8 焔の男
王立魔法学園──それは、この世界で最も格式ある魔法士養成機関。
壮麗な石造りの学舎に刻まれた魔法陣は、日夜魔原子の流れを制御し、学生たちの鍛錬を支えていた。
だが、その美しい建物の裏に存在するのは、明確な“階級”。
SからDまで――上から下へと振り分けられた生徒たちは、魔力の数値、家柄、実績によって分類されている。
そして最下層――Dクラスの教室は、中央塔の最奥、少し埃っぽい地下フロアにあった。
「ここ……が、教室?」
ミーナが肩越しにタケルを見上げる。
空気は少し湿っていて、他のクラスの明るい雰囲気とは程遠い。壁の魔法灯も少しチカチカしている。
「まるで……追いやられてるみたいだな」
タケルは苦笑しながらドアを開けた。
中にいたのは、すでに3人の生徒たち。
まず目を引いたのは、鮮烈な赤髪と赤い瞳の少年。筋張った腕に炎の刻印が浮かぶ。
「……ジルベール・アークライト。よろしく」
ぶっきらぼうだが、敵意は感じない。
その隣に立っていたのは、青髪に紫の瞳の少女。長い前髪が少し顔を隠している。
「私はウル・アークライト。ジルの双子の妹よ。無駄に話しかけないでくれると助かるわ」
「えっ、あっ、はい……!」
タケルが反射的に姿勢を正すと、ミーナが後ろで「こわっ……」とつぶやいた。
そして、教室の隅の窓際。静かに本を閉じた少年が、金の瞳をタケルに向けて微笑んだ。
「カイラス・ヴェノートン。僕は君たちと仲良くしたいと思ってるよ。あいにく雷魔法しか使えないけどね」
(……なんだろう、この人……)
タケルは、カイラスの笑みにどこか違和感を覚えたけれど、それが何なのかわからない。
「ようこそ、最底辺へ。僕ら、Dクラスは学園でも嫌われ者だから」
カイラスがそう言った直後、廊下の奥からざわつきが聞こえた。
「Sクラスのハルト様が通るぞ!」「あの人、もう一年でマスターランクだって……!」
「うわぁ……人が多すぎて見えない……って、あ」
ミーナが声を漏らしたとき、教室の窓から覗いたタケルの視界に、銀髪と翠の瞳の青年が映った。
ハルト――その姿に、タケルの胸がチクリと痛んだ。
(なんだ、この感覚……)
続けて現れたのは、白銀の髪に赤い瞳の少女。ユリだ。
ふたりが並んで歩く姿に、学園中の生徒たちが視線を送っていた。
「《黒雷の剣神》……」「《癒光の聖女》……」
だがタケルの脳裏には、称号ではない、もっと温かい記憶の断片が霞のように浮かんでは消えていった。
(ユリ……? なんで、その名前が……)
その瞬間、ウルが冷たい声を放った。
「見惚れてる暇があるなら、授業に集中しなさい。私たちはDクラス、馬鹿にされる立場なのよ」
「ま、でもそのうち見返してやろうぜ!」
ジルベールが笑うと、タケルも自然と笑みを返した。
直後、教室の扉が開かれた瞬間、空気が張り詰めた。
担任教師の登場により、ついに学園での本格的な授業が始まる。
「静粛に。では今日から、王立魔法学園1年Dクラスの担任を務めることになった、レイナ・フィルグレインだ。よろしく頼む」
前へ出た女性教師――レイナは、浅い銀髪を一つに結んだ30代前半ほどの女性で、凛とした印象を漂わせていた。教師というより、騎士のような鋭い眼光を持っている。
「さて、まずは学園制度について説明しておこう。王立魔法学園は三年制で、S、A、B、C、Dの五クラスに分かれている。SからCまでは別校舎だ。Dクラスの校舎は、旧騎士団兵舎を改築したものだが、授業内容は変わらない」
生徒たちの間にざわつきが走る。タケルは「へぇ」と興味深そうに聞いていたが、ミーナはやや唇を尖らせていた。
「次に、《クラスポイント制度》について説明する。毎学期、さまざまな実技や学力試験でポイントを競い、その合計によってクラス間のランク替えが行われる。DクラスでもSクラスへ昇格できるのだ」
「えっ、それって本当に!?」ミーナが思わず身を乗り出した。
「もちろん。ただし、逆に言えばSクラスからDへの降格もある。……実力と協調、そして実績がすべての世界だ。覚えておけ」
教師の声が淡々と続く中、教室全体が引き締まっていく。
その日の初授業は、基礎魔法制御学。だが、タケルにとっては“地獄”だった。
教師が配った魔力制御球――透明な球体に魔力を流し、色を変化させる試験具――は、タケルの手で反応を示さなかった。
「……反応、ゼロ? 本当に?」
ざわ……と教室がざわめいた。教師ですら眉を顰める。
「魔力量……完全にゼロね」
「なんでそんな奴が学園に? 推薦か?」
「推薦って……まさか黒の魔女の……」
耳に痛いささやきが飛び交う中、タケルは拳をぎゅっと握りしめる。
その声を聞いてミーナの頬がピクついた。
「わたしは…!!タケルとまだ少ししか一緒にいたことないけど…、それでもタケルにはスキルもあるし努力もしてる!すごい人よ!ねぇウル…!」
明るい声に反して、教室の雰囲気は冷たかった。
隣の席――ウルは、くるりと視線を向けたかと思えば無言で目を逸らす。
「気安く話しかけないで。……魔力ゼロに期待もしないし、興味もないわ」
その氷のような言葉にミーナはカッと頬を赤くしたが、タケルは苦笑しながら頭をかいた。
「こりゃあ厳しいな……」
すると、斜め前の席の男――ジルベール・アークライトが睨むように立ち上がった。
「魔力量ゼロだって? 笑わせんな。どこの勘違い野郎が推薦書だけでこの学園に通えると思った?」
教室にいた生徒たちが息をのむ。
タケルが目をやると先ほどの自己紹介の時とは一転、敵意に満ちた目でジルベールがこちらを睨みつけていた。
ジルベールの赤い瞳は、まるで焔のように怒りを帯びていた。
その視線に、タケルは微かに眉をひそめる。
「……ジルベール、お前に何か迷惑かけたか?」
「あるさ。存在そのものがな」
そう言い放つジルベールの口調に、感情が滲んでいた。
その時だった。後方の席で拍手が起きる。
「いやぁ、みんな個性豊かでいいねぇ。初日から楽しくなりそうだよ」
明るく笑っていたのは、淡い金髪に金の瞳を持つ少年――カイラス・ヴェノートン。
その微笑みはあまりに自然で、場の空気を一気に和らげた。
レイナは先程よりも少し緩んだ空気を見やりため息をつく。
「はぁ…お前たち話の途中だ、授業を続けるぞ」
ローズ王立魔法学園の1日目が始まった。