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おかしい



「――っセンパイ!」

 堪りかねたような悲鳴に、タクミははたと自分が掴んでいるものを思い出した。

「……ごめん、俺」

「……はい、痛かったです」

 腕をさするネネに「ごめん」と重ねて謝る。ネネは短く息を吐き、

「……驚きました。センパイの彼女が先輩だったなんて」

「は?」

 てっきり文句を言われるのだと、謝罪の言葉を喉元で待機させていたから、タクミは対処できなかった。

「先輩ってもしかして、リサのことか」

「そうです。うちの中等部の、しっとり系美人ランク上位三人に必ずランクインしてた有名人さんでしたからよーく覚えてます。

 センパイのことも、覚えてますよ」

「は? 俺?」

 はて、どこで会っていただろう。これまでネネと面識はなかったはずだが、首を捻っても頭を振っても、全く思い出せやしない。

 そんなタクミの様子がおかしいのか、ネネが笑う。

「センパイは一時、うちの学校で有名だったんですよ?」

「俺が?」

 返す語尾が上擦る。身に覚えがない。ないどころか、なさ過ぎて困惑する。

「だってセンパイ、先輩のこと校門で待ち伏せしてその場で告ってたじゃないですか。どこの少女漫画だって話ですよ。

 噂で興味持った高等部の人が、先輩のこと見に来たって聞きましたよわたし」

「うっわ、まじかよ……」

 穴があったら入りたい、というか今すぐリサの前で土下座して平謝りしたい気分だ。もちろんそんなことは現時点到底無理だが、とにかく申し訳ない気分でいっぱいである。告白して自己満足して完結した自分はいいが、リサにとってはえらく迷惑千万だったはずだ。

(いつ訊いてもお茶を濁されて「はい、終しまい」なのはそれでか……)

 やっと合点がいった。

 当時の自らを思い返したことで顔が火照ってきたタクミは、話を切り上げるべく質問をした。

「……ところでさっきの力は何だったんだ? エイスたちはどうしたんだ?」

「あのひとならユウ君と一緒です。先輩がどこ行ったか分からないから、探すのに二手に分かれたんですよ。あたしはセンパイの家で、あっちは先輩のほう。で、あとで合流しようって」

「組み合わせ逆だろ……。というかお前、よく俺んち知ってたな」

「場所は、こう、あのひとに手を握られたら勝手に頭の中に入ってきたんです。一人になるのは怖かったですけど行ってって、お願いされちゃったし」

 それに、とネネが言いよどむ。

「それに?」

「……笑わないでくださいよ」

「お、おう?」

「あの人、笑ってなかったんですよ」

「へ……」

「すぐ元に戻っちゃったんですけど、でもお願いされたとき、笑ってなかったんです。自分じゃ気付いてないみたいでしたけど」

(……ああ、ね)

 笑う事なんてできやしない。

 タクミもまた、エイスの顔から笑みが消える場面に遭遇している。

 あれは覿面だろう。いつも明るい人間が涙を見せたりすればころっとやられてしまう、人は単純な生き物だ。タクミだってお願いされたら、引き受けてしまうかもしれない。

 しかしエイスのそれが無意識に行われているというのなら、それはおかしなことではないだろうか。

(それって仕様外ってことだろ?)

 それともそういう仕様で、自分たちはまんまと術中に嵌められているのか。

「あ、おーい!」

 呼ばれて見れば、こちらへ向かって大きく手を振るエイスと、手を繋がれて嫌そうにしているユウマの姿がある。

「ユウく~ん!」

 ネネが呼ぶと、ユウマはエイスの手を払って駆け寄った。

(うわー、露骨……)

 ちょっとエイスが気の毒になったタクミだが、気にするだけ無駄かと思いなおす。相手はエイスだ。自分たちと同じ精神構造を持っているわけではない。

「ユウくん大丈夫だった?」

「うん」

 互いの無事を喜んでいる二人を微笑ましく眺めながら、タクミはエイスの到着をじりじりと待った。

 聞きたくて仕方ないことがある。

「よかった、無事で」

 タクミの前に来るなり、エイスはそう言った。

 一体どんな気持ちで言っているのだろうと問いたいのを堪える。きっと頭の中の定型句を吐き出しただけなのだろう。そう思うと腹が立つどころか、やるせなくなった。

 自分はこの存在に何を期待しているんだろう。

「おかげさまで。それより、あれ、何だよ」

「アレ? ああ、あれ。ネネちゃん使ったんだね。間に合って良かった」

「うん、だから何あれ?」

「魔法だよ、魔法には魔法でしょ?」

「でしょ、って言われても……」

「あ、心配しなくてもちゃんと君も使えるようになってるから」

「はい?」

 こちらの戸惑いなどお構いなしで説明は続く。

「ただ、こっちの魔法は守り専門なんだ。向こうの魔法を防ぐ盾というか壁を張るだけの魔法だから。派手なエフェクトも展開しないし」

「あの肝心なこと訊いていいか?」

「うん?」

「それどうやって使うんだ? 呪文とかあるのか?」

「呪文? ないよ。そんな時間かけてられなかったし、そんなまどろっこしいことしてたらやられちゃうよ」

 大方の人間が抱く魔法に対する幻想をばっさり断ち切ったエイスは、人差し指で自分のの額をとんと突いた。

「こう、額というか眉間あたりにぐっと力を込める感じで。あるいはぐっと拳を握ってもいい。要は「使うぞ」って集中すればいい。それで魔法が展開するから」

「適当だなあ」

「だから時間なかったんだってば。それにこれぐらいがいざって時にちょうどいいでしょ?」

「んまあ……」

 一度危機を体験したから、長ったらしい呪文を唱えている暇も余裕もいざというときはないだろうことはよく理解できる。

 魔法を得たことは頼もしいことだ。しかしそれは一時的に不安を取り除くだけだ。何も解決していない。

「――なあ」

「うん?」

「いつなんだ、いつ俺たちは元に戻れるんだ」

「……ごめん」

 もうちょっと待って、と言ったエイスが笑っていなくて、タクミは舌打ちするしかなかった。

(卑怯だろ)

 そんな表情を見せられたら、それ以上続けられないじゃないか。それともやっぱりわざとなのか。

「……わかった」

 もやっとした気持ちを封じるようにタクミは唇を引き結んで、エイスから目を逸らした。



 * 



(何だろう、これ)

 タクミの姿を遠くに認めた瞬間、エイスはとてもほっとした。

 同時に、そんな自分に首を傾げる。

 無事を確認して安堵する、その行為自体におかしなところはない。少なくともエイスはその人間の行為とそこに至る過程を理解しているから、その通り実践してみたに過ぎない。

 そのはずなのだが……この、胸の奥の方でじわっと溢れたものはなんだろう?

(これは……喜び? ボクは……嬉しいのか?)

 嬉しい、というのは人間が持つ感情だ。それは識っている。どういうときにそれが起こるのかも。

(変だ、ボクはおかしい)

 エイスの知識をエイスの身体が裏切っている。これは異常だ。自分はどこか壊れてしまったのか。しかしエイスには最低限の機能しか備わっていないから、たとえ異常が見つかっても致命的でない限り稼働は可能だし、自己修復は人間が持つ自然治癒程度のもので期待は出来ない。

(ボクはおかしい)

 おかしくても、エイスはエイスの仕事を続けなくてはならない。エイスはエイスがこの世界を把握するため簡易に作られたエイスの代理感覚器のようなもの。

 今のところ仕事に支障はでていないから、そう重大な欠損欠陥ではないのは間違いない。

 エイスはそう判断したし、判断した己を疑わなかった。



 


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