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ごめんね



「――っ、はなして、よ……っ!」

 ユヅルに腕を押さえつけられたリサが、振りほどこうと暴れる。その力の強さに舌を巻きながらも、ユヅルは拘束する手をゆるめてはやらない。

(もう行ったかな)

 暗闇の先に目を細め、何も映らないことを確認する。

「あーはいはい、ごめんね?」

 あっさり手を放してやると、リサは抵抗の反動で後ろによろけ、たたらを踏んだ。

「行っちゃったねえ」

 頬のあたり、刺さる視線を無視して、例の化け物が逃げていった先を目で追う。どれだけ目を凝らしてもユヅルにはただの暗がりだ。

(脇目も振らずに行っちゃった)

 いくら周りを見る余裕がなかったとしても、明かりのない人間は暗闇を駆ける危険性を知っている。

「……いったいどういうつもりなの」

 低い声でリサが問う。殺し切れない怒りがじっとり滲み出ている。

(かわいいなあ)

 不謹慎にもにやにやしていると睨まれたので慌てて引っ込める。莫迦にしているつもりでないと訴えたところで伝わらないだろうから、伏せておく。

 ユヅルも鈍感ではない。自分がリサにあまり好かれていないことは知っている。

 それも含め、これが「モモチユヅル」という自分が選んだ生き方だ。悔いはない。

「どういう……って、どうして邪魔すんのかって?」

 分かりきったことを問うなと、冷たい目が誹る。

 俄然、面白くなってきた。

「じゃあ訊くけどさ、きみは何とも思わないの?」

「?」

 意味が分からない、といった顔のリサに、まあそうだろうなと思う。彼女じゃなくてもこんな問いでは首を傾げるだろう。

 いやそれでも何か感じるものがあったなら、ユヅルが言わんとすること察したはずだ。そう思うのは傲慢だろうか。

「……たとえばさ、なんで魔法が使えるんだろうとか」

「そんなの、あの化け物を消すためでしょう?」

 すかさず返ってきた答えにユヅルは苦笑するしかない。

「それだよそれ。魔法だよ、魔法。おかしいと思わないの」

「……何を言ってるの?」

 眉を顰めるリサにユヅルは畳みかける。

「さっきの化け物だってさ、あれがフジくんだとは考えなかったの?」

 思った通り、彼女の表情は困惑に染まった。

 どうみてもあれが人間だとはユヅルにも見えなかった。闇に蠢く、闇にかろうじて染まらない輪郭を持つ何か。形なき口唇から耳障りな奇声を発し、近づいて、そして逃げた。

 その存在は確かに化け物と言っていいだろう。

 だがそれは藤村家の前にいたユヅルたちにわざわざ近寄ってきたのだ。

 底意地悪く、ユヅルは腹の内で嗤う。

 リサに一石投じてみたのは、単純に私欲だ。彼女の困った顔が見たい、それに尽きる。

 これぐらいのことで世界が変わるとは思っていないし、そんな大層な力が自分にないことを今のユヅルはきちんと自覚していた。

 魔の前には困惑顔のリサ。ユヅルは見えないところで舌を出す。

(ごめんねフジくん)

 胸の中で届きもしない謝罪を飛ばした。


 

 *



 玄関のドアを閉めるなり、リサはそこに寄りかかった。

(あの化け物が……フジくん……?)

 こめかみを脈が打つ。

 ユヅルの指摘が頭の中をぐるぐると回る。

 思わず両手で顔を覆った。何てあり得ないことを言うのだろう。

「……なんなの」

 段々腹が立ってきた。

 モモチユヅル、やっぱり苦手だ。出鱈目を言って、こっちが困っているところを見て楽しんでいたに違いない。きっとそうだ。

(だって、あるわけないもの……!)

 化け物は化け物、タクミはタクミだ。

 それなのに、どうしたことだろう。動悸が止まらない。

(やめてよ……)

 これではユヅルの言うことが本当だと認めているみたいではないか。

(違うってば)

 もし本当だったら。自分はさっきタクミを消すところだったと考えて、ちょっと怖くなっただけ……それだけだ。だってそんなことは現実、ありえないのだから。

(……そうよ、)

 静かに息を吐く。

 気持ちを切り替えようと思うのに、全て知っているかのようなユヅルの顔がちらついてなかなかうまくいかない。

(もう最悪……)

 リサは両手で顔を覆ったまま、ずるするとその場に座り込んだ。

「フジくんのばか……」




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