表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/12

※1

【ヌエ】体高約100~300センチ、体重(空腹時)約1キロ~12キロ。全身が白い体毛に覆われ、胴部分に黒い縞模様がある。ヒヒのような頭部(西洋ではライオンの顔にたとえられている)、先端の尖った細長い尾、翼があることも特徴。組織のほとんどが海綿状で、体積に対する重量は鳥類と比較にならないほど小さい。生殖器がないため繁殖方法や生態については不明。2000年日本の伊豆で最初の個体が発見される。

江戸屋『よろず早わかり2002年版』より



※1 



 1999年夏、世界観測史上最大の太陽嵐が発生。地球を襲い、送電・変電系統はもちろん、当時急速に発展しつつあった電子機器は、世界規模で大きな被害を被った。

 その日から2日間、夜間には、赤道近くでもオーロラが見えたという。

 この出来事は世界大停電と呼ばれている。

 ここ日本での復旧は、産業と公共施設、交通公共機関が優先された。しかし、世界的に銅やアルミの生産が需要に追いつかず、価格も高騰。復旧作業は、日本に限らず、どの国でも思い通りになっていなかった。

 そして4年後、大都市部では、ようやく大停電前の日常を取り戻しつつあった。地方でも、ガス発電機や家庭用発電機などを活用し、不自由のない生活を手に入れつつあった。

 2003年8月27日水曜日、日本は副都江戸、神田西尾町の総合ビル。

 ここに佐藤(さとう)数馬(かずま)27歳が勤める会社がある。

 その窓から眼下に見えるのは、日本橋魚市場の活気ある様子。しかし、佐藤は机に座って事務仕事をしている。

 昼の12時。窓から見える市場では競りが終わり、敷地から少し離れた駐車場には観光バスが並んでいる。

「おい、佐藤。一緒に昼メシどうだ?」

 中年男性が数馬に声をかけた。数馬の上司だ。若い男性と女性1人ずつ引き連れている。

「いや……、僕は……」

「バンバンしにいくのか?」

 上司は指で鉄砲の真似をして見せた。

「ええ……、まあ……」

「佐藤さん、軍隊に入ればよかったんじゃない?」

 女性社員が言った。数馬に対してことあるたびに言ってくる台詞(せりふ)だ。その時の視線はいつも冷たい。

「いや、でも、それは……」

 数馬は、いつもの答えを返そうとした。しかし、その前に、

「こんなひょろ長い華奢(きゃしゃ)な体で軍隊がつとまるかよ。趣味にしておくのがいいんだよなあ?」

 上司はそう言って、数馬の両肩を力強く()んだ。

「ええ……」

 肩に力を入れる数馬。上司の揉む力が強すぎて痛い。

「お前も俺みたいに釣りを趣味にすれば、毎週だって連れていくのに……」

「でも、来年から、銃の持ち出しが禁止されるでしょ?」

 上司の言葉を女性社員が引き取った。

「いや……。訓練用の軍服を着れば、持ち歩けます……」

 と、数馬。

「全身橙色のだろ? ありゃ、ある意味〈根性だめし〉だな。恥ずかしいわ……。あんなの町内の訓練会でしか着て歩けん……」

 上司が言った。

「まあ、いいや。邪魔したな」

 上司は、明るい口調でそう言うと、2人を連れて数馬の席を離れた。

「佐藤さんっていつも火薬臭くないですか?」

 と、言った女性からの一瞥(いちべつ)。まるで嫌な物でも見るような視線だと、数馬には思えた。

「コラ! そんなこと言ってはいかん! そんなこと言ったら、俺は(しお)臭いってことになるだろ?」

 事務所を出ていく上司の声が聞こえてくる。

 事務所は閑散とし、休憩時間独特の緩んだ空気が流れていた。

 急いで席を立ち、ロッカー室に向かう数馬。射撃場で過ごす時間は1秒でも惜しい。ロッカーから銃の入ったケースを取り出すと、混雑が容易に想定できるエレベーターを避け、階段でビルの地下へ向かった。

 もののふ屋。この総合ビルの地階に出店しているミリタリーショップだ。

 永世中立国で国民皆兵制度を導入しているこの世界の日本には、〈軍装店〉と呼ばれるミリタリーショップが当たり前のようにある。また、そういったミリタリーショップには、射撃場を設置している所も少なくない。

 屋内射撃場というと、海外では拳銃の射撃だけに制限している場所が多いが、こと日本の都市部では、屋外で試射できる場所がないため、小銃の射撃が可能な場所も少なくなかった。

 18歳の誕生日を迎えた国民には、軍の制式小銃、ヘルメット、実戦用と訓練用の制服など、軍用装備一式が国から支給される。国が定めた実包の規格に対応していれば、好きな銃を自分で購入することも可能だ。

 ただし、実弾の所持は厳しく制限されている。空砲でも射撃場以外の持ち出しは違法となる。実射したいときは射撃場に行き、必要な分を購入してその場で使用するよう定められていた。

 また、次の年からは、平服で銃器を持ち歩くことを禁止する法律が施行されることになっている。

 店のガラス扉を開いて会釈する数馬。カウンターの向こうに立つ女性店主と目があった。

「いらっしゃい! いつものね?」

 と、ポニーテール姿の女性店主。

「はい」

 カウンターに会員カードを出す数馬。書類に記入すると、エックス線装置のあるベルトコンベアに手荷物を置く。

「今日もお昼はおにぎり?」

「ええ……」

 エックス線装置のモニターをのぞく女性店主の言葉に、数馬は、照れくさそうに答えた。その日の昼食はいつも銃ケースに入れている。

 厳重に防音対策がなされた3重扉の1枚目の手前で再び手荷物を取り、扉を開く。乾いた銃声が小さく聞こえてくる。

 3重扉の2枚目を抜け、3枚目を開いたところで、室内に大きく響く銃声が聞こえ、思わず肩をすくめた。

 3枚目の扉の脇には、カウンターがあり、その向こう側には短髪で屈強そうな男が立っていた。男性店主だ。騒音から耳を保護するイヤーマフを、手で浮かせた。

「よっ! 今日は何発? まだ20発くらい預かってるけど?」

「えっ、ああ……、今日は来るのがちょっと遅くなっちゃったから……。預けてるの全部ください……」

「あいよっ!」

 男性店主がカウンターの棚から弾を取り出す。

 射撃場には、数馬の他にもう1人いた。若い女性だ。身長は150センチ代後半といったところだろうか。

 この世界のこの時代、射撃場に足を運ぶ人は少ない。射撃場が活況を呈していたのは、欧米各国が植民地拡大を巡ってアジア各国で大規模な戦争を繰り広げ、ヨーロッパ本土にまで飛び火した1970年代のこと。当時、日本が戦争に巻き込まれた場合に備えようと、射撃場に足を運ぶ人が急増し、テレビでも競技番組などが放映された。

 しかし、続いたのは、1980年代半ばまで。それから20年経った今では、銃器を持ち歩くことを快く思わない人さえいる。実際に次の年から銃の所持が大きく制限される法律が施行される予定だ。一方で、それは、平和な時代が長く続いている証拠でもあった。

 彼女は、そのように人気のない射撃場に毎日のように通うひとりである。

 銃を静かに構え、引き金を絞る彼女の横顔。数馬はそれが好きだった。

 髪は耳が見え隠れするくらいのショートカット。

 正面から見るとやや平面顔で奧二重、白目が大きく瞳が小さく見える。しかし、横から見ると、鼻も目元もかなりくっきりしている。

 気味悪がられたくないのでじろじろと見たことはないが、少なくとも数馬にはそう見えている。かわいらしい女性だ。

 もう2年以上、この場所に居合わせているが、あまり会話したことはない。特に会話するきっかけがないということもある。2人そろって射撃し、時間が来ればどちらか上がる。その繰り返しだ。

 休憩用の長椅子には、彼女の荷物が置いてあった。そこから少し離れた所に銃ケースを置き、自動小銃を取り出す数馬。

 ハンドガードとストックが木製、機関部とマガジン、銃身が金属製で、われわれの世界の感覚からすると、ずいぶん古めかしい銃に見える。

 しかし、この世界のこの時代、文明は、われわれの世界とは異なる道筋で発達してきた。

 たとえば、銃などの携行武器は、われわれの世界でいう1970年代の水準だ。その理由のひとつには、数多くの国家が一斉に参加する世界規模の戦争を一度しか経験していないということが言えるだろう。

 また、一部の機械工学や情報通信技術も遅れていて、たとえば携帯電話の類はない。

 しかし一方で、光学機器や生物工学、生体工学は、われわれの世界と比べてずいぶんと進んでいた。

 数馬は、おにぎりを食べるのを後回しにして、マガジンに弾を込める。

 銃を抱えた彼女が長椅子に戻ってきた。

「こんにちは」

 会釈する数馬。

 彼女は何も言わずに会釈する。挨拶を返したつもりのようだ。耳に防音保護具のイヤーマフを付けているから無理もない。

 彼女は荷物から水筒と小さな籐の(かご)を取り出した。イヤーマフは外していない。

 その様子を見て、数馬は、慌てて自分のおにぎりを取り出した。

「新しい銃、慣れましたか?」

 数馬は少し声を大きくして話しかけた。

「えっ?」

 彼女は、イヤーマフを外し、耳を傾けた。耳栓は外していない。

「その銃、75式ですね……? 慣れましたか?」

 言い直す数馬。会話のきっかけは銃の話題しかないと考えた。

「ううん……。75式に似てるけど、違う……。これは、東和7000改……」

 彼女はぼそっとした口調で答える。

「あっ……。植民地戦争に大量に輸出された銃ですよね」

「それは7000……。これは改良型……」

「東和9000が出る前に改良型が出ていたんだ……」

「ううん……。これは、この前市販されたばかりの最新型だけど……」

「ごめんなさい……」

「ううん。撃ってみる?」

「あっ! いいんですか? ありがとうございます!」

 数馬の声がややうわずった。

「うん、私……、お昼、食べるから……」

 そう言って、彼女は、慣れた手つきでマガジンを外し、コッキングレバーを引いて薬室に残っている実包を取り出すと、空のマガジンと一緒に銃を数馬に差し出した。

「すみません……。お名前、聞いていませんでしたね? 僕は佐藤です。佐藤数馬……」

 と言って、銃とマガジンを受け取る数馬。

田中(たなか)……(あかね)……」

 彼女はぼそりと答え、サンドイッチを小さくかじった。

 茜の銃を手に取る数馬。表面を軟性樹脂に覆われた細身のグリップの握り具合が心地いい。

「細めの持ち手……。実家に支給品の75式がありますけど、やっぱり持ちやすいですね……。75式よりも軽い気がします」

 銃を長椅子に置き、マガジンに弾を込めはじめる数馬。

「樹脂素材を使った軽量化、今は当たり前になってきましたけど、当時は画期的だったらしいですよね……。中口径弾を使うのに反動が比較的小さくて、単発で撃ったときの集弾性が高い……。東洋人に配慮した設計……」

 数馬の言葉に、茜は、サンドイッチをほおばりながら、こくり、こくりとうなずく。

 数馬は、自分の銃の知識をひけらかしたかったわけではなかった。ただ、自分も銃に詳しいことを茜に知ってもらいたかったのだった。

「7000改は、最新素材のゴム金を使って、軽量化と反動減がはかられているって聞いて買っちゃった……。そちらはフォロンセ国の銃ね。あまり見たことないけど……」

 茜は、ぼそりと言った。

 数馬は、うれしく思った。

「ええ、MA-549。これも植民地戦争でフォロンセ軍や外人部隊が使って、活躍した銃なんです。頑丈で壊れにくいという評判だったらしくて……。ここで買ったんですけど、もう、6年の付き合いになります……。使ってみますか?」

「私はいい……。重そうだし……」

 水筒の(ふた)にお茶を注ぐ茜。

「じゃあ、お借りしますね」

 射撃台に立つ数馬。コッキングレバーを引くと、的の中心を狙って引き金を絞る。

 銃声とともに鋭いキックを感じる数馬。確かに反動が少なく狙い直すのが楽だ。

 数馬が数発試し撃ちして標的を回収したところで、電話のベルが鳴った。内線のベルだ。

 カウンターにいた男性店主が受話器を取る。

「うん、えっ? ああ……、じゃあ、そうしておこうか……。わかった」

 受話器を置く男性店主。

「おふたりさん! このあたりにヌエが出たって」

 と言って、テレビをつける男性店主。売り場にいる女性店主からの内線だったようだ。

〈江戸神田から中継です。タナベさ~ん〉

〈はい、タナベです。こちらは、アア~ッ!〉

「おいおい!」

 男性店主の声を聞いて、数馬と茜が駆け寄り、カウンター越しに顔を突き出した。

「どうしたんですか?」

 と、数馬。

「映像が途絶えた……。この辺りを中継していたみたいだが……」

 カウンター下の脇に据えられているテレビ番組は、すでにスタジオに戻っていた。

〈空からの中継まいりましょう。ハラダさ~ん!〉

〈飛行船から中継しておりますが、ただいまヌエに包囲されています。ご覧ください!〉

 テレビに映っているのは、飛行船の窓に数匹の白い怪物が飛んでいる姿だった。

〈まずいな、引き返そう〉

〈やばい! やばい!……〉

 テレビスタッフの声が入ってくる。

〈これから緊急着陸を試み……〉

 と、レポーターが言った瞬間、飛行船の窓が割れ、白い怪物が飛び込んでくる様子が映った。ヌエの顔がアップになった瞬間、映像が再びスタジオに戻った。絶句するアナウンサー。原稿を差し出され、スタッフに肩を叩かれると、われに返った。

〈あっ、はい! みなさん、外出は控えてください。外出中の方は、至急建物の中に避難してください。ヌエの飛来している地域については、字幕をご覧ください! 特に都市部、江戸城周辺に数千匹のヌエが飛来していると見られています! 他の地域については、情報が入り次第、お伝えします〉

「ねえ、則光(のりみつ)さん! 売り場にいる人どうしよう……。店じまいにしたいんだけど……」

 射撃場に女性店主が入ってきた。

「表は閉めちゃいなよ、裏口があるから。危ないから、お客さんは無理に返さない方がいいな」

「そうね……」

「俺も、そっちに行く。おふたりさんも来てくれないか?」

 と言って、則光(のりみつ)と呼ばれた男性店主はテレビを消して射撃場を出た。数馬と茜もそれに続いた。

 売り場には、数馬や茜、2人の店主を除いて男女3人。大学生風の男女2人組と、高校生のような雰囲気で大きなスポーツバッグを提げた男性が1人。平日は、昼休み時間とはいえ、客は少ない。しかし、特殊な専門店なら、珍しいことではないだろう。

「お客さま、安全のため、正面入り口を閉めさせていただきます。お帰りは、通用扉からお願いします。危ないですから、まだ当店にいていただいて結構です!」

 男性店主の言葉に対して、客からの反応は特にない。誰もが黙って店内の壁に掛けられたテレビを見ている。

 ガラス扉に施錠し、シャッターの操作ボタンを押す女性店主。やがて金属が擦れ合う(かん)高い音が聞こえ、ガラス扉の向こう側に格子状のシャッターが降りてきた。

 腰の高さくらいまで降りたところで、突然、シャッターがガシャッと鋭い音を立てた。操作ボタンを放して女性店主が叫んだ。

「ねえ! 則光さん! 救急車!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ