無人バスジャック
「動くな!騒いだら撃つぞ!」
自身をバスジャックの犯人だと名乗るその男は、右手に持った鉄製の銃をそれがバスのフリーパスであるかのように高々と掲げた。バスの乗客が私一人だけであることに気がついた彼はすぐに銃を下ろし、こちらに銃口を向けた。
「おい、」男が私に問いかける。
「運転手が見当たらないがどういうことだ」
私が答える
「あれ、知らなかったんですか。最近、この路線のバスはすべて無人バスに変更されたんですよ。」
知らないのも無理はない。20xx年現在、技術の発展によって、ワームホールが公共交通機関として一般的になった現在、バスという遅く、運行時間に誤差が生じるような交通機関を使う人はほとんどいない。
もちろん、移動手段として普段使わない人であれば人々のバス離れにより全国的にバス会社の経営が厳しくなり、人件費削減のためにようやく自動運転システムが導入されたなんてニュースを知っている人は少ない。
ましてや、移動手段として使おうとも思っても思ってもいない人にとってはそのようなニュースなど知る由もないだろう。
しかし、仮にも自分がジャックする乗り物だ。それくらいのニュースくらいは事前に調べておくものではないだろうか。
おそらく、ろくに計画もせずに起こした犯行なのだろう。
それとも、そんな調査をする時間もないくらい切羽詰まっていたのかのどちらかだ。
「おかしい、ないぞ。」男が、急に動きを止めたかと思うと、運転席の方を見渡しながら何かをつぶやく。
おそらく、テンプレ通りであれば次は運転手の無線を通して自分の要求を言うはずであるが、運転手がいないため焦っているのだろう。運転席の方を何度も見渡しているのは、運転手がいた頃に使われていたはずのバス会社と連絡を取るための無線を探しているからなのだろう。
「無人運転に変更されたのが最近だといっても、バスに乗った子供がそういうのを使っていたずらをしないように、バス会社に連絡するための無線などはすべて廃止されたんじゃないですかね」
私は男のつぶやきに答えるかのように独り言を言った。
「なにっ」男が私の声に反応する。
「それでは、運転システムにエラーが発生した場合はどうするのだ」
「きちんと国に認可されているちゃんとした技術を使っているから大丈夫ですよ。いざというときには、バス会社がきちんとバスの中と外の様子をモニターで監視してくれているので安心です。」自分でもこの返答は調子に乗りすぎたかと思った。
「おいお前、」男が私に問いかける。男が腹いせに私に向けた銃の引き金を引くのかとヒヤッとしたが、男が続けた言葉は意外なものだった。
「スマホ、貸してくれないか」
「え?」
「バス会社に連絡するのに使う。俺のは充電が切れていて使えないんだ」
「いいですけど、今私のスマホは電波の繋がらないところにあると画面に表示されているんですよ」
男はそれでも諦めきれないのか、私からスマホをひったくるとバスの壁に貼られたバス会社の連絡先に連絡しようと液晶を叩き始めた。しかし、結果は当然というか残念というか、予想通りのものだった。
「はぁ」
男は明らかに落胆した素振りを見せた。それもそのはずだろう。勇気を振り絞って銃と共にバスに乗り込んだのに、自分が得られるものは何一つないことが判明したのだ。できることといえば手に持っているその銃で私を痛めつけることくらいだろう。勿論、そんなことをするメリットはどちらにもない。
私はふと、窓の外の景色に目をやる。私がバスに乗り込んだときは私が見慣れた都会の景色が写っていたが、いつの間にか緑色の景色の割合が増えている。私が気づいていない間に随分と遠くまで来たのだろう。それでもバスはまだ目的地につく気配はない。私も初めて行く場所だが、「思ったよりも遠いのだな」と思った。
「これ、返す」男が沈黙に耐えきれなくなったのか、私から借りていたスマホを私に返す。
「どうも。ところであの、どうしてあなたはバスなんかをジャックしようと思ったんですか?電車とかのほうが乗客もバスよりは多いですしいいと思うんですけど」
沈黙がなくなることは男の気分にとっても好都合だったのか私の問いに男は答える。
「バスのほうが警備が緩いからだよ。今、電車に乗ろうとするとゲートで持ち物を検査される。そこでこいつが見つかったら一発アウトだ。」
男は自分の手に持った銃を指さしながら言う。
現在の電車はそんな事になっているのか、普段使わないから知らなかった。確かに、そんな検査システムが導入されているのであれば電車ジャックは愚か、銃を持ち込むことすら不可能に近いだろう。
「ところで、あなたは私を人質にして何を要求するつもりだったんですか?」
ずっと気になっていたことだ。どんな事件でも犯人がそれを起こした目的とはいつも気になるものだ。金か?仲間の開放か?ありもしない答えを想像しながら私は男の返答を待った。
*****
しばらく気まずい沈黙の時間が流れる。男にとって初対面の私にいきなり犯行の目的を言うのは抵抗があるのだろう。
男が深い溜め息をついたあと、ようやく声を発する。
「もとの生活に戻ることだ。」
これを聞いたとき、私は随分ふわふわとした答えだと思った。しかし、”この”バスに乗っていることからも、予想はできた答えだった。
バスがトンネルに入る。
私はその時、窓の反射を通して初めて男の顔を見た。
今までは銃の方ばかりに目が行っていて顔を見ていなかった。
初めて見た男の顔は真っ白で、全く生気を感じられないほどだった。私は声を失う。
*****
どれくらいの時間が経ったのだろう。
長い長いトンネルを抜けるとバスの機械アナウンスが無機質に告げる。
「本日は成仏線のご利用ありがとうございました。まもなく終点、三途の川〜三途の川〜。
どなた様もお忘れ物、前世への未練等ないようにお気をつけください。
本日は……」
再び、男はため息をつく。
窓の外には、私が人生では見ることなかったような、大きな川が広がっている。
初投稿です。