1 ミーナとの出会い
ーー風が、心地よかった。
草の香り。小鳥のさえずり。乾いた大地の感触。
けれど、それ以上に、胸の奥に渦巻く“焦燥感”が彼を締めつけていた。
(ここは……どこだ……?)
少年はゆっくりと上体を起こした。見渡す限りの草原。見知らぬ空。
そして、自分の名前「ヤマト・タケル」以外、なにも思い出せない。
(誰か……誰かを、助けなきゃいけなかった……)
確信とも妄想ともつかない思いが胸の奥に根を張っていた。
何を救わなければいけないのか。誰を救うべきだったのか。
すべてが霧の向こうにある。
右手に握っていたのは、壊れかけた銀色の機械の破片。
用途も名もわからない。けれど、なぜか──これだけは絶対に「捨ててはいけない」気がした。
それをポケットに仕舞い込み思考の沼に落ちる。
(……俺は、勇者なんだ)
思考は唐突に、そう結論づけた。意味も理屈もない。けれど、胸の内にこだまする使命感が、それを信じさせる。
(だから、きっと俺はこの世界を救うために来た……!)
その時だった。
「──キャァァァァァァッ!!」
遠くから、甲高い少女の悲鳴が草原に響いた。
タケルは無意識のうちに体を動かしていた。
悲鳴の方角へ、必死に草をかき分けて駆ける。
──そして見た。
短く切り揃えられた金髪の猫獣人の少女が、杖を抱えながらよろめき、後ろから追いすがる黒毛の狼のような魔物に迫られていた。
少女は怯えた目で逃げるが、足がもつれ、転倒する。
(考えろ……何か……何か……!)
手元にある機械の破片。それを見て、体が勝手に動いた。
眼前では金髪の少女が地に倒れ、肩で息をしていた。
その背後に、全身を黒毛で覆った異形の獣。
大きな牙。赤い瞳。地を蹴るその姿は、まさに獲物を狩るものだった。
「逃げろっ!!」
タケルは迷いなく叫び、少女と魔物の間に割って入った。
「な、なにして──っ!?」
少女は怯えた瞳で見上げる。
タケルは武器もないまま、手頃な石を拾って構えた。
(どうすればいい……? くそっ……体が震えてる……!)
魔物は唸り声をあげ、飛びかかってきた。
タケルは咄嗟に横に跳ぶが、肩に爪がかすめ、激痛が走る。
「ぐっ……!」
血がにじむ。足元がふらつく。
少女が悲鳴を上げて身をすくめる。
ーーこのままじゃ、死ぬ。自分も、彼女も。
(なにか……なにか武器はーー)
ポケットに手を入れた。冷たい破片が指に触れる。
これだけは、何故か「使える気」がした。知らない筈の破片が《解った》
(この形状……圧縮反応機構……?)
タケルの瞳が赤く光った。
頭の奥で、封じられていた何かが一瞬だけ“目覚めた”。
「……スキル《サイエンス》、起動──」
言葉が勝手に口から漏れた。
次の瞬間、破片が淡い光を放ち、空中に青白い円陣が浮かび上がる。
その中心から閃光が迸り、魔物の動きを一瞬だけ封じるバインドフィールドが発動した。
「なっ、なに……これ……!?」
タケルは自分でもわからない力を操っていた。
無意識に数式を組み、素材の構造を解析し、発動回路を構築していた。
「いまだッ!!」
彼は迷わず飛び込み、下に落ちていた枝を拾い上げ、魔物のこめかみに力いっぱい突き刺した。
──魔物は悲鳴を上げ、血を吐き、倒れた。
しばしの沈黙。草原に、風の音だけが残る。
タケルはその場に崩れ落ちた。
「はぁっ……はぁっ……!」
肩は血に染まり、呼吸もままならない。
それでも──少女が無事であることに、心底ほっとしていた。
タケルはその場にへたり込み、荒く息を吐いた。
少女が恐る恐る草木の間から顔を出す。
「す、すご……なにそれ、何者……?」
タケルは笑った。ぼろぼろの白い布と金属の破片だらけの自分の服を見下ろす。
「……俺は、勇者らしい」
「……はあ?」
少女はあきれたように呟いた。
「自分の名前以外……なにも思い出せない。でも、“助けなきゃいけない”って、それだけは……胸の中に、ずっとあるんだ」
少女はしばらく黙っていたが──やがて、ふっとピンク色の目を弓なりにして微笑んだ。
「……なんか、嘘ついてる顔じゃないわね。変な人だけど」
タケルも照れ笑いを返す。
「私はミーナ。見ての通り猫の獣人族よ。魔法学校を目指してたんだけど……こんな草原で迷って、魔物に襲われちゃって……助けてくれてありがとう、“勇者”さん!」
「お安い御用さ」
だが、タケルは知らなかった。
この世界には“魔法”という概念が存在し、自分が“魔力を持たない異端者”だということを──まだ。