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エイス



 魅入られたように見上げていた。

 腰まである漆黒の髪は風になびけばさらさらと冷たい音がしそうで。

 着ているのはこの辺では見かけないセーラー服。感嘆符を語尾につけたくなるくらいとても似合っている。しかし身につけているのは年齢不詳の女性だ。おおよそ学生には見えないのだが、でも本人が学生と言えば頷いてしまいそうな妙な迫力があった。

 浮かべた笑みと腰に手を当てた立ち姿とが絶妙に相まって、タクミには彼女が救いの女神に見えた。

 それでも。

 助かったと安直に飛びつかない程度には、タクミも我を忘れてはいなかった。

(……こいつどこから湧いて出たんだ?)

 階下へ続くドアはさっき自分で開けた。なにより彼女がいるのはタクミの後ろ側、つまりタクミよりも部屋の中にいるわけで。そうなると窓くらいしか入ってこられる場所はない。

 だがぞっとすることに、わざわざ確かめなくとも鍵が掛かっていることは夕べ閉めた張本人たる自分がよく知っている。

 本能的に視線は背後、つまり脱出先を確かめる。

「待って!」

「!」

 びくりと肩を震わせ、タクミは相手を見上げる。

「お願い待って、逃げないで。ごめん。驚かせるつもりも怖がらせるつもりもなかったんだ。ただ、出現場所を『おまかせ』にしたもんだから、まさかそれで誰かの部屋の中になるなんてボクも思わなかったっていうかさ。ああっ、とにかくごめん!」

 ぱんっと手を合わせ、彼女が頭を下げる。

(漫画かよ……)

 謝る彼女の眉が絵に描いたような分かりやすい下がり眉で。気にするべき所はそこではないと分かるのだが、目を奪われてしまったものはしょうがない。

 タクミは呆けたようにその顔に見入った。

 ――何かが変だ。

 いきなり現れたこと事からしてそうなのだが、

(……完璧すぎるんだ)

 服装、造作、声、動作、喋り方。一つ一つが特徴的で、しかしちぐはぐにならずそれらが見事に調和して整合が取れているいるという、ありえない存在が目の前にいる。

 まるで二次元と三次元の間から抜け出てきたような精巧な存在。

「……い、おーい。ねえ聞いてる?」

「え?」

 目の前を過ぎる影にはっとする。正体は彼女の手だった。

「折角の自己紹介、聞いてた?」

「……ごめん」

 反射的に謝っていた。

「……」

 彼女は目を丸くして、聞こえるか聞こえないかくらいの声で何か呟くと、

「それじゃ改めて。ボクはエイス。これからよろしく、藤野匠くん」

 さも当然のような顔でフルネームを口にする存在に、ぎょっとする。

「俺、名前言ってな……」

 動揺するタクミに向かってエイスはにこっと笑い、

「ね。タクミでいい?」

 まるでいいことを思いついた子供のような顔で聞いてくるから、タクミは嫌とは言えなかった。

「…………い、いいけど、」

 大抵の人間はタクミのことを下の名では呼ばない。両親くらいのものだ。みんな名字からとって『フジくん』だ、タクミもそれに慣れている。

 だから妙にこそばゆく、しかも初対面かつ得体に知れない相手なのに彼女にそう呼ばれて悪い気がしない事実に戸惑う。やはり相手が美人だからだろうか。

「じゃあ、タクミ。今から大事な話をするからさ……嫌だろうけどそこ、座ってくれるかな」

 エイスがそう言うと一つしかないドアが、この部屋を与えられてから一度もきいたことのない悲鳴をあげながらひとりでに閉まり。

 そして彼女はその前に陣取った。

 スカートにもかかわらず胡座を掻いて。

「……」

 思わずため息が出た。

「……そこ、どいてくれないかな」

 スカートと太ももの狭間を意識しないように目を逸らしながら告げる。

 退路を断たれたタクミに余裕はない。が、先ほどのひとりでにドアが閉まった場面を思えば慎重にならざるをえない。

 どんな仕掛けか知らないが、エイスによるものだろう。

 窓から出ていくという手もあるが、ここは二回だし、寸前で引きずり戻されそうな予感がある。

 何より、懸念事項が一つ。

(俺は窓を開けられるんだろうか)

 さっきドアノブに触れた時の感触が蘇る。できれば味わいたくないものだが、似た不快感は今もタクミの足下で生じていた。

 おかしいのは自分なのか。それとも……。

「聞けないなあ。悪いけど、きみの願いを叶えることは現時点において最優先時候から外れるんだ。気は乗らないだろうけど、さ、そこに座って」

 エイスは困ったように笑いながら、自分の前の床を指した。

「……」

 その行為に強制力があったかはしらない。が、結果としてタクミは出ていかなかった。

 ここは素直に話を聞いておくべきなのかもしれない。思考を高速回転させはじき出す。祖母の教えを鑑みればこの出会いは無視しがたい。それにやはり懸念事項がひっかる。

 決意してその場に腰を下ろした。

「……う、」

 思わず声が漏れる。床に触れる範囲が増えたことで不快感も増す。

「……聞いてやろうじゃないか」

 挑むように睨み付けてもエイスの態度は変わらなかった。

 ――こいつ笑っている。

 気がついてタクミはぞっとした。

 思い返せば、目の前の存在は現れたときからずっと笑顔だ。さすがに仮面のように同じということはないが、そこに黒いものを感じないのが尚のこと気持ち悪い。

「……気持ち悪い」

 口から零れた言葉にはっとしてエイスを見る。

(うわ、言っちまった……)

 焦りながら言い訳を探す一方、相手の反応が気になって顔を見ては目を逸らす。そうしてタクミが舞い上がっている間に、

「ああこれ?」

 言わんとするところを察したらしく、エイスは笑いながら自分の頬に触れた。

「悪いけど我慢してくれる? そういう仕様なんだ、まったく困るよね」

「……しよう?」

 聞き慣れない言葉を反芻する。

「うん。でもその話はあとで。今言ってもわけ分かんないだろうし、やっぱり何事も順番ってものがね、あるんだよ」

「……ならとっとと話せよ」

 そうしてくれないと、前置きの時点で右から左へ抜けようとしている。

「ごめんごめん。じゃあ、はじめるよ――」


 はっきりいって、エイスの話はとんでもなかった。

「君に起きている異常を分かりやすく説明するために一つ、たとえ話をするね」

「お、おう」

「あるところに一本のゲームソフトがありました。

 リメイクして一儲けしてやろうとその利権を買い取ったやつがいました。

 いざ蓋を開けてみれば、その中身は作ったやつにしか分からないんじゃないかってぐらい複雑きわまりないものでした。

 作者に話を聞ければよかったんだけど、残念なことに行方不明でね。

 それでも買い取ったからにはと執念で解析を続け、そうして完成した作品は悲しいことに欠陥だらけだったのです」

 以上、と軽やかに締めくくったエイスをタクミは莫迦みたいに見つめ返した。

 にこにこと笑顔で淀みなく言うものだからか、内容が頭にちっとも入ってこなかった。

「悪い、もっかい言って?」

 頼みながら、自分ってこんなに理解力なかったけ、と首を捻る。

「ええとね、つまり。ボクが言いたいのは。そのゲームっていうのがこの世界なんだよ」

「……はぁあ?」

 眉間に皺が寄るほど顔をしかめたタクミを前に、エイスの笑みが少しだけ歪む。

「……うん、完全に理解しろとは言わないからさ。最後まで聞いて欲しい。お願い。じゃないと先へ進めない」

 手をすりあわせ平身低頭にじり寄るでなく、ただこちらの目をじっと見つめてくるエイス。

 魔法でも掛けられてるんじゃないのか……思わずそう考えた自分に驚き、タクミはエイスから目を逸らす。

「…………続ければ」

「……うん。時間は惜しいものね……じゃあ、改めて説明するよ。

 君が生きるこの世界――「箱庭」の創造者にして管理者は長いこと行方不明でね。代わりに、新たにその座につこうとしたやつがいたんだ。だけどうっかりシステムの掌握にしくじってしまってね。不特定一部の人間が世界からバグ扱いされる羽目になっちゃったんだ」

「うっかりってなんだよ」

「きみだってあるでしょ? 百点間違いなしだって何度も見直した答案がさ、返ってきたら何てことない凡ミスでマイナス一点、そのせいで学年二位とかさ」

「……自分で言うのもあれだけど、そんな争いできるような頭があったらきっとあんたの説明は聞いてなかっただろうな」

「……あー、きみの頭の程度はともかく」

 仕切り直すとばかりに空咳をして、

「君が身体に感じている異常は、世界が君を排除しようとしている結果なんだ」

 防衛本能か、身体が理解を拒否した。

 世界が排除しようとしている――そんなことを言われたら昨日までのタクミなら鼻で嗤っていただろう。

 だけど、今感じている違和感は本物だ。

「ふは……っ」

 どうやら深刻な問題らしいが、気がつくと笑っていた。

「ボク、面白いこと言った?」

 不思議そうにと問う声に「いや」と首を振る。

「笑う以外にどうしろっていうんだよ」

 かといって笑えば何か変わるわけでもないが、最初に出てきたものがそれだったのだから仕方ない。

「うわ、涙出てきた」

 ひとしきり笑って、目尻を指で拭う。その間、エイスは沈黙していた。ひょっとすると待ってくれていたのだろうか。

「……俺、バグなのか」

 改めて口にしてみると、胸の辺りがずんと沈む。

「うん」控えめな返事。

「じゃあ、お前は何なんだ」

「触手?」

「は……?」

「や、触角?」

「おい、」

「簡潔な喩えが思いつかなかったんだってば、ほんとだって。

 ……さっき、説明の中で利権を買い取った奴がいたでしょ」

「ああ……」

「ボクはそいつの、いわゆる――分身? なんだよ」

「なんで疑問系なんだよ」

「だから。簡潔な喩えが思いつかないんだってば!」

 エイスは地団駄の代わりに両手を床で叩く。勢いのわりに音は鳴らない、それが彼女もこちら側であることを物語っていた。

「それ……平気なのか?」

 エイスは「これ?」と自分の手のひらを見、

「うん。不快だとか思う感性が最初からないからね。ってそんな目で見ないでよ。ちゃんと説明するからさ」

 そう言われても同じように笑顔になんかなれやしない。

 やっぱり目の前にいるのは異質な存在なのだ。たとえ自分が世界から見たら異質な存在になったのだとしても、エイスとは違う。

 エイスは同じようでまた別物だ。タクミは己に警告する。きっとそれを忘れたら駄目だ。

「――吠えてるねえ」

 エイスが窓を振りかえる。つられてタクミも窓を向く。

 たぶん家の近所で飼われている犬だ。小心者なのか、しょっちゅう散歩中のよその犬に吠えることで有名だ。

(……にしても)

 吠え方が尋常ではない。まるで悲鳴じみている。

「君もボクも、外に出たらああだ」

 正面に向き直ったエイスは言った。

「バグらなかった方から見たら、ボクらは化け物に見えるらしいよ」



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