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八の巻  双子の片割れ

 大奥入りを明日に控えた日。

 普段は江戸城内に駐在しており、滅多な事で実家に戻る事のない正輝(まさき)が私を訪ね、服部(はっとり)邸を訪れていた。


 乳母(うば)のお多津(たつ)曰く。


「幼い頃は揃っておかっぱで、どんぐりみたいな瞳に、桜色のほっぺがとても愛らしくてねぇ。並ぶと本当に瓜二つに見えたものですよ」


 という私の相方正輝。


 それが今や私の背を遥かに越え、どこからどう見ても元服(げんぷく)の済んだ男にしか見えない。そして情けなく見えがちだった、私と揃いの少し垂れた目元は、それなりに凛々しく厳しいものに変化して見えない事もない。


 それどころか、くノ一連の中には「正樹様を愛でる会」などという、訳のわからない徒党を組んだ軍団がいるらしい。


 勿論くノ一連の中でも「い組は抜く」という(ただ)し書きはつく。


 幼い頃から共に育ったい組のみんなは、もはや私を贔屓目(ひいきめ)に見てくれる家族のようなもの。だから正樹を客観的に男として見ることが出来ないのは無理もないことだ。


 とにかく、泣き虫だった正輝が誰かに認められている。それは私にとっても嬉しい事だし、正輝も成長しているんだなと、上から目線で感慨深い気持ちに襲われたりもしたり……しなかったり。


「まさかお前が大奥に行く事になるとはな」

「言い方」

「すまぬ。けど、悪い意味じゃなくて、父上がお前を手放すなんてと、正直驚いた」


 私の部屋となる座敷において、我が物顔で胡座(あぐら)をかく正輝。

 驚くと言ったわりには、みたらし団子に菓子切りを刺し、口に運ぶと至福の顔を晒している。


 ちなみに正輝が舌鼓を打つみたらし団子は、屋敷の奉公人達が餞別(せんべつ)と言って、私のために用意してくれたものだ。


 (そう、私のために)


 私は突然屋敷を訪れた正輝のせいで、半分の取り分になってしまったみたらし団子を恨めしい顔で見つめたのち、皿を手元に寄せる。


「父上はもっと渋ると思ってたけどな」

「そうかな。わりと乗り気だったけど」


 団子を口にし、目元を下げる正輝。そんな正輝に続けとばかり、艶々(つやつや)と黄金色に輝くタレがかけられたお団子を口に入れる。


 あまいとしょっぱいが絶妙な塩梅(あんばい)で口の中に広がり、しばし至福の時を堪能する。


「そうだ、お前の大奥入りに兄上も驚いていたぞ」

「ふーん」


 正輝の口から飛び出した「兄上」とは次期服部半蔵(はっとりはんぞう)を名乗る予定となっている、私より二つ年上の兄、正澄(まさずみ)のことだ。


「兄上と顔を合わせていないのか?」

「少し前に一緒に任務についたけど、最近まで兄上は父上に命じられた任で江戸を離れていたし、何かとお忙しそうだったから。そう言えばしばらく会ってないかな」

「同じ屋敷に住んでいるのに?」


 それはとても難しい質問だ。

 何故なら兄にはすでに妻と子がいる。


 (だから必然的に私に構う必要も時間もないわけで)


 それに兄も父と同じように、後から現れた双子の扱いに翻弄され、背負わなくても良い苦労を背負わされ生きてきた。


 (内心母を奪った憎い子だと、兄上は私を恨んでるはずなのに)


 兄、正澄はいつも私に優しい。そして捻くれ者の私は、時としてその事を辛く感じてしまうという、厄介な所がある。だから私は、家族を持った事を理由に兄には近寄らないようにしている。


 ただそれを正輝に説明し、理解してもらうのは難儀なことで。


 正輝にどう返すべきかと悩みつつ、()を持たそうとお茶を一口すする。


「兄上にはご家族がいらっしゃるから。そう言えば蘭丸(らんまる)がとうとう私を認識したんだよ」


 考え抜いたあげく、さり気なく甥っ子に話をすり替える作戦を実行する。


「それにね、わりとあの子はおしゃべりみたい」


 私は蘭丸の懸命に喋ろうとする、愛らしい様子を思い出し自然と頬をゆるめる。


 兄の子、蘭丸は現在一歳になったばかりの赤子だ。


 (とてつもなく可愛いのよねぇ)


 最近私を見て「ひめ」と片言で口にした事件に遭遇した時は、もうこのまま死んでもいい。本気でそう思ったほどだ。


「兄上とは会わずに、蘭丸とは会ってるのか」


 正輝がわけがわからないといった表情になる。


「お多津が面倒を見てるからね。だから私もわりと暇な時は顔を出してるかな」

奥方(おくがた)は相変わらずなのか?」


 正輝が声を落とす。


「最近寒くなってきたから、大事をとってあまり外には出ないけど、前よりはずっと顔色がよくなってきたと思う」


 (元気になってきている)


 そうであるはずだと、願う気持ちを込め、正輝に報告する。


「そうか。早く春になるといいな」


 病人にとって迫り来る冬の寒さは厳しい。その事を思い出したのか、正輝はまだ冬を迎えてもいないのに、春を焦がれるように目を細める。


 兄の妻、紗千(さち)様は陸奥国(むつのくに)白河藩(しらかわはん)より我が家に二年前、それこそ秀光様が亡くなる少し前に服部家に嫁いできた姫様だ。


 色白で線の細い紗千様は生まれつき身体が丈夫な方ではなかったようで、蘭丸を生んでからは余計に(とこ)に伏せている事が多くなってしまっている。


 (何でそんな病弱な人が兄上の嫁になったのか)


 母のいない人生を知る私は、これから成長していく蘭丸の事を思えば思うほど、複雑な気持ちを抱えざるを得ない。


 今思えば、同時期に将軍である光晴様が伊桜里様を側室としてお迎えになった。だからこそ、余計に世の中全体が「めでたい」と浮かれ立っていたのかも知れない。


 よって周囲には後に続けとばかり、めでたい話が降って湧いたように溢れていたように思う。


 そんな中、兄にも「嫁を」という、祝福に飢えた伊賀者達の声も大きくなってしまった。だから伝手を頼り紗千様と兄は一度も合わずに、夫婦となってしまったのである。


 その背景には私のあずかり知らぬ、政治的な策略があるのだろう。


 (まぁ、何だかんだ兄上は幸せそうだし)


 二人を遠くから観察していると、兄が紗千様に惚れているのは手に取るようにわかる。

 そして不思議な事に、剣術に向き合う真面目さだけが取り柄のような兄の事を、紗千様も心から慕ってくれているように見える。


 それに紗千様は忌み子である私に嫌な顔を一つせず蘭丸を抱かせてくれる、とても慈悲深い人だ。


 色々思う事はあれど、結局のところ私は紗千様が好きだし、今は私にとっても大事な家族だと思っている。


 (だから必ず長生きして欲しい)


 そう願う気持ちは、兄にも負けない自信がある。


「そっか、私は大奥に行ったら蘭丸や紗千様になかなかお会いできなくなっちゃうんだ」


 今更ながらその事に気づき、どんよりと肩に重しを乗せた気分になる。


「今頃気付いたのかよ……」

「まぁね。色々あってすっかり忘れてた。というか、わざと思い出さないようにしてたのかも」

「ま、お多津がいるし、大丈夫だろ」

「そうだね」


 紗千様の回復を見届けずに発つこと。それは志半(こころざしなか)ばで諦める。そんな感じでモヤモヤとするが、任務とあれば仕方がない。


「私はくの一だからなぁ」


 父の死に目に会うことも出来ないかもしれない。

 それくらいは覚悟している。


 だから紗千様の予後を見守れないこと。

 そして蘭丸の成長を(そば)で楽しめないこと。


 それはもう仕方ないことだ。


「正直俺はお前が今回の任に当ってくれたこと。それには感謝している」

「やっぱ、今回も正輝の尻拭いをさせられるの?」

「違う、それに「今回も」は口にするな」


 最近すっかり大人ぶった正輝がまるで子どものように、口を尖らせた。


「わかってる。正輝は最近一人で頑張ってるよ」

「上から目線で言うな」

「でも実際私と勝負したら、負けるでしょ?」

「それはどうかな。御広敷添番(おひろしきそえばん)の任についてから、毎日鍛錬してるし」


 自慢気な顔で発言する正輝。しかし残念ながらその事実は胸を張り主張できるものではない。


「毎日鍛錬するのは当たり前だけど」


 朝昼晩、とまではいかなくとも、(しのび)たるもの隙きあらば鍛錬するのは当然だ。


「……お前のそういう真面目くさったとこ、ほんと可愛げがないな」

「別に正輝に可愛らしいとか思われなくていいし。むしろ気持ち悪いし」

「あーっ!!もういい。いいか、とにかくお前は大奥で俺の上司、(とばり)様の命で動く事になるから。かなりお厳しい方だから覚悟しとけよ」

「とばりさま?」


 (随分特徴的な名前だけど)


 そんな人物がいただろうかと、私は記憶を(さかのぼ)る。

 しかし、私の頭の中に存在する「全国主要人物図鑑」には該当の人物の名は記載されていない。


「どこの藩の帷様?」

「帷様は公方(くぼう)様直属の浪士だ。有能な御方だからその任に抜擢(ばってき)された」

「浪士なのに?」


 そんなことあり得るのだろうか。

 私は疑いの眼差しを正輝に向ける。


「詮索無用。公方様が良いとおっしゃるんだ。だからいいに決まってる」


 正輝は思考を完全に放棄した発言で押し通すつもりらしい。


 (これは終わってる)


 久しぶりにだめ駄目な正輝を見た。

 私は呆れてため息が出そうになる。


「ま、お前も帷様にお会いしたらきっとその不思議な魅力に惹かれるはずだ」

「その人は妖狐(ようこ)か何かなの?」


 思わず口にした、かなり馬鹿にした発言に対し、正輝はニヤリと生意気にも口元を緩ませる。


「相変わらず冴えてるな。確かに帷様は不思議な御方だ。妖狐らしくもあると言えるな」

「な、なるほど」


 どうやら私が正輝をからかうつもりで、何気なく口にした例えは、思いの外正解を引き当てたらしい。


 (妖狐だなんて、一体どんだけ怪しい人なんだろう)


 会ってみたいような、むしろ避けておきたいような。実に複雑な心境である。


「ま、そういうわけだから。くれぐれも粗相(そそう)のないようにな」

「わかった」

「明日、顔合わせがあるから、心しておくように」

「え、そうなの?……はい」


 私は戸惑いながらも正輝に睨まれたので、一応は納得する。


「お前も知っての通り、現在大奥は荒れ果てている……というかまぁ、閑散(かんさん)としている」

「そうらしいね」


 正輝は光晴様が寄り付かない事を、遠回しに「閑散」と表現した。


「このままお世継ぎ問題が解決しなければ、東雲(しののめ)()はお家断絶となり、この国はまた戦乱の世に向かうかも知れない」

「えっ、でも東雲御三家(しののめごさんけ)もあるし。そこまでじゃないでしょ」


 私は東雲家の家紋、丸に三つ重ねの雲を思い浮かべる。

 その尊い東雲家の家紋使用が許されているのが、私が口にした東雲御三家だ。


 尾張(おわり)紀州(きしゅう)水戸(みと)と名のつく三つの東雲家は、昔から将軍家に後嗣(こうし)が絶えた時は、尾張家か紀州家から養子を出すことになっており、現に八代将軍吉光(よしみつ)様は紀州東雲家から誕生している。


「東雲御三家は最後の砦だ。その御三家のうち、どなたを時期将軍に推すかで、どうせ揉めるだろうし」

「あー、確かにそれはあるかも」


 東雲御三家もまた、それぞれお世継ぎを残す事を重要視している。となれば、適任と思われる人物が一人だけとは限らない。そんなの揉める未来しか想像できないというものだ。


「だから一番いいのは、光晴様にお世継ぎが誕生すること。それが自然だし、面倒ごとがなくて済む」


 正輝は軽い口調で言う。

 確かにそれが一番いい。

 そうであって欲しいと私も思う。


 (でも当のご本人が傷心中なんでしょう?)


 だとすると、東雲御三家から後継者を選ぶ。その事に匹敵(ひってき)するくらい、光晴様を大奥に寄り付かせるのは難儀なことである可能性もあるわけで。


「とにかくさ、お前には大奥内の治安維持は勿論のこと、伊桜里(いおり)様の事について探ってもらうつもりだから」

「え、そうなの?」


 突然思いもよらぬ名が飛び出し、私の口は半開きで間抜けに固まる。


「表向き病死と公示された伊桜里様だが、死因は失血死だ」


 (そうだったんだ)


 私は失血死と聞き、何とも言えぬ、喪失感のような物を感じた。


 (一体どうして)


 光晴様のお子を身籠ったなんて噂もあるけど。

 その事を思い出しふと気付く。


「噂だと、お世継ぎを流産されてしまったとか言われてるけど、まさかその事と関係」

「シッ」


 正輝は慌てた様子で唇に人差し指を当て、私に口を閉じるよう示した。


 (まさか忍びが?)


 慌てて神経を集中させ、正輝と私以外の気配を探る。

 しかし、周囲に怪しい人の気配は感じない。


「違う、安易に「流産」などと言う言葉を使うなという意味だ。縁起が悪いし、運が下がるだろう?」

「あ、ごめん……」

「とにかく、光晴様の伊桜里様への未練を断ち切るためにも、あの事件について探ってほしい。勿論周囲に内密にだ」

「まさに密偵ってことね」

「そうだ。お前はくノ一だからな。得意だろ?」

「たぶん」


 人よりは長けていると信じたい。


「それから万が一、誰かがお前を気に入ってしまった場合」

「それはないと思うよ」


 またその話かと、私はウンザリを通り越しおかしくなる。


 (取らぬ(たぬき)皮算用(かわざんよう)


 それはまさにこのような状況のことを言うのだろう。


「父上が策を練った件は耳にした。しかし色恋なんてものは、理性じゃどうにもならないらしい。相手を慕う気持ちに気付いた時には、もう後戻りできないそうだ」

「…………」

「でもま、そうなったら俺は応援するからな」


 正樹は晴れやかな顔で言い終えた。そして、やり遂げた感たっぷり。満足そうな表情で緑茶を啜っている。


 全く親子揃って恥ずかしげもなく同じようなことを。


 呆れる気持ち満載で、私は残りの団子に菓子切りをぐさりと刺したのであった。

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