歩く
歩くのは、疲れることだ。
休憩は取らずとも、半日は歩ける。
でも、1時間過ぎたら休憩は、その都度取ったほうが良い。
荒涼とした、たまに風光明媚かな景色を眺めながら、歩いて、思考に耽る。
これからは誰かの思惑に踊らされることは無い。
自由である。
それが、とっても嬉しい。
もう見えない網に、心煩わせることも無いのだ。
何より賢しげぶる手前勝手な醜い主張を、二度と聴く事は無いのだなぁと感慨深げに思ったりすると、ジワジワと込み上げる嬉しさを噛み締める。
うん…今、思い返しても、あれは騒音以外の何物でもない、何の生産性の無い聴くに堪えないものだったなぁ。
主張する事で、自分の身を貶め、周りに騒音を撒き散らし、迷惑を掛けて、いったい誰得なんだろう。
聞いてる間は、理解に努めようとはした。
でも、大抵の場合、僕には分からないと言う事が、分かっただけ。
ああ、誰か替わって欲しい。…チェンジだ。チェンジは二回までOKとか制度作って欲しかった。
でも、そうした騒音製造機を含め、全てが消滅してしまった。もとから、いらなかったのかな。
はっ、もしかしたらあれすらも人類の多様性の一部だったのか…。
今は、静かだ。
自然音しかしない。
騒音の無い世界だ。
人類が生み出したのは騒音だったのか。
今では淘汰されてしまったけどね。
チョウゲンボウが鳴いている。
これよりは、下り坂だ。
ひとまずは都心を目指して行こうと思う。