみると、もう少しだけ動いた。扉の向こう側で死体が邪魔をしているようだ。

〈パパパン……パパパン……〉

 遠くから銃声が聞こえる。軍隊だろう。館外からの音なのか、館内のものなのかは分からない。

 扉はある程度開いたところでぴたりと止まった。完全につっかえてしまったようだ。しかし、すり抜けるにはまだ狭い。

(全身の体重をかけて強引に開けるしかないか……)

 しかし、数馬はそこで動きを止め、耳を澄ます。

〈フウウウッ……フウウウッ……〉

 気のせいではない。獣の息づかいが確かに聞こえる。

 意を決して振り向く数馬。

 その目の前にヌエがいた。

 死体の上を移動してきたヌエに、数馬は気付くことができなかったのだった。

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