排除、もしくは
起きたらまず、リサは携帯のメールを確認することにしている。
すると大抵、タクミからのおはようメールが来ているのだが……今日は違った。
(まだ寝てるのかな)
冬休みに入ったから、わざわざ早起きする必要もない。
こんな事は格別珍しくもなかったから、
「……おはよう。そろそろ起きましょうね……」
眠い目を擦りながらメールを打って、ベッドからのそのそ這い出る。カーテンを開けて差し込んだ陽光に目を細める。
雪なんてどこにも見あたらない。
だけど天気予報が言っていたのだから余所では降ったのかもしれない。
(……寝てる間に降ってたとか)
まあいいかと思考を放棄し、カーテンを閉めた。とりあえず顔を洗おうとパジャマ姿で階下へ下りる。
食欲をそそるいい匂いに誘われて、行き先を台所へ変更した。
「おはよー」
「おはよう。まったく、休みだって言うのにうちの子たちは健全ね」
リサを見た母は、カウンターの置き時計を流し目で見やる。学校へ登校するときと変わらぬ時間に起きてきた子らを呆れたように笑った。
「ショウタも? いないけど」
「新聞取りに行ってるわ」
言ったそばから、玄関が開く音がする。
リサは廊下に出た。入ってくる弟に「おはよう」と声をかけてから洗面所へ向かう。
(よし)
冬場の水はいつも以上に冷たい。気合いを入れて、カランを捻る。そこではたと気付いた。
右の薬指に嵌るリング。
(あぶないあぶない)
外してそっと、水のかからないところへ。
プレゼントの話から、お揃いでお互いに何か買おうということになって二人で見に行って決めた。これといって特徴のないシンプルなリングだが、それがいい。これにはタクミも同意見で、揉めることなくすんなり意見がまとまったことはリサの記憶に新しい。
「――それでは次の話題です」
家族三人が朝食を取る居間では、テレビがついているのはいつものことだ。
朝の情報番組はエンタメコーナーに入り、芸能情報を伝えている。
「そうだ、電球買ってきてくれる? お母さんの部屋、一個切れかかってるみたいなの。ストックあると思ったらないのよねえ」
浅漬けのキュウリを箸で摘みながら母が思い出したように言う。
「今日はお昼からだっけ」
確認するショウタに、母が頷く。
母の勤め先は近所のスーパーだ。先日はパートリーダーに推薦されたらしく照れながら「頑張るね」と言い、「来年からは仕事に出るわ」と続けた。本来この時期は忙しい。事情を知っている店長は快く休みを取らせてくれていたが、やはり気が引ける。
父が亡くなって三年。引きずっているつもりはないが、
「区切りをつけなくちゃね」
殊更明るく宣言した母に、リサたちは黙って頷いた。口に出して確かめなくても、兄弟の誰もがすっきりと頷いたわけでないことは顔を見れば明らかだった。
ちなみに姉は甥っ子を連れて夕べのうちに帰っている。
「母さんのとこで買ってもいいけど……確か、ポイント貯まってたでしょ? ついでにポットも見てきてくれない? 最近調子悪いでしょ」
「わかった」
「ショウくん、お姉ちゃんの荷物持ちお願いね」
「うん、任せて」
芝居がかって胸を叩くショウタ。それを見て笑う母。世は事もなし、そんな言葉が思い浮かぶくらい、橘家の食卓は平和である。
リサはテレビに視線を向けた。
垂れ流し気味だった音声が急に途絶えたからだ。
母たちも同様にそちらへ向く。
画面風景がスタジオから報道フロアへ切り替わった。
「緊急速報です」
何事だろう。物々しい雰囲気に、一家団欒の温かい雰囲気は一気に消し飛んだ。
「本日未明より、未確認生物の目撃例が世界各地で相次いで報告されています。目撃者による話では、それは黒い靄状の、人のような形状のものということです。
政府からの公式通知を発表します――
外出はなるべく控えてください。
万一遭遇した場合は、排除、もしくは、すみやかに安全な場所へ退避してください。
繰り返します――………… ……
……………… ……………… ………………
……――それでは次のニュースです。
ここ数日全国各地で行方不明者が相次いでいる事が」
次のニュースまでしばらく皆固まっていた。その間、ゆうに五分あったが、三人ともせいぜい五秒程度に思っていた。テレビ隅の時間表示をおかしいとは感じなかった。
「……ショウは留守番ね」
「危ないから一人は駄目よ」
心配顔の母に「大丈夫だって」とリサは笑って見せた。
「それよりショウと一緒の方が怖い」
「なんだよそれ、足手まといだっていうの?」
口を尖らせるショウタに、「そうじゃなくて」リサは頭を振った。
「一緒に行って、もし私の方が先にやられちゃったらどうするの? それに家の中が空っぽって何か……怖いの、お姉ちゃんは。
だから、ね?」
怖い。それは偽らざる本心だ。今日みたいなこんな日は特に。
戻ってきたとき跡形もなくなっていたらと思うとぞっとする。ここには父との思い出や、母や弟たちと共にする日々の喜怒哀楽が染みついている大切な場所なのだ。
「……わかった」
こっくり頷いたショウタに向かって「ありがとう」と微笑む。
ただ買い物して帰ってくるだけ。
それだけで済めばいいのだが。
(出る前にフジくんにメールしてみよう)
*
いつだって何でも知っているような顔をして。
ある日とうとう堪えかねて詰め寄った。
「何か言ったらどうなんですか?」
そうくるとは思わなかったのか、彼はきょとんとしていたがやがて破顔し、いつものようにさらっと言った。
「だってさ。どこがいけないのか、自分でちゃんと分かっているでしょ?」
何も言い返せなかった。
何もかも分かった上で黙っている――その余裕ある態度が腹立たしかった。
いつも。
いつも!
敵わないと思い知らされて、その都度追いつきたいと願ってしまうくらいには。
憧れだった。