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D

 

 薄いセロファンを重ねていくように街が夕暮れに呑まれていく。

 雑居ビルの屋上でタクミたちは銘々時間を潰していた。先の予定なんてものはなく、無意味で無駄な行為と三者三様に捉えているが、かといって何をしていいのかどこに行ったらいいのかもわからない。

 頼りにすべきエイスは屋上の隅から一人、街を眺めていて、誰も声をかけない。それはでも声を掛けづらいからなんてものではなく、三人ともがエイスという存在を無視した結果だった。停滞した状況には誰だって疑心暗鬼になるし、苛つきもする。だから三人それぞれも互いとの会話を避けている、そんなよそよそしく居心地の悪い空間だった。

 冬場はあっという間に日が翳る。翳りはふさぐ気持ちに拍車を掛けるようで、誰もが浮かない顔だ。

 ただ一人、エイスだけは変わらずだったが。

「……かえりたい」

 少年の独白をタクミの耳が拾う。

(……俺もだよ)

 明後日を向いたまま、口には出さず激しく同意する。

 冷蔵庫にあるはずの夕べの残りのケーキ、誰が食べるんだろう、食べたかったなあ。あ、リサにメール。心配してるかなあ……。そういやあの限定配信クエストの昼までじゃなかったっけ。課金したら負けだよな。

 母さん何の用だったんだろう――

 ため息を吐く代わりにぐっと奥歯を噛みしめる。

 それがどうしたと言わんばかりの些細な問題だ。けれどその繰り返しがタクミの日常で、大切で、曲げるほどの予定があったわけではないが、それでもタクミの日常は破壊されてしまった。

 タクミはそっと視線を傾けた。抱えた己の膝に顔を埋める少年が見える。

(ユウマって言ったっけ)

 屋上まで至る道すがら、お互い簡単な自己紹介をした。

 少年の名は巽悠真。小学五年生。

 昨夜、自室で眠る前に一言「おやすみ」と両親に告げに行ったところようと、化け物だと騒がれて逃げるように家を飛び出したらしい。

 そのユウマの足下を見ればサンダルを履いている。大丈夫なのかと聞いたところ、最初は気持ち悪いかったけど、今は平気らしい。どうやら(消えた)エイスがどうにかしてくれたらしい。おそらく自分たちが着ている服を不快に思わないのと同じ原理なのだろう。

(……たぶん俺は靴履いた方が駄目なんだろうな)

 慣れた、とは言わないが、素足に感じる地べたの不快感はもう体験している。エイスに頼めば靴も履けるのだろうが、多少のことで傷つく足裏でなくなってしまったから今更感があるし、それに今はエイスと話す気がしない。

 タクミはユウマの前まで行って、しゃがんだ。

「起きてるか」

 ユウマが顔をあげる。

 見て分かんない? ――表情が雄弁に語る。

(俺だって本気で訊いたわけじゃねえよ)

 話しかける言葉に迷っていたら、こんなつまらない文句が口から飛び出したのだからしょうがない。

 ユウマは無言でまた、その顔を膝に埋めてしまう。

 そっとしておくべきだったかもしれない。立ち去ろうと腰を浮かせたところで――聞こえた。

「……いもうとが」

 ユウマは顔を伏せたままだ。空耳かと思ったが、違った。

「すっっごくかわいいんだ。手なんてほんとちっちゃくてぷくぷくして、やわらかくて、あったかくて。……でもさ、今のぼくを見たら絶対泣くよね。だってぼく、化け物なんだよ。かあさんたちがそうなんだから、きっとそうだよね」

「……」

 ユウマはのっそり顔をあげ、その視線をエイスへ向けた。

「ぼく、あいつ嫌いだ。あいつは、エイスじゃない」

「……」

 そうだな、と同意してやれるほどタクミは大人ではなかった。お前が認めようと認めまいと関わらずあいつはエイスなんだよと、意地悪くあげつらうほどには子供ではなかったけれども。

「ここはエイスBですね」

 横から降ってきた声に、二人揃って振り返った。

「あたしも混ぜてください」

 言うなり女子高生は地面にぺったり足を伸ばして座る。

(結構足下汚いんだけど、気には……なんないのか。……あ、そうか。俺らとは違うから座る面積気にしなくてもだいじょうぶなのか)

 座り込んでいるユウマはおそらく接地面からくる不快感も手伝って不愉快の塊だ。要取扱注意対象だが、この女子高生にその気遣いは無用な分、肩の荷が下りる。

 正直、タクミは子供が苦手だ。

 おねえちゃん、と呼ぶのだし、懐いているのなら任せるに限る。

「……B?」

「そ。ユウ君のエイスはユーくんだけのオンリーワンだから、エイス。もしくはエイスA、あるいはゼロワンね」

「俺からすればあいつがエ」

 言い終えるより早く、女子高生にぎろりと睨まれ、言葉に詰まる。

「……はいはい、Bね、B」

「便宜上ってやつですよ。どっちもエイスじゃ話すときこんがらがるじゃないですか」

 小学生相手に張り合うな、と目が訴える。タクミとしては別にそんなつもりで言ったわけではなかったが、ここで反論などすれば余計に面倒臭くなること間違いない。

 吉川寧々。この女子高生は、てっきり学年はタクミの上かと踏んでいたら、一つ下だった。エイスから説明を受けてしばらくは途方に暮れたような顔をしていたけれど、今は吹っ切れたのか平気そうに見える。

(……まあ、おねえちゃん、だもんな)

 自分より随分年下のユウマがいるから、あえてそう振る舞っているだけなのかも知れない。

 そんなことを考えていたら、ネネが胡乱げな顔で見られた。

「あたしの顔になんかついてます?」

「え、や。なに? ごめん、ぼんやりしてた」

「……ふうん? ほんとに? あたしに見とれてた、とかじゃなく?」

「…………ばかか?」

「! うわ、真顔で言われた。そんな、冗談なのに」

「はいはいはい」

「……っ、その適当な感じがむかつく」

 ネネは頬を膨らませ、きいっとわかりやすい奇声を上げると一転、冷ややかな目でタクミを一瞥した

「なんか。センパイ、顔はそんな悪くないのに、ぜんっぜんぴんとこないんですよね」

「はあ、そうですか」

「そうなんです。こう、どきどきしない、きらきらしない、」

 まだ話は続くだろうに、言葉はそこで切れた。ネネは目を見開いて固まっている。

「おい、どうした」

「おねえちゃん……?」

「おい、返事しろよ」

 顔の前に手をかざして見るも返事がない。しかし呼吸はしている。

 おそらく自分の世界に旅立ったのだ。不安がるユウマに大丈夫だとタクミは頷いてやる。じき思考の海から戻ってくるだろう。

 今の会話のどこにそんなポイントがあったのか、タクミには考えてもちっとも分からなかった。

「……ねえ、センパイ」

 おそらくは五分にも満たなかっただろうが、長い瞑想からあけたように、ネネが静かに切り出した。

「あの人といてムラムラしました?」

 もし、何か口に含んでいたらタクミは間違いなく噴き出していただろう。

「あの人って、まさか、あいつのことを言っているのか」

 なんて言うことを聞くのだ。しかも隣には小学生がいるというのに。

 タクミは隅の方で黄昏れているはずのエイスを、横目でちらと存在を確かめた。大丈夫だ、ちゃんとそこにいる。

「おまえ、いきなり何言い出すんだよ」

 さすがに大声で詰め寄るなんてへまはしない。今ここでエイスに参加されたら絶対ややこしくなるに決まっている。そうに決まっている――一方的な決めつけだった。

「いいから答えてください」

 しかし質問に反して、ネネの目はとても真剣だった。

(冗談じゃない、のか?)

 困惑しつつも、促されている以上答えないわけにはいかない。

「……そう……だな。綺麗だし美人だなとは思った」

 だけども。出会って以降、下半身に衝動をもたらすものはまるで込み上げては来なかった。一緒に逃げている間ですら一度も。

 ただそれはエイスが完璧すぎるからだとばかり思っていた。

 がしかし。ここに女子が一人、目の前にいる。なのに、どうだ。

(……なんも、ねえな)

 ネネに魅力がないわけではない。

(ふつうにかわいいよな)

 一般的な感覚とそうずれていないことを祈りながら、タクミはネネを頭から爪先まで眺めまわした。

 ネネが嫌悪感たっぷりの顔で「どうです?」と挑発するように胸に手を当てた。

「……D?」

「クイズじゃないですから」

「いや、うん。いい胸だな」

 逡巡の末の解答を、ネネが嘆息で返した。

「ええとですね。人間っていうのは確か、種の保存ってやつに結構貪欲だったような気がするんですよ」

「?」

「あたしたち今、結構ピンチじゃないですか。なのに異性を前にしてこう、気持ちがすっごいフラットですよね?」

「……。俺たちそんなにピンチなのか」

「何ぼんやりしたこと言ってるんです。相当ヤバいですよ。消されちゃうんですよ?」

「そう……だな」

 そんなことは知っている。と強く反駁できない自分にタクミは驚く。

 そうだ、自分は言葉で教えられるだけでそれを全く体験していない。エイスがそうならないよう導くままに進んできたから、これまでずっと安全でいられた。ぬくぬくと守られてきた。

 現実が夢でないことは身をもって識っている。

 けれど――それだけだ。

「……おまえ、結構頭いいのな」

「よく言われます。お手軽そうに見えて堅いのねって」

 タクミは笑い返した。笑えているはずだ、そう自分に言い聞かせて笑顔を作った。そこから後の会話はよく思い出せない。



 




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