10 昼下がり、近づく距離
ローズ王立魔法学園、昼休み。
緑に囲まれた中庭のテラスに、タケルは昼食を広げていた。携帯用のパンとスープに、今朝ミーナが「食べなさい!」と渡してきた果物。
「……ふぅ、静かだな」
見上げると青空が広がっており、騒がしかった午前の授業が嘘のように、時間は穏やかに流れていた。
そこへ、トレーを持ったジルベールが現れる。
「隣、いいか?」
「え? ああ、もちろん」
気まずさがまだわずかに残るものの、先日の決闘を経て、ジルベールの態度は多少柔らかくなっていた。
タケルもそれを察し、変に突っ張るような気は起きなかった。
「ったく、ウルのやつ……まだ怒ってやがる」
ジルベールはスプーンを置くと、ため息交じりにそうこぼした。
「……そんなに根に持つタイプなのか、ウルって?」
「いや……根に持つっていうか、感情の出し方が不器用なんだよ、あいつは」
「ふーん……」
タケルが相槌を打つと、遠くから聞こえてくる声に耳がとまる。どうやら近くの生徒たちが、ジルベールとウルについて噂しているようだった。
「ほら、アークライト家の落ちこぼれ双子って……」
「貴族のくせに魔力量が下の下って、恥ずかしくないのかな」
「姉はあんなに優秀なのにね……」
「……!」
タケルはスプーンを置いた。
「……ああいうの、聞き流すしかねえよ。今さら気にしない」
ジルベールが低く言うが、タケルの表情はじっと固まっていた。
「……お前は、あんなこと言われて悔しくないのか?」
「慣れたよ。……もう怒るのも疲れた」
「でも、それでも……あんなことを平気で言う奴らがのさばってるのって、なんか違うだろ」
タケルの声音には、静かだが確かな怒りがあった。
「オレさ、記憶がないんだ。けど……そういう無神経な言葉に腹が立つってことだけは、感覚でわかる」
ジルベールは黙っていた。言い返す言葉を探しているわけではなく、ただ、その静かな怒りを真っ直ぐに向けられて、何も言えなかった。
しばしの沈黙の後、ジルベールが不意に笑った。
「……なんでか知らねえけど、お前、真っすぐすぎて疲れるな」
「それ、褒め言葉?」
「さあな」
そう言って、スープに手を伸ばしたジルベール。その横顔は、どこか軽くなったように見えた。
◆ ◆ ◆
タケルは心の中で小さくつぶやいた。
(……俺に記憶はないけど、こういうのは、きっと大事なんだろうな)
目の前のジルベールと少しずつ距離が縮まり、いつしか”クラス”が”仲間”になる。その始まりが、今この静かな昼下がりだった。
そして、そんな2人の様子を――
少し離れた場所の木陰から、ひとりの少女がじっと見ていた。
(……なんで、私、こんなにイライラしてるの?)
ユリはタケルの横に座るジルベールを、微かに睨みながら小さくため息をついた。
ーーー
午後の授業は「魔力制御の基礎」――基礎制御術の実技演習だった。
魔力量や精度を測定するため、教室の壁際には木製の標的と、魔力の流れを記録する測定装置が並んでいる。
「今日はペアになって、魔力の制御精度を互いに確認し合ってもらう」
教師のブラン=ロイドが淡々と指示を出すと、生徒たちは慣れた様子でペアを組んでいく。
タケルは自然とカイラスと組むことになった。
「よろしくな、タケルくん」
「うん、よろしく」
いつもながら穏やかでにこやかなカイラス。その柔らかな笑みは、どこか心をほぐすような温かさがあった。
対照的に、教室の隅ではウルが黙々と準備をしていた。組んでいたのはジルベール。
タケルがちらりと視線を向けると、ウルと一瞬だけ目が合う。だが、彼女はすぐにそらした。
「ふん…」
(……あの目、明らかに苛立ってる。俺、なんかしたか?)
そんな疑問を抱えつつも、タケルは魔力制御に意識を集中した。
【サイエンス】――科学的知識を活用し、魔法現象を数値的に再現する異質なスキル。
「じゃあ僕から行くね」
カイラスは軽く右手を掲げた。紫電が指先に踊ると、ふわりと風が吹いたような気配の後、雷光が走る。
「《雷弾・双牙》」
放たれた2本の雷の矢が、標的の石柱に寸分違わず突き刺さった。だが柱は焦げるだけで砕けることもなかった。
「威力制御……完璧だな」
「うん。あれくらいなら、体に当たっても気絶するくらいで済むよ。さ、次は君の番」
タケルは深く息を吸った。
(自分にできることをやるだけだ……!)
右手をかざし、対象に向けて構える。
「《解析開始――対象:風魔法構成式》……構成調整、再構築……発動、《風槍・低圧圧縮》!」
解析した風魔法を、威力を抑えて再編成し、細い空気の槍として打ち出す。
ヒュッ――という音とともに風槍が目標に突き刺さり、微かに表面をえぐった。
「すごいね。君、ほんとに魔力がゼロなの?」
カイラスが目を丸くして尋ねた。
「うん……魔力は、ほんとにゼロなんだ。でも、魔原子の構造と変換式を分析できる」
「……サイエンス、か。面白い力だ」
そう言って、カイラスはほほえみながら続けた。
タケルは魔力ゼロながら、魔原子の軌道を観察し、自らのイメージを“計算”で具現化する。
「……ふぅ……」
手を掲げると、空中にうっすらと風の流れが可視化されていく。
精密な操作。決して高出力ではないが、制御の細かさでは並の生徒を上回っていた。
「おぉ、これはすごいね。タケルくん、まるで魔力を持ってるみたいだ」
「ありがとう。たぶん、イメージだけでやってるからだと思う」
カイラスが驚いた様子で称賛すると、タケルは照れくさそうに頭を掻いた。
だが――。
「……ふん」
背後から冷たい視線が突き刺さる。
それは、ウルのものだった。
その双眸は氷のように冷たく、明確な嫌悪と怒りの色を帯びている。
(……やっぱり、俺にイラついてる?)
◆ ◆ ◆
放課後、タケルは中庭のベンチでノートを開いていた。
そこに、ジルベールがふらりと現れた。
「お前さ……ウルに、なんかしたか?」
「いや……特に何も。でも、あからさまに嫌われてるっぽい」
ジルベールは腕を組んでため息をつくと、真剣な目でタケルを見た。
「ウルはな……ずっと周りから『貴族のくせに魔力量が俺よりも少ない』って蔑まれてきた。姉のルルは天才的な魔力使いで、おまけに美人。だから余計にな」
「……」
「魔力量が少ない貴族ってだけでも地獄なのに、周囲からは“姉の劣化コピー”とか“平民より少ないクズ”とか言われてさ。ウルは……ずっと耐えてきた」
タケルは言葉を失った。
「それで、ウルは努力して、知識と制御精度だけでDクラスに入った。だが、そこに――魔力ゼロの奴が入ってくる。しかも、授業でしっかり結果まで出す」
「……それが、気に入らない?」
「いや……むしろ、自分の努力を否定されたみたいに感じてんだと思う。ウルはな、自分のこと、誰よりも“普通以下”だと思ってる。俺よりも、ずっとな」
「……そんなこと、ないのにな」
「俺もそう思ってる。……でも、伝わらねぇんだよな」
ジルベールは苦笑しながら、ぽんとタケルの肩を叩いた。
「ま、ウルもそのうち分かるさ。お前が“敵”じゃないってことをな」
そのやりとりを、近くの木陰でこっそり見ていたミーナは、ちょっと目頭を押さえながら微笑んだ。
「みんな、まっすぐすぎるわ…ほんと」
◆ ◆ ◆
その夜、ウルは一人、寮の部屋で机に突っ伏していた。
タケルの制御術が、頭から離れなかった。
(……あんなやり方、聞いたこともない)
彼女は魔力量こそ少ないが、勉強も訓練も人一倍こなしてきた。だからこそ、「魔力ゼロの人間」が自分を超えるような精度を見せることが許せなかった。
(……私の努力って、なんだったの……?)
彼女はただ、自分を守るように、膝を抱きしめた。
(……絶対に、認めたりしない)
でも――その目には、確かに一滴の悔し涙が滲んでいた。