ウルside 人形の瞳
夜――。
女子寮の一室。整然と整えられた空間に、少女の吐息だけが響いていた。
ウル・アークライトは机に向かっていた。
筆先を魔力で制御し、魔法陣の練習帳に何度も何度も式をなぞる。
もう、何十回目だろう。無数の魔素がこびりついたような紙は、すでに端が擦り切れていた。
けれど、ウルの瞳は鋭く、手は止まらない。
「……また、ズレた」
呟いた声には、自分への嫌悪が滲んでいた。
魔力制御は――まだ、完璧じゃない。兄のジルベールよりも、そして何より……姉には、到底及ばなかった。
《氷華の女王》、ルル・アークライト。
王国騎士団に名を連ねる才媛。姉でありながら、全てを持つ天才。
美貌、才能、家柄、名声――どれをとっても完璧。
一方でウルは。
「“もう一人のアークライト”か。“あの姉の劣化”……また、あの顔で見られた」
彼女は思い出す。幼い頃から――あらゆる場所で比べられた日々を。
「双子? うそでしょ?」
「どっちが姉様? ……ああ、強い方が姉か」
「ウル様も魔法をお使いになるのですか? ……失礼、冗談です」
笑いながら、微笑みながら、平然と毒を吐く貴族の子供たち。
両親さえも、あからさまにルルだけを“誇り”と呼んだ。
(努力して、努力して、それでも、私には魔力が……足りない)
貴族は魔力量が“家の格”を示す。
その中で、ウルは“異常に低い”とされた。
魔力量が少ない貴族――その意味するところは、血が薄い、不要、劣等種。
だから。
兄と、支え合って生きてきた。
ジルベールもまた、姉に劣ると見なされた存在。だから二人で、何とか笑いあってきた。
「なのに……」
魔力ゼロのタケルが現れて、授業で制御精度を見せつける。
あの笑顔。悪意のない瞳。自信。純粋さ。
(“魔力がないからって、言い訳にはならない”って……そんな目だった)
違う、違うのに――。
私は誰よりも、努力してきた。
人の何倍も、苦しんできた。
それでも届かなくて、それでも努力していたのに――。
どうして、あなたが、そんな顔で――私より、前を走っているの?
机に突っ伏す。
胸の奥が焼けるようだった。
「…………嫌い」
ただ、それは。
他人に向けたものではなく。
自分の、あまりに脆くて小さな“自尊心”に向けた呪詛だった。
涙は流れない。
ウル・アークライトは泣かない。
泣く暇があるなら、次の詠唱式の研究に時間を使う。
彼女はそうして、“心を壊して“生きてきた。
だからこそ。
(……見てなさい、大和タケル。いつか……私が、証明する)
人形のように無表情の少女は、瞳に火を灯す。
それはまだ微かな、でも確かな“熱”だった。