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短編

御大層な肩書は邪魔にしかならない

作者: 猫宮蒼

 大体なーろっぱ系世界観の話ですが、各々が思うなーろっぱと異なる場合があります。でもここではそういう感じの世界観です。



 それは、夕飯時の事だった。


 平民であるのなら、よくある家族団らんの光景と言えただろう。

 けれどここは王宮で、食事をしているのはこの国の最高権力者一家である。つまりは、王族。


「父上、ですから私は聖女の世話係を全うしようと思うのです」

 目を輝かせて、第三王子ジルベールは言った。


 聖女。


 その言葉から果たして何を想像するだろうか。

 奇跡の乙女。まぁ、大昔であったならそれは間違いない。

 だが今となっては、神殿が与える称号の一つだ。

 ぶっちゃけて言うのなら、平民の、それも店を営むところで言う看板娘と同じものだ。


 看板娘と聖女をイコールでつなげた途端しょぼく感じられるのは決して間違いではない。


 だが、現代において聖女というのはそれくらいのものでしかない。


 確かに遥か昔、聖女として人々を救った者がいたのは事実である。

 当時は世界各地が荒れていた。

 蔓延る魔物、限られた物資。

 故に、それらを調達するべく資源が豊かな地は常に狙われ侵略の危機があり、いつ戦争がそこかしこで始まったっておかしくはなかった。


 人々の心も荒みたとえ家族であれ、友人であっても騙し合い奪い合う。そんな、不毛な時代が確かに過去には存在していたのだ。


 だが、当時奇跡の乙女とされた聖女の力により、力を与えられた人々は協力し合い魔物たちを退け、荒廃していた大地は魔物が消えた事で得られる資源にも余裕が出てきた。

 新たに覇権を、とばかりに争うよりもどの国もまずは立て直しが必要だったのだ。


 故に、聖女の旗印のもと、各国は助け合い、今までのような奪い奪われ、といった関係は少なくとも消え、ようやく平和が訪れたのである。


 正直な話、大昔の話過ぎて正確な文献もないので、多分誇張表現がまじっているはずだが。

 だが、聖女という呼び名が尊ばれていたのは、そういう意味では大体三代目あたりまでだ。


 その後はすっかり平和になっていたために、後は精々光魔法による癒しの力で多くの怪我人を治しました、とかそういう感じでいっぱい貢献しました、とかいうのを讃えるために与えられたような称号でしかない。


 それに聖女だってそう頻繁に出てくるわけでもない。

 初代や二代目あたりはまだ世の中も若干荒れていたので聖女様もさぞ苦労しただろうけれど、三代目あたりは各国とのつながりを強化するとか、政治的手腕を発揮して平和の礎となったようではあるけれど。


 聖女としての活躍ができたのは、そのあたりがピークだったのではないだろうか。


 その後はかつての荒れた国々に戻らぬよう、平和を維持していこう、と各国が協力し合っているので。

 そりゃあ、多少の陰謀とか無いわけではないけれど。



 ただ、聖女という称号を廃れさせてはならない、という神殿側の思惑とか、権力的なあれこれとかで、定期的に光魔法が使える相手にその手の肩書というか、称号を与えているだけに過ぎないのだ。


 なので、聖女に任命されたからとて権力が与えられるとかそういう事は一切ない。


 元から貴族の生まれであれば、貴族としての権力に聖女という肩書が付与されて注目度が上がるかもしれないが、これが平民の場合、別に貴族と同じような権力が与えられるとか、そういう事は一切ないのだ。

 仮にその光魔法の力がとても強くとも。

 平民はどこまでいっても平民である。


 勿論、その力を使って多くの貢献を果たしたとなった暁には、爵位を賜る事もあるかもしれない。だが精々一代限りだ。次の子も聖女や聖人となるような光魔法の使い手であるのならまだしも、光魔法は必ずしも遺伝するわけではない。

 魔法に関しては未だ研究途中のものも多くある。


 まぁ、ともあれ。


 聖女、という言葉だけを聞けばなんだか凄いイメージが浮かぶけれど、実際はそうでもないのが現状である。


 大体光魔法の使い手はそこそこいる。

 その誰もに称号を与えるわけにはいかないので、その中でとりわけ力の強い相手に与えられる称号ではあるけれど。


 別に、光魔法がなくとも人々の生活に支障はないのだ。

 怪我の手当てに関しては、確かに魔法で治せれば手っ取り早くはあるけれど。


 だが、光魔法が使える者がいない時もそれこそ多くあったのだ。

 医療もまだ発展途上な部分はあるが、それでも昔と比べれば進歩している。

 それに――光魔法は怪我を治す事はできても病気は治せない。であれば、光魔法だけを頼りになどするはずがない。



 そしてジルベールは、どうやら今年聖女に認定された平民の世話係になる、と言い出したのだ。



 確かに、聖女となれば怪我人を多く治せる。

 関わる相手が平民だけならまだしも、貴族だって世話になる事もあるかもしれない。

 それもあって、一応最低限の礼儀作法を覚えようとする者もいるにはいる。


 貴族のお抱えになるのであれば、少なくとも生活は安泰なので。

 そうでなくとも、もし爵位を賜るような事になれば。

 どちらにしても、礼儀作法や貴族社会に関する事を学ぶのは、聖女や聖人とされた者にとって損にはならない。


 貴族との関わり方を学ぶ事で、知らぬ間に失礼な事をしていた、という事も回避できるかもしれないのだから。

 まぁ、余分な厄介ごとも招くかもしれないので、良い事ばかりとは言えないが。


 平民でありながら聖女や聖人に任命された者たちには、学ぶ機会が与えられる。

 勿論貴族とは関わらないようにして、なるべく平民たちの中で暮らしていきたい、という者もいるのでそういった者たちがどうしても貴族と関わるしかない場合に関しては、神殿の手助けを得る。

 一応それで今のところはうまくやれていた。


 学ぶ機会を与えられた者たちの中では、将来貴族と多く関わりたいという者もいる。

 その場合は、ある程度の見極めも重要になるが、貴族たちが通う学院に通う特待生、という立場の者もいた。


 ジルベールが言っているのは、その特待生となることを選んだ聖女の世話係だ。


 そんなジルベールに対し、父である王はただ静かにジルベールを見つめていた。数秒、ただ静かに見ていただけではあるが、やがて王はその視線を動かして――妻である王妃を見る。


 話を聞く価値もない、とばかりに王妃は食事を中断することもないまま、ナイフで肉を切っているところだった。柔らかな肉は音もなくナイフで切られ、中から肉汁が溢れソースの上に広がっていく。

 ソースに切った肉を少しつけてから、王妃は口へと運ぶ。ソースと肉汁とが合わさったそれらは、絶対に美味しいやつと断言できる代物で。


 ジルベールがおかしなことを言いだしたから手を止めて耳を傾けていた王は、自然な動作で食事を再開した。このままだと折角の肉が冷めてしまう。いや、冷めても美味しいのは間違いないのだが。


 ついでにちらっと視線を移動させると、第一王子と第二王子もまた王妃同様話を聞いているのかいないのか、皿の上の料理を食べているところであった。



 第一王子と第二王子の仲は悪くない。どころか、第二王子は将来的に国王となる第一王子を支えると既に宣言していて、権力争いの予定も予兆もどこにもない。

 優秀な第一王子を、同じく優秀な第二王子が支えるとなれば国の将来を憂う事はほとんどない。

 国王もそういった意味では国の将来を心配する事などなかったのだ。


 ただ、ちょっと微妙なのが第三王子――ジルベールであった。


「本気で言っておるのか?」


 だからこそ、王はそのちょっと微妙な王子に向かって問いかける。


「勿論です! 私が世話係をすれば、私の側近たちも手を貸してくれるでしょう。そうして聖女には一日も早く貴族社会でもやっていけるようになってもらえれば、その恩恵は――」


 何やら熱弁をふるい始めたジルベールの言葉を、早々に王は聞き流す事にした。


 第一王子にも第二王子にも第三王子にも、王族として相応しい教育を与えた。

 将来国王になれるのは一人だけであるけれど、それでも王家の人間として恥ずべき存在とならないよう教育には力を入れていたのだ。第三王子だからといって、手を抜いた事などない。


 だというのにどうしてか、第三王子だけは微妙だったのである。

 現に今の様子を見れば、微妙さが極まっている。


 確かに、すぐに怪我を治せる相手が身近にいれば、それなりに役には立つ。

 立つ、けれど。


 王家が――王子が必死こいて取り込もうとする必要性はどこにもないのだ。


 余程人としてどうかな、というような態度をとらなければ、別に神殿で聖女や聖人に頼めば怪我の治療はしてもらえるし、生死にかかわる急ぎの場合でも、関係性が良好であるので足元見られて交渉吹っ掛けられる事もない。


 そこまで考えて、学院に通う意思を見せたらしき聖女に関して国王は記憶を辿ってみる。

 どこまでも、普通の平民だった。

 将来、貴族になるつもりか、はたまた貴族の家のお抱えになるつもりはかはわからない。

 ただ、裕福な暮らしをしたいのだろうという雰囲気はあったように思える。

 そういう意味では野心があると言えるが、その程度の野心など国王から見れば可愛らしいものだ。


 爵位を賜るような貢献をするとなっても、基本は男爵で、それ以上であっても子爵。それも一代限りなので、爵位を与えられた後で速やかに他の貴族の男性と婚姻を結ぶ必要が出るかもしれない。

 一代限りの爵位持ちの女性の婚姻相手となれば、それもそれで限られてくる。

 聖女としての力を目当てにしていても、高位貴族は嫁には迎え入れないだろう。

 そうするよりも、普通に契約をして雇用関係を結んだ方が色々と安全なので。


「お前が本当にそう思っているのなら、まぁいい。

 そのように話を進めておこう」


 ジルベールの熱弁をほとんどスルーしていたが、いい加減耳を傾けるのも面倒になっていたし、食事を中断して聞く気もなくなってしまったので、王は手短にそう告げた。


 第一王子と第二王子が何やら微妙な生き物を見る目を向けていたけれど、王妃に至っては既にジルベールの存在などこの場にはいないと言わんばかりである。


 ……本当に、今まできちんと教育してきたのにこいつは一体何を学んできたのだろうな、と国王は密かに溜息を吐いたのであった。



 ――ジルベールには野心があった。


 第三王子の立場に生まれたというだけで、将来国王になる道はほぼ絶たれている。

 それが、彼にとっては何よりも許せなかった。

 上の兄が二人とも無能であれば、自分にも可能性があった。しかし二人の兄はどちらも優秀で、どちらかを消せば次の王になれる機会が転がり込んでくる、などという簡単な話ではなかったのだ。


 既にこの国の次の王は第一王子で確定していると言ってもいい。邪魔な上の兄を始末したとして、そうなれば次の王には下の兄がなるだけだ。

 下の兄がそうなるために上の兄を殺したのだ、と噂を流し追いやろうにも、下の兄は上の兄に忠誠を誓い将来は王を支える側近となるととっくに宣言してしまっている。

 そしてその為の婚約も結んでしまっていた。

 各派閥の貴族たちの事情を考えた上で、一番国王の邪魔をしない相手。それが第二王子の婚約者であった。


 第二王子が第一王子を殺した、というシナリオに持ち込むにしても、それよりもむしろ自分が兄を殺すように仕向けたという噂の方が信憑性が高く思われる。

 いや、実際にそうなるだろう。もし第一王子が不遇の死を遂げるのであれば、間違いなく第二王子はジルベールを疑うに違いなかった。表向きそんな態度を見せなかったとしてもだ。


 正直な話、彼は自分自身を過大評価していた。

 第一王子よりも第二王子よりも自分の方が優れていると思って疑わなかったし、だからこそ余計にそんな自分が第三王子という立場に生まれただけで王になる道が閉ざされているというその事が許せなかった。

 そして、そんな自分に気づきもせず第一王子を重宝するような国王にも失望していた。


 聖女の世話係になれば、接点は増える。

 彼女はいずれ貴族社会に身をおいて、聖女として活躍するだろう。そうなってから、遅れて彼女に目をつけた相手を牽制するためには、早い段階から彼女のそばにいた方が都合が良かった。


 自ら貴族社会での過ごし方や振舞い方を教えればいい。

 そうしていつか、彼女が聖女として活躍すれば、そんな彼女を見出し何くれと手を貸していた自分の評価も上がるだろう。


 もっと言ってしまえば、聖女が自分と結ばれる方向性にもっていく事ができれば。

 元が平民だろうとも、聖女としての力を発揮できるのならば、立場的にも自分の隣に立つのにちょうど良いと言えなくもない。

 見た目も、そこまで悪くはなかった。確かに平民であるために、そこらの貴族令嬢と比べると野暮ったさはあったけれど、そんなものはこちらが磨き上げれば済む話だ。


 平民だった少女が聖女として活躍し、王子に見初められ……という展開はまるで物語のようではないか。聖女が国の象徴となれば、そんな聖女を見出した自分も賢王と評されるのではないか。

 そう、民草の大好きな展開だろう。こういった話というのは。


 であれば、そうなれば自分が王になる事も夢ではなくなる。

 直接的に兄二人をどうにかせずとも、国民たちの支持を得てさえしまえば。

 一人一人はロクな力を持たぬ平民であっても、その数が膨大であれば無視はできまい。



 ……と、まぁ。


 ジルベールはそんな風に考えていたわけだ。


 元が平民である以上あの聖女も自分の掌の上で転がす事も可能だと思っているし、ジルベールは自分のその考えがとても素晴らしいものであると信じて疑ってすらいなかった。

 食事中に、普段であれば会話など精々少しだけ、政治的な話をするくらいのあの場でジルベールが熱く聖女の世話を買って出た時、彼らは皆微妙な表情をしていたが、ジルベールからすればむしろその表情はこちらが浮かべたいものでもあった。

 どうして聖女の価値を理解しないのか。

 優秀だと言われているはずの彼らの方が余程自分より劣るのではないか。


 そう、信じて疑う事すらしていなかったのだ。


 真に愚かだったのは自分である、などとは気づかずに。


 将来的にジルベールは他国か、自国のどこかの貴族の家に婿入りする予定ではあった。

 といっても、現在他国で丁度いい縁談になりそうな相手がいなかったし、政治的にもあえて王子を婿に出してまで結びつきを強めようとする必要もなかったからこそ、そのうち自国のどこぞの貴族の家に婿入りする流れになるだろうと思っていた。そのうちどこかの家との縁談が結ばれるだろうと思っていたが、現状婚約者がいないのはジルベールにとっていい流れだと言えた。


 これから自分は聖女との距離を縮めるつもりである。

 なのに婚約者がいたのであれば、婚約者を蔑ろにし他の女と距離を縮めている不貞者の扱いを受けるかもしれない。

 そういった事がない、というだけでもジルベールにとってこれからの事は動きやすいと思えたし、それがとても有利に思えた。


 国王になるわけではないが、ジルベールにも現在側近と呼ばれる者たちはいる。

 将来的に一つの派閥となって国を支える一派となれば、という目論みや、その他諸々大人の事情によるものではあるけれど。所属と言うのはある程度明確にしておいた方がいい、というのも一つの理由である。

 一応ジルベールを支える立場でもあるけれど、どちらかといえばあくまでも国がメイン。むしろジルベールが何かをやらかそうとしたらその時は……といった考えも含まれていた。知らぬは本人ばかりである。


 今までは特にこれといったやらかしをしていなかったジルベールなので、側近とされる者たちも特に何かをする必要はなかった。常識の範囲内での付き合いで済んでいた。



 ところが、ジルベールが聖女の世話係になるなどと言い出して、皆も協力してほしい、などと言い出したので。


 一体どのような戯れかと問えば、恐ろしい事に本気であると言い出した。


 側近と称される令息たちは声にこそ出さなかったが、その瞬間皆が同じタイミングで、

(冗談ではない……!!)

 と思っていた。


 それはそうだろう。

 そもそも聖女は平民だ。

 いや、平民である事自体は別にどうでもよかった。

 問題は聖女という事なので、性別が女性であるという部分である。



 貴族社会にいずれは関わるだろう目的を持つ娘。

 まだ幼く物事の道理もわからぬ、という年齢ならまだしも、成人を控えている年齢である。

 そんな年頃の女性一人に対して、王子一人とその側近である令息複数名。


 どれだけ壮大な理由があったとしても、傍からみればそれは、一人の女性に複数の男性が侍っているとみなされても何もおかしくはない光景で。


 しかもその聖女はそれなりに野心があるとわかっている相手だ。


 そんな相手に、下手に近づいてみろ。


 分不相応にも自分がその聖女とやらに目をつけられてしまえば、面倒な事になりかねない。


 何より、ジルベールはともかく側近たちにはいずれも婚約者が存在していた。


 婚約者がいるというのに、一人の女性に大勢で侍るような真似をすればどうなるか。

 いくら事情を説明したところで、やはり婚約者とていい感情は持たないだろう。


 大体何故世話係に自ら立候補したのか。

 そこはせめて、ジルベールが頼れる範囲で令嬢に声をかけ、そちらに頼むのが筋というものではないのか。


 貴族社会での礼儀といっても、男と女ではそれなりに違いが生じるのは言うまでもない。

 男の社交と女の社交は完全に分かれているわけではないが、それでも境界のようなものは存在している。


 聖女のためを思うなら、ジルベールや側近たちといった男ばかりで聖女一人を囲むのではなく、令嬢たちにこそ声をかけ、手助けをしてほしいと言うのが聖女が貴族社会でやっていくための正道であるはずだ。

 いずれ社交の場にも出るつもりがその聖女にあるのならば、余計に。


 だというのに女性と関わらず異性とばかり関わっていたならば、いくら事情を聞かされたところで令嬢たちも聖女と関わろうとはしないだろう。マトモな考え方をしている令嬢であれば余計に。令息たちですらそうなのだから。


 だがしかし、ジルベールはまるでそれが名案だとばかりに思っている。


 あー、これは……もう駄目だぁ……と側近たち――またの名をお目付け役たち――はそれぞれ視線でわかりあってしまった。


 そんな王子の言い分に関しては、すぐに答えは出せませんので、とやんわり、本当にやんわりと言葉を選んで保留扱いにしてその場を適当な理由をでっちあげて離れた。


 同じ立場の令息であったなら、何馬鹿な事言ってんだお前、とズバッと言えたが相手は王族。いくら残念王子と裏で言われているとはいえ、王子なのは事実なので。


 バカかお前、という言葉は直接的には言えないのである。

 言ったが最後、家を巻き込んで面倒な事になる可能性がとても大きいので。



 各家の令息たちは当然家に帰り親に報告したし、その親経由で王家にも連絡がいった。

 ジルベールは本当に、心の奥底から聖女の世話係になる事が素晴らしい事だと信じて疑っておらず、そしてまた自分の側近たちもそうであるべきだ、と思っているらしいと改めて確認させられて。



「仕方ないか……」

「どうしてあの子だけ間違った方向に育ってしまったのかしら……実は同じ日に生まれた他の子と取り違えられたとか、そういう希望あったりしません?」

「残念ながらないな」

「なんてこと……」


 国王と王妃はそんな会話をしてしまったほどだ。


 親が同じで子への教育だって皆同じようにしっかりしたのに、ジルベールだけが異質な存在といっても過言ではない状態になってしまって。

 王妃はうっかり現実逃避をかねて、取り換えられてしまった説を一瞬とはいえ期待したほどだ。


 もしかしてジルベールの周囲の空間だけ捻じれていて、自分たちの言葉は別の何かに変換されてしまっているのではないか? なんていうとんでも説まで出てきてしまったけれど。


 今までだってそうなので、これから先だってきっとそうだ。

 いくらきちんと伝えたとして、ジルベールはきっと自分の中で自分にとって都合のよいように曲解してから理解するのだろう。それを理解とは到底呼べないが。


「仕方あるまいよ。今となってはまだ婚約者を決めずして良かったと思うべきではないか?」

「それもそうですね……婚約者がいたなら、きっとそちらを悪者に仕立て上げて、聖女を持ち上げるためのパフォーマンスをしていた可能性はおおいにありますものね……」

 そうなれば、家を貶められたとなって事態は間違いなく穏便に終わらなかった。


 婚約者がいなくて本当に良かったと思うしかない。


「であれば。

 ジルベールには好きにさせよ。その前に、処置は忘れずにな」

「畏まりました」


 控えていた家臣の一人にそう告げると、国王は深々と、本当に深々と溜息を吐いた。王妃も疲れ果てたような溜息を同じタイミングで吐いていた。



 かくして、国王の言う『処置』はつつがなく行われた。

 結果として、三日ほどジルベールは熱を出して寝込んだけれど。

 その後は快方に向かったので意気揚々と彼は学院へ向かったのである。




 ――平民にとっての聖女というものは何か。

 医者ではないが、怪我に関しては治療できる医療関係者、のような立ち位置である。治療といっても医者のような治療や難しい手術を行うでもなく、光魔法によって癒すので難しい技術を覚える必要はないし、難しい専門書を読む必要も特にはない。

 ある程度人体に関して詳しい方が魔法も効果的に使えるので、多少なりとも学んだ方がいいとは教えられるが、そこから更に専門の道に進むかどうかは人それぞれである。


 聖女に選ばれたエリナは、この力を使ってのし上がる気満々であった。

 家は貧乏で、その日の暮らしもやっとといったところで。

 父が去年賊に襲われ亡くなってしまってからは、生活はより困窮していたのだ。母が無理をしてエリナたちを養おうとしてくれたのはいいが、そのせいで倒れてしまって。

 それは怪我ではなかったので、エリナの力ではどうにもできず。

 このまま弟や妹たちと路頭に迷うのか……と思っていたところに聖女認定である。


 聖女となった事で家族は一時的に神殿に身を寄せる事になったし、そうなればあとはエリナが頑張ってたくさんの人の傷を癒せばいい。

 そうして、貴族としての爵位をもらえれば、最悪その爵位を商人に売るとか、どこぞの貴族のお抱えにでもなって安定した収入を得ることができれば。

 家族の暮らしは安泰である。


 貴族のお抱えを狙うのであれば、貴族と関わる機会を増やさねばなるまい。

 エリナはそれもあって特待生として貴族たちの通う学院を希望した。何がなんでも金蔓が欲しい。目指せ安定した暮らし。明日食べる物の心配をしなくていい生活。

 悪徳貴族に捕まれば利用されるだけされて搾取されてしまうので、きちんとこちらに金をくれる貴族を捕まえなければならない。


 エリナは学んでいた。

 バカなままでは騙されて一方的に奪われるのだと。

 だからこそ、学院に入ったエリナは必死こいて勉強した。


 そんなエリナにあれこれ教えてくれたのは、ジルベールというこの国の王子だった。


 王子。


 顔がいい。

 ついでに王族なので権力がある。

 お金も、きっとあるはずだ。


 そういった意味では、向こうから近づいてきてくれたジルベールというのはとても良いカモなのではないか? と思ったくらいだ。

 貴族の常識だとかを教えてくれたり、勉強で詰まっていた部分を教えてもらったり。

 なんて親切な王子なんだろうと思った。

 そんな親切な王子をカモ扱いしていいのだろうか、とも悩んだ。


 エリナは家族のために安心して暮らせるだけの金が欲しい。

 聖女として成り上がってやろうなんて考え、そうじゃなかったら持つはずがない。


 エリナの幸せは、家族が安心して毎日を生活できる環境にある事だ。

 安全に暮らせる場所。飢える心配のない食料。とりあえずはまずそれが必要だった。

 今は神殿で面倒を見てもらっている家族ではあるけれど、それだってずっとじゃない。いつかは終わる。

 だからその前に、エリナはなんとしてでもお金をたくさん集めなければならないのだ。


 そんな自分の欲望を叶えるために、ふと魔が差した。


 この親切な王子様ともし結婚するような事になれば、自分はお妃さまになるのでは? と。

 お妃さまともなれば、国のほぼ頂点。少なくとも飢える心配はないし、住む場所だってお城がある。お城は広いから、きっとエリナの家族が暮らせるだけの部屋だってあるに違いない。



 エリナは平民なので、仮にもし、エリナが王子と結婚したとしてエリナの家族がお城で暮らせるとは限らないなんて思ってもいなかった。少なくともこの時点では。

 ジルベールが第三王子で将来の国王になるわけではないという事も。


 知らないからこそ、エリナはそんな都合のよい夢を見たのだ。



 とある日、エリナは令嬢たちに呼び止められて、学院の中のサロンへ招待された。

 そしてそこで、色々と教えてもらったのである。


 令嬢たちは最初、エリナの事を聖女とはいえ平民なので、一応それとなく観察はしていた。

 将来的に貴族と関わるにしても、高位貴族の令息ばかりに声をかけるような相手だとしたら、下手に関わるのは得策ではない。過去、そういった話がなかったわけではなかったのだ。

 今までの暮らしと異なる環境。貴族に囲まれた事で、まるで自分が物語のお姫様にでもなったかのような錯覚をして勘違いした言動をとってしまった者の話というのは、困った事に過去何度かあったらしい。一度や二度ではないあたり、業が深いと言うべきか……


 ともあれ、令嬢たちはしばしの間エリナの事を観察していた。

 結果として、彼女は勤勉でありマトモに貴族と関わる事ができるだろうと判断されたのだ。


 だからこそ、令嬢たちはエリナに親切にしてあげる事にした。


 ジルベールが第三王子である事も、将来国王にはなれない事も。

 もっというのなら、聖女の世話係になると自ら立候補した事も。


 世話係、と言われてエリナは最初意味がわからなかった。

 明らかに理解が追い付いていないエリナに、令嬢たちは親切に、丁寧に教えてくれた。


 元々聖女や聖人の称号を与えられたからとて、貴族と関わるために礼儀作法を学んだりそれ以外でも必要な知識を得るために学院に通う事は義務ではない。勿論多少、礼儀作法が必要になる場合があるからそういう時のために最低限神殿などで教える事もあるが、基本は本人のやる気次第だ。


 だからこそ、別に学院に入ったとしても貴族の誰かが世話係になって色々と教える、なんて事は本来ならばないのだと。

 それでも近づいてくる相手は基本的に将来聖女や聖人をお抱えにしたいという考えがある場合が多い。

 学院で慣れない状況の中親切にされれば、恩を返したいと思う事もあるだろう。


 まぁ、そうやって学院で恩に着せてその後使い潰すような悪徳貴族もいるので、油断してはダメとも言われてしまったが。


 ジルベールの場合は、どうやら彼自身聖女と結ばれることで国民からの支持を得てゆくゆくは王になる野心があるためだと令嬢たちから説明された。


「あれ? でも今ジルベール殿下は王にはなれぬと」

「えぇ、聖女と肩書がついたところで貴方の生まれは平民ですもの。貴族社会では結婚するのにも身分が重要だというのは、既に貴方も学んでいるでしょう?」


 言われてエリナは頷いた。


 今までは全部ひっくるめて貴族だと思っていたが、その貴族の中でも身分差はあるし、派閥というもののせいで家格に問題がなくとも結婚が難しい、なんてところもあるのだとエリナは学院に入ってから知ったのだ。


 身分だなんだと平民に馴染みがないから難しく聞こえはするが、そこら辺を取っ払って考えれば意外と平民の間でもありがちな話に思えたのでエリナはそこら辺に関してはちゃんと理解している。


 聖女という称号を与えられた時、エリナはなんだか凄く出世した気持ちになったが、平民の間で広まっている聖女や聖人というのはあくまでも怪我を治せる医療従事者扱いだ。素人の手当てに比べればマシ、とか平民の間でもそういった認識である。


 なので、多少、身分に関して信用されやすくはあるが、貴族のような権力を得ているわけではないとちゃんと理解はしているのだ。

 だがしかし、どうやらジルベールはそうではないらしい。


 遥か昔であるならば、聖女という呼び名はもっと別の意味もあっただろう。

 昔と今とでは、聖女や聖人に関する認識が異なりつつあるのだ。

 言葉の印象から昔のイメージが強くはあれど、今はそうではない。

 けれどジルベールの中では昔の印象のままの認識らしい。


 上の王子二人と比べて、彼は少々残念なのだと貴族間でも言われているらしく、それを教えてくれた令嬢の眼差しはどこまでも温いものだった。普段つんと澄ましたような表情しか見たことのないエリナは、この人もこんな顔をするんだな……とどこか現実逃避がちに思ってしまったくらいだ。



「あの人の事だから、きっと貴方に親切にして貴方がそれなりに彼を信用し始めたあたりで口説く算段だったのだとは思います。

 が、あの人はやめておきなさい。

 王位を狙うまではともかく、己の実力を見せつけるのではなくあくまでも聖女との恋物語を演出して国民を味方につけようとしているだけで、仮にそれで一時人気を得たとしてもあの人の能力は上の王子殿下二人とは比べるべくもないものです。

 実力はないのに何故か自信に満ちているので、貴方がどうしてもというのなら止めはしませんが、結ばれた結果苦労するのは貴方ですよ。

 それに、彼は既に学院を卒業後、王家が所有する領地の中でもっとも寂れたところに幽閉が決まっておりますし、もっというなら間違いが起きないように断種処置がなされております」


「断種、ですか……?」


「えぇ、既成事実を作って、なんて事を仕出かす可能性すらありましたからね」

「うわ」


 その既成事実の相手って……もしかしなくても私の事かなとエリナは考えて反射的に二の腕をさすった。鳥肌は立っていないが、それでもぞわっとした感覚があったのは確かだ。


 エリナがジルベールに恋をして彼と結ばれたいと思った上でそういう行為をするのなら、まだわかるけれど……エリナの目的はあくまでも家族に楽な生活をさせてあげたい、が最優先だ。そんな状況だというのに、そこでさらにジルベールとそういう行為をして、赤ん坊が……なんて事になれば。

 自分たちの生活基盤もまだ整ってないようなものなのに、そこに更に小さな命が増えるとなればますます大変な事になってしまう。


 結婚した後ならともかく、その前にとなればエリナからしても受け入れがたい。


「貴方以外の聖女にも手を出して手あたり次第聖女の血と王家の血を引く子、というのを増やされても困りますから。国王陛下も苦渋の決断だったそうですわ。

 断種するための薬をジルベール殿下に飲ませた上で、彼には学院で好きにさせる事にしたのです」

「そう、だったんですか……というか」


「何かしら?」


 ふと思った事を口にしかけて、エリナは咄嗟に口を噤んだ。けれど令嬢はそれを促す。

 これもある意味いい機会だ。今のうちに言える事は言っておきなさいとでも言わんばかりに。


「国民の人気稼ぎをするのなら、まず聖女じゃなくて聖人のお世話をした方がよかったのでは?」

「ふふ、貴方は賢いのね。ジルベール殿下よりも遥かに」

「え、いや、流石にそこまでは」

「続けて?」


「え、えぇっと……その、男性と女性とでは貴族社会の立ち回り方も違いますよ、ね?

 確かに殿下に色々と教えてもらって勉強になったのはそうなんですけど、私が必要としているのは女性としての礼儀作法や社交界での立ち回り方であって、殿下が教えてくれるのは男性の流儀というべきものでしたから……いや、あの、本当に勉強にはなってるんですよ!?」


 一体誰にむけての弁明なのかはわからないが、エリナは必死に言い募った。

 どちらかといえばジルベールに教えてもらって役立ったのは、貴族社会のあれこれというより学院での授業についての分からない部分である。


 平民であるが故に、学院のほとんどの貴族生徒たち――それもエリナと同性の令嬢たち――は、まず彼女を見定めるが如く様子を窺っていた。だからこそ、ジルベールが率先してエリナに声をかけてくれた事は確かに助かったのだが。


 だが、エリナは助かった、という感謝の気持ちと同時に、なんとも言い難いもぞもぞした気持ちもあったのだ。その『もぞもぞ』が恋心であったなら、まだわかりやすかった。

 王子と関わって、将来もし彼と結ばれたなら、という打算で夢を見たのも事実だ。

 けれど、そういった恋に恋するような浮かれた気持ちとは異なる『もぞもぞ』だった事に、エリナは今になってようやく気付いたのである。


 その何とも言えない気持ちの正体は、令嬢たちの話を聞いてハッキリした。


 貴族社会での立ち回り方を確かにジルベールからも聞かされていた。

 けれどそれは何というか……聖女として活動するエリナ個人としての立ち回りではなく、ジルベールのパートナーとしての……というものだった。

 ジルベールはエリナに親切だった。けれどその親切は、エリナが好きだからというような単純なものではない。エリナを利用するためのものだと知って、しっくりきた。利用されそうになっていた事にエリナが怒る事はない。エリナだってジルベールの事を利用していたようなものだから。


 そっかー、危うく御輿に担がれるところだったのかー。

 なんて。


 エリナは納得したのである。


 なし崩しにジルベールと結ばれるよう仕向けられて、聖女として担がれて、実際そんな事にはならないのに彼が王となるための駒として。

 どうあがいても埋められない身分差。それでも愛してしまった二人。身分を超えた真実の愛。

 そんな、三文芝居としか言いようがない、けれど同時にとてもわかりやすいもの。エリナはその舞台に観客としてではなく主演として担がれるところだったのだ。



 もし仮に、本当にエリナがジルベールとお互い恋に落ちて結ばれるべく周囲に訴えたとしても。

 万が一それが認められたところで、ジルベールが画策したような、彼自身が王になる、という道は決して有り得ない。



 しかも既にジルベールは断種処置をされているというのだ。

 軽率に王家の血を引く者をぽんぽん発生させる事もできないようにされている。

 そう、本当に王になれる道があるのだとすれば、断種処置などされるはずもなかったのだ。


 しかしどうやらジルベール本人はその処置をされた事すら気付いていない模様。わかりやすくその部位を処置されたわけでもなく、薬で、との事なので気付いていないならそれはそれで、というのが王の方針らしい。本来ならば気づいてなければおかしいのに、気付いていないという時点で彼がいかに上二人の王子と比べて劣るかの証左でもあると言わんばかりだ。


 国民の人気を集めれば王になれる道もあるかもしれない、と考えたところまではまぁ、エリナにもわかる。だがそれは、今の王や将来王になる予定の第一王子の国民人気が低い場合に限る。あんな奴が王様になるくらいなら――そんな風に思われているのなら、王位継承権が低かろうとも人気のある者の方が、と考える者は出てくるだろう。だが現状、そんな事はないのだ。


 国王の治世に至らぬ点はあるかもしれない。王といえど人間なので。

 だが、不満はあれど、反乱を起こすほどか、と問われればそうではない。

 小さな不満はあるけれど、大まかに見れば国は平和だし民が理不尽に虐げられているというわけでもないので。


 小さな不満だって、ちょっとここ不便だなー、なんとかならないかなー、というようなちょっと自分たちで工夫したりすればどうにかなりそうなもので、そういった部分は時間はかかるが国でも少しずつ対処されているのだ。急を要するようなものを放置されているわけでもないし、多少時間はかかっても国は民のために動いてくれている。

 なのでまぁ、そういった現王や現王の政治を継いでいくだろう第一王子に不満を持つ者は、一部の自分たちが甘い汁を啜れないといった者くらいではないだろうか。


 そういった者たちが仮にジルベールを新たな御輿として担ごうにも。

 ほとんどの貴族たちはジルベールが断種処置を受けたことを知っているとなれば。

 次代の王の子ができないのがわかりきっているとなれば、流石に彼を王にとはならないだろう。他の貴族の家なら養子を迎える事も考えられるが、ジルベールの跡を継ぐ子を、となれば同じく王族の血を引く者なのは言うまでもない。だが、その場合第一王子や第二王子の子が有力とされる。

 反乱でも起こして既に上の兄二人が亡き者となっているのであれば、他の王家の血筋からとなるだろうけれど、下手をすれば一切王家の血など流れていない他の貴族の子を次の王に、とやらかす者も出てくるだろう。


 そこまで考えてエリナはそんな事になったら大惨事ね、と思わず震えた。

 もしその時にジルベールと結ばれていたのが自分だったなら、自分の命も危ない。もっというなら家族の命も危ない。危なすぎる。


 エリナですらちょっと考えたら気付くのに、どうしてジルベールは気付かないのか。


 その疑問を思わず口に出せば、令嬢は露骨に視線をそらした。


「ですから彼は残念王子と密かに呼ばれているのです」

「残念にも程がありすぎません?」

「残念じゃなかったらそもそも、どこぞの国の王配とかそういう……国外との縁を結ぶための婚約とか決められてるわけですし」


 そこは第二王子ではないのか、と言えば、そうなると能力的に微妙なくせに野心だけはある第三王子が第一王子に何かを仕出かす可能性があるので……と返された。

 こうして話を聞いた今、それを否定できるだけの材料はエリナにはなかった。


「王子様なのに」

 思わず呟けば、令嬢は貴女も聖女でしょう、と言われてしまった。


 あぁ、そうか。


 王子様と言われて、平民と比べたら教育はしっかりされているだろうから、だから無条件で素晴らしい人なのだと思い込んでいたのだな、とエリナは気づいた。

 甘やかされて育てられた結果我儘放題のどうしようもない人物になってしまった、という話も聞かなかったから、ではきちんとした人なのだろうと決めつけるように思い込んでしまっていた。

 学院で自分の世話をしてくれた事もあったから、余計に。


 だが蓋を開けてみればそんな事もなくて。


 それどころか、ジルベールもまたどうしてか聖女という肩書をかつての、奇跡を起こす神秘の存在だと思い込んでいる節があった。


 聖女などという呼び名ではなく、治療者とか癒し手とかだったなら、そうはならなかっただろうか?

 確かにエリナは聖女の称号を与えられたけれど、聖女はエリナだけではない。他にもいるのだ。

 聖女だけではなく、聖人も。


 間違いなく、エリナがジルベールの事を一度でもいいカモだと見てしまったように、ジルベールもまた同じようにエリナを見たのだろう。

 そこに本当の恋や愛があったかは……何も言うまい。


 もしかしたらいつか、本当にそういった感情が芽生えたかもしれないけれど。


 少なくともこうして色々と教えてもらった以上、エリナの中でジルベールに対する恋愛感情など育ちようもない。

 それどころか、下手にジルベールとくっついたところで最悪家族の命が危険にさらされるかもしれないし、自分の命も危うくなるかもしれないのだ。


 断種処置をされているともなれば、将来的に子を望むのは不可能。


 もし、たとえ子供が生まれなくてもジルベールと一緒にいられればいいの、と言えるくらいに彼の事を好きになっていたのなら違った選択をしたかもしれないけれど。


 エリナが聖女になってこうして貴族社会に足を踏み入れようとしたのは、家族を養うためだ。

 そのためにお金を持ってて金払いが良い相手を探すために、なんだったら労働に対してきちんと対価を支払ってくれる相手に自分を売り込むために学院に通う事を決めたのだ。


 決して他の貴族の思惑に乗せられて家族や自分を危険に晒すためではない。


 ジルベールがもう少し優秀であれば、彼の庇護下に入る事も考えられたけれど。


 自分ですら色々とうわぁ、と思うような事に思い至らず断種処置をされた事にすら気付いていないような相手がいざという時自分たちを守ってくれるか、となれば。

 ちょっとどころではなく頼れそうにない。


 そもそも学院の中が平和とはいえ、側近が近くにいない時点でお察しである。

 側近たちには婚約者がいて、だというのにジルベールに付き合って聖女の世話をするような事になれば一人の少女に侍る男性陣という構図になってしまう。いくら事情を説明されたところで、婚約者からすればいい気分はしないだろう。エリナだってそんな状況お断りである。

 何も知らなければモテ期がきたと勘違いしたかもしれない。本当に、なんて恐ろしい事だろう。


 側近、というかまぁお目付け役の方が意味合い的に強いだろう令息たちは、ジルベール王子に共に聖女の世話係をと誘われた時、一度保留扱いにした上でその後改めて断った。

 自分の意思だけではなく、家族からの反対にあったとか、やはり婚約者に対して紛らわしい真似はできないといった理由を引っ提げて。

 一応未だにある程度監視されてはいるようだが、今までのように身近で何かをする、という事はなくなったのである。


 それは王家に報告したからであったり、その後各家の当主からの通達であったり。

 流石にそういったものに逆らってまで王子と共に聖女の世話係をするわけにもいかない。


 令息たちは申し訳なさそうにジルベールから離れていったが、それだって表向きのポーズである。


 その報告があったからこそ、国王もいい加減ジルベールにどれだけ教育を施しても無駄に終わる事を理解するしかなかったし、学院を卒業後どこかの家に婿入りさせる事も諦めて寂れた領地に閉じ込める事にしたのだ。


 全ては、ジルベールが聖女というものに過剰な期待を持ち過ぎた結果であった。



 ――結局のところ。


 その後、エリナはやんわりとジルベールとの距離を取っていった。

 あからさまに避けるような真似まではしなかった。打算がどれだけあろうとも、親切にしてもらった事は確かだったから。

 けれど、決してジルベールと恋に落ちるような、そんな展開になりそうな状況は避けるように、ゆっくりじわじわと距離をとっていった。あくまでも学友。他の生徒たちと同じ距離感と言えば周囲も頷くように。

 親切にされた事に関しては、エリナも周囲にジルベール殿下には親切にしてもらいました、と素直かつ正直に発言していたので、ジルベールの親切そのものを無かった事にはしていない。

 自分のようなものに王族が率先して動くなど、思ってもいませんでした。

 そんな風に、なんて素晴らしいのでしょうと讃える。

 ここで学んだ事を無駄にしないよう、誠心誠意努力していきますね、と言うエリナに。

 令嬢たちがにこやかに微笑んで、激励の言葉を送る。


 もし何も教えられないままジルベールと共に居続けていたら、エリナの意思とは関係なしに恋人として周囲に思われたかもしれない。貴族社会での立ち回りを、ジルベールにとって都合のよい方向で教えられ、外堀を埋められて気付いた時には手遅れになっていたかもしれない。


 けれど、それらを回避したエリナは、殿下に感化されて他の皆様も親切にしてくれるようになったんです、と無邪気を装って、女性としてのマナーを教えてもらえるようになったんですよ、なんて。

 ジルベールがあえて手を出しにくい分野を他の方に教えてもらえる事になりました、なんて報告して。

 ジルベールが手を出せる範囲を徐々に狭めて。

 そうしてするりとジルベールの思惑から抜け出したのである。


 勉強に関しても、令嬢たちの勉強会に誘ってもらえるようになりました、と言ってそちらに参加するのだと言えば、ジルベールも女性だけの集まりに一人突撃するわけにもいかない。

 女性としてのマナーもジルベールが教えるより余程きちんとしているからか、エリナの所作はみるみるうちに洗練されていった。

 ここまでくるとジルベールが割り込む余地もない。


 その頃には、聖女として称号を与えられた他の聖女たちにもそれとなく情報が回っており、ジルベールの道具とならないよう気を付けるように、と密かに警戒するように言われていた。

 まぁ、他の聖女たちはエリナと比べると能力的にも少しばかり劣っていたようなので、ジルベールがこいつで妥協するか……みたいな考えにならない限りは向こうから接近する事もないだろう。


 ジルベールの頭の中ではあくまでも王子と聖女の恋物語を主軸に自分が王へ至るストーリーが展開されているらしく、聖人には見向きもしなかった。そういう部分からしても残念な王子だと呼ばれる所以だったのかもしれない。



 貴族たちとの関わり方や礼儀作法を学びつつ、聖女として活躍するために光魔法をより効率的に使うための修行も精力的にこなし、最終的にエリナは最初に色々教えてくれた令嬢の家経由でいくつかの家と契約し、定期的に巡回して治療にあたる事となった。普段から頻繁に怪我人が出るわけでもないのだが、私設騎士団やお抱えの使用人といった相手の怪我を治してぐるっと巡回するのである。移動に関してはそれぞれの家が馬車を出してくれたりするので、移動だけで馬鹿みたいに時間がかかる事もない。


 複数の家と必要に応じて定期的な治療にあたるついでに、神殿で平民たちの怪我を治す。色々と慌ただしい生活ではあるが、働けば働いただけ報酬がもらえるのでエリナはその生活に不満などなかった。

 療養生活をしていた母親もその頃にはどうにか回復し、エリナが稼いだ金で新たに住む場所を借りて生活を立て直す事もどうにかなった。


 弟や妹たちにも最低限学はあった方がいい、という事で貴族たちが通う学院とは別の、平民向けの学校に通うためのお金もエリナは稼ぎまくった。

 弟や妹たちには光魔法は使えなかったけれど、姉さんばかりに苦労させてたまるかよ、将来覚悟しとけよ楽させてやっからな……! となった弟と妹もまたやる気に満ちていた。学校で学べるものは全部学ぶと言わんばかりである。


 そうこうしていくうちに、エリナはとある貴族の屋敷で働いていた庭師の青年と恋に落ち、最終的に彼と結婚することになったのであった。



 エリナの人生はそうしてハッピーエンドと言っても過言ではなかったのだが。


 ではジルベールはどうだったか、というと。



 気付けばじわじわと、物理的にも精神的にもお互いの距離が開きつつあるのを感じ取っていたジルベールではあったが、それでもまだどうにかなると思い込んでいた。

 だが、結局どうにもならないまま日々が過ぎて、気付けば学院を卒業する年になり、そうして学院を卒業した後はお察しである。

 王家が管理していた領地の中でもとびきり寂れたところに最低限の使用人と共に連れられていき、城と比べるのもおこがましいおんぼろ屋敷での生活を強いられたのである。


 どうして、という疑問は勿論持ったし声高に叫びもした。


 そして、そこでようやく。

 本当にようやくジルベールは知ったのだ。

 今まで自分が思い込んでいた理想と現実との差を。

 前々から散々説明されていたのに理解しようとしなかった己の視野の狭さを。

 そして、知らぬ間に自分は既に断種処置をされていたという事実も。


 言われて、熱を出して寝込んだ時の事が思い出されるも既に遠い日の思い出と言えるくらい前の話である。


 そこまでにならないと理解できない、という時点で、彼が王になる資格も資質もないのは言うまでもない。民や家臣の言葉もそれくらい聞く耳持たないと思われても仕方がない事なので。思い込みで突っ走って一人で自滅するだけならまだしも、王になってそれをやった場合国ごと滅亡する可能性もあったのだから。


 それでもなお、自分は王になりえる資質があると言うのなら、せめてこの寂れた領地を盛り返してみせろと父に言われ、ジルベールは半分自棄になって改革に乗り出した。


 とはいえ、最初は失敗続きで盛り返すどころか余計寂れるところだったのだが、あまりのできなさっぷりに一部の血の気の多い領民が乗り込んで、拳を用いての肉体言語に発展し、最終的に無駄に育っていた自尊心とかプライドがぽっきりと折れた事で。


 ようやく。


 本当にようやくジルベールは自分はもしかして大したことのない人間なのでは……? と思い至ったのである。


 そしてここにきてようやく、大したことがないと思い込んでいた上の兄二人が実は自分なんかとは比べ物にならないくらい優秀だったと思い知ったのだ。



 その後のジルベールは、どうにか数少ない領民たちの力も借りて少しずつではあるが領地を改革していった。


 当初、ジルベールが思い描いていた未来と比べれば、随分と異なる展開になってしまったけれど。

 子も望めない身体になってしまった事で結婚してもなぁ、と思って未来に希望もないみたいに思った事もあったけれど。


 最終的には、カチコミにやってきた領民たちとなんだかんだ上手くやれるようになっていって、そこそこ平穏な生活を送るようになっていったのである。

 領地改革の一つとして孤児院経営にも手を出したジルベールは、自分と血の繋がった子を持つことはかなわなかったが、孤児たちを育てる事で。

 後年、多くの子らに囲まれ人生に幕をおろしたのであった。


 安らかに、まるでいい夢を見ているような穏やかな表情だった、とは。

 彼を看取った孤児たちの言葉である。

 こう、たまに何でここまでにならないと人の話に耳を傾けないんだ、って人いるよねっていう感じのやつ。若いうちに矯正できればいいけど年取ってからだと周囲も面倒になって関わらなくなって最終的に孤独死とかそういう人生の幕引きしそうな人とかどうなるんだろうなぁ、って他人事のように見るときはある。


 次回短編予告

 貧血ピーク時に書いてた話っぽいのでタイトルだけ見返しても何書いたかあんま憶えてないけど多分ファンタジー世界のディストピア的な話~お姉さまずるいっていう妹を添えて~


 あとあの、活動報告で割と深刻そうに受け止めてる人いるけど本人そこまでじゃないんであんま深く受け止めてくれなくていいからね……?

 心配され過ぎると逆に申し訳なくなってくるんじゃがじゃが。

 ※本人としては盲腸とってくるくらいのノリで話しています。

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[良い点] 聖女ちゃんが夢見ずに努力して幸せになった事。 救いの手がある聖女ちゃんと、諦められた王子の対比が面白かったです。 [気になる点] 『断種薬』の効果の検証ってするのかなぁ?開発段階で相当無茶…
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