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七の巻  くノ一連、い組の仲間たち

 厳格なる父が「色恋」などという、桃色全開な言葉を目の前で口にしてから三日後。


 私は大奥における御庭番(おにわばん)、つまり将軍から直接命令を受け、秘密裏に諜報活動をする隠密(おんみつ)として正式に採用されたと父から知らせを受けた。


 そしてそれから一週間ほどが経ち『伊賀者くノ一連い組』の仲間たちが、大奥に出立する私を激励するための会……とは名ばかりの、飲めや歌え。女ばかりの宴会を開いてくれた。


 宴会場となるのは、間口一間半、奥行き二間ほどの小さな小料理屋の二階だ。


 天ぷらがイチオシの、どこにでもあるような土蔵(どぞう)造りのこの店は、実のところ伊賀者が情報収集のために構えている店の一つである。店主夫婦はどちらも忍びの者で、店で仕入れた客の情報を父に流す事を任務とし店を営む。


 そもそも私の父、第二十三代服部半蔵(はっとりはんぞう)正秋(まさあき)は代々将軍家をお守りする任を負っている。よって様々な形で町に溶け込む忍びを抱え、秘密裏な情報網を市中に張り巡らせているのである。


 そんな秘密を抱えた小料理屋の軒先(のきさき)には、いつもは規則正しく時間通りに掲げられているはずの暖簾(のれん)はしまわれ、代わりに「臨時休業」という大きな張り紙がこれ見よがしに貼られていた。


 そうやって完璧に人払いをした店内は、普段はなかなか顔を合わせる機会の少ないくノ一連、い組の面々が私の為と言いながら、女ばかりでどんちゃん騒ぎの酒盛(さかもり)中。


「万が一、姫様が公方(くぼう)様のお手付きになるような事があれば、簡単に会う事すら出来なくなります。ばぁはそれが悲しいですぅ」


 小袖(こそで)で顔を覆い、しおらしく泣き真似をする老婆。彼女は私の乳母(うわ)、お多津(たつ)である。

 因みにお多津の前にある朱色に塗られた宗和膳(そうわぜん)の上には、すでに空になった徳利(とっくり)が二本、ごろりと横たわっている。


 つまり既に相当酔っていると言えるだろう。


「お手付きの心配なんてないわ。父上がきちんと私にまつわる不吉な事情を公方様にお伝えしてくださったみたいだから」


 ぽんぽんといつの間にか丸くなってしまった、お多津の背中を優しく叩く。


「でもさ、伊桜里(いおり)様のことで色々あったとは言え、未だお世継ぎが誕生してないからねぇ」

「そうだよね。天花院(てんかいん)様が浅草小町と呼ばれていた美人な娘を大奥に迎え入れたとか聞いたし」

「二十歳前後の子らしいよね」


 大奥に入る私の壮行会らしく、先程から話題はその事ばかり。


 (ま、あそこは早々立ち入れない場所だから)


 知ることを生業(なりわい)とする同志達からすれば、秘密多き大奥に対し興味がそそられるのは仕方がない。これはもはや職業病とも言える。よって私は大奥のあれこれに対し詮索する会話を「はしたない」と言って咎めるつもりはさらさらない。


 (むしろ情報が勝手に飛び込んできているから有り難いし)


 密かにそう思う私は、みんなの会話に耳を傾け、適度に相槌を打ちながらも、聞き逃すまいと内心前のめり気味に、話に集中しているのである。


 (それにしても天花院様か)


 これから私のお勤め先となる場所に住まう、その人物について思考を巡らせる。


 天花院様は御年二十五歳の女性である。


 先代将軍秀光(ひでみつ)様の御台所(みだいどころ)――つまり最後の正妻となった方で、現在は夫である秀光様が亡くなったため出家されている。そのため大奥西丸へと移り住み、前将軍の菩提(ぼだい)(とむら)い余生をひっそりと過ごしているようだ。


 (ただし「ひっそりと」というのは周囲の願いであり、現実はそうではないようだけれど)


 天花院様は「我こそ主」といった堂々たる風格で、現将軍である光晴(みつはる)様のお世継ぎ問題や大奥のあれこれに口出しをされているらしいとのこと。


 そして光晴様は今は亡き秀光様にとって二番目の正妻であった、天優院(てんゆういん)様の子であり、天花院様とは血の繋がりのない、そして歳が近い形式ばかりの親子、ということになる。


 父からもたらされた情報はそのくらいだ。けれどこれは井戸端会議で良く囁かれる噂と同じ。つまり、父は噂話で囁かれる程度の情報しか入手していない、もしくは教えてくれなかったということになる。


 (やっぱり大奥の事はよくわからない)


 まぁ、例え知っていたとしても、口外してはならぬという掟のせいで、なかなか詳しい情報は漏れてこないのだから仕方がない。


「伊桜里様が亡くなった今の大奥って、正妻となる貴宮(たかのみや)様派。それから姑である天花院様派って感じで、パックリ二つの勢力に分かれてるらしいよ」

「日々、熾烈(しれつ)な争いが繰り広げられてるって噂だよね」

「貴宮様と、天花院様かぁ。つまり公家と武家の代理戦争って感じなのかなぁ」

「伊桜里様がご健在の頃は表立った確執があるなんて聞かなかったし、至って平和だったもんねぇ」

「伊桜里様と言う仲介役(ちゅうかいやく)を失った今、タガが外れたように大奥で、嫁姑が(いが)みあっているという訳か」

「うわぁ、ドロドロ必須じゃん」


 完全に他人事な面々は、赤ら顔で甲高い声をあげる。


 (まぁ、私もその一人ではあるけれど)


 いまいち自分がそういった世界に飛び込むこと。

 その事について実感が沸かないというのが正直なところだ。


「平和で戦ごとがないのはいいけどさ。正直くノ一である私はもっと血が騒ぐ仕事がしたいと願ってしまったりもするんだよね」

「わかる。不謹慎(ふきんしん)ではあるんだけどね」

「じゃ、あんた達が大奥に行けばいいのよ」

「確かに。忍び込んでしれっと女中でもしちゃおうかな」

「それやばいって」

「その前に御広敷(おひろしき)御門(ごもん)の詰め所にいる、伊賀者(いがもの)男衆にバレるでしょ」

「それもそうか」

「でもあいつら、平和すぎて腕が鈍ってるかも」

「じゃ、私達に勝ち目があるかも知れない」

「くノ一連、い組に乾杯!!」


 酒が並々と注がれたお猪口(ちょこ)を掲げる姉弟子。酔っ払いと化した皆も、調子良くそれぞれ自分のお猪口を顔の前に掲げた。


 そんな様子を楽しい気分で見守りながら、私は一人、現在の大奥についておさらいをする。


 貴宮様は一年前、前将軍秀光(みつひで)様の喪が明けたのと同時に、京から江戸にお迎えした第八皇女様。対する天花院様は陸奥国(むつのくに)より前将軍にお輿入(こしい)れされた大名家出身の娘。


 この関係性は、確かに誰かが口にした通り、公家対武家の構図のようにも思える。


 (それに今は伊桜里様の為に、公方様が正妻と同じ、九十日の喪に服されちゃった問題もあるし)


 嫁姑問題などと、悠長なことは言ってられない。

 拗れたままの状態が続けば、本当に戦乱の世を迎える事になるかも知れないのだ。


 (そうなれば、私達伊賀者は先陣を切り、戦う事になる)


 歴史は繰り返すと言うが、わりと平和ボケをした今、血を流す戦いだけは勘弁願いたい。


「大奥での問題が根深くなってしまうのは、上に立つお二人のご年齢が近い事もあるのでしょうね」


 グズグズと鼻をすすりながら、お多津が発言する。


「確か貴宮様は二十歳になったばかり。対する天花院様は二十五歳。その年齢差ってわずか五歳だもんね」

「天花院様は秀光様の元にお輿入れされてから、わずか一年半で未亡人になられたんだっけ」

「そうそう。まだ二十五で未亡人だなんて可哀想すぎる」

「秀光様がご存命ならばお(しとね)すべり前なわけだしねぇ」


 お褥すべりとは、三十をもって正室も側室も将軍に対する夜のお相手を辞退するという大奥ならではの(なら)わしだ。


 (三十を越えると健康な子を産めないって事みたいだけど)


 町方の常識からすれば、ずいぶん失礼な話だと思わざるを得ない。とは言え、温室育ちのお姫様達を高齢出産の危険から守るためとも言われている。


 (ま、そもそも公儀(こうぎ)で決められた事に異論を唱える権利は私にはないし)


 それに考え方を変えれば、「ここでお役目御免(やくめごめん)」と線引きされるのは、「お子を授からねば」という精神的重圧から解放されるとも言えなくもない。だとすれば、お褥すべりという決まりは、良策である可能性もなきにしもあらずと言うわけだ。


「それに天花院様がまだお若いから、公方様との仲を疑われたりもしているらしいわよ」

「うわー、それが本当だとしたら、貴宮様的には修羅場でしかないわね」

「やっぱり大奥って大変そう」


 げんなりとした声があがり、皆が一斉にお猪口を口に運ぶ。


「言えなかったらいいけど、そもそも琴葉(ことは)はどうして大奥へ行く事になったの?」

「そりゃ、正輝(まさき)様が御広敷添番(おひろしきそえばん)の任についているからでしょ?」

「あー、なるほど」


 みなが揃ってうなずく。


 今話題にあがった御広敷添番とは、江戸城の大奥にある御広敷(おひろしき)という詰め所において、警備や出入りの者を検分する役目をもった役人のことだ。


 ちなみにその御広敷には、伊賀同心男衆のための詰め所もある。その関係で私の双子の兄である正輝は、大奥に務める役人の職に就いている。


「ま、いくら忍びとは言え、大奥の中に男子は立ち入れないしね」

「ってことは、琴葉はまた正輝様の尻拭いをさせられるんだ」


 酔がまわっているのか、今まで話題に上がっていた大奥についての噂話の延長といった軽い感じで、私の抱える暗の部分について触れる声が響く。


 私自身はさほど気にしていないつもりだが、一瞬にして部屋の空気がピンと張った糸のように緊張したものに変わった。


「ち、ちょっと、それは言い過ぎ」

「えーでも、いつだって琴葉はそうだったじゃない」

「そうそう、琴葉が結果を残しても横取りされてさ」

「琴葉の功績は全部正輝様のもの」


 みんなが私に代わり、愚痴をこぼす。


 (優しいな)


 私の境遇をこうやってまるで自分の事のように怒ってくれる。

 忌み子である私には、もったいないくらいの仲間だ。


「それでも、琴葉が納得してるのに私達がとやかく言う事ではないよ」


 気遣うような視線が私に向けられる。


「私は正輝の影みたいなもんだから。というか、正輝がいないと存在してなかったわけだし。まぁ、そんな感じだから今更気にしてないよ」


 言い終えると私はお猪口に口をつけ、この話は終わりとばかりチビチビとお酒をすする。


 みんなが私を心配してくれている。その気持ちは痛いほど理解しているつもりだ。


 (だけど、私は正輝のお陰で生きているから)


 この時代、不吉の象徴とも言える双子は存在しないに等しい。

 何故なら生まれた瞬間、産婆に取り上げられたどちらかがこっそり始末されてしまう事が多いからだ。


 けれど私は今こうして生き(なが)らえている。それは先に母の胎内から出た正輝が、まるで死んでいるかのようにピクリとも動かず、一切産声(うぶごえ)をあげなかったから。

 その様子を目の当たりにした産婆は、「この子の先は長くない」と悟り、後から生まれた私の首を(ひね)らなかった。


 その結果、私はこうして自分の為に開かれた宴会に参加できている。だから私は正輝を生涯影から支える覚悟を持って生きている。


 (私にはこうして出立を喜んでくれる仲間がいるだけで幸せ)


 本心からそう思い、私はみんなに笑みを返す。


「そっか。ならいいんだけど」

「うん。心配してくれてありがとう」


 私が明るく礼を言うと、その場に漂う緊張した雰囲気が一気に緩む。


「それに今回はさ、正輝がどうこうってわけじゃなく、くの一宛に依頼がきたみたい」


 私は正輝にかけられた不名誉な評判を拭うべく、少しだけ情報を明かす。


「え?そうなの?」

「詳しくは言えないけど、みんなの予想どおりって感じで、本当に大奥に忍びが必要になったみたい」

「なるほど。確かに大奥じゃ伊賀者といえど男は入れないもんね」


 肯定の意味を込め、うなずく。


「そう言えば、天花院様が大奥に招き入れたという子についてだけど」

「私の情報によるとその子は美麗(みれい)様とかそんな名だって話」

「そう、そう。その美麗様って子は御湯殿(おゆどの)に派遣されて、一度だけ公方様のお手付きになったんだってね」

「御湯殿に派遣って、公方様のお体を洗うってこと?」

「そうそう。糠袋(ぬかぶくろ)で公方様のお体を丁寧に洗い上げていくそうよ」

「なるほど。わりと重労働だから、息が弾んで、それが色っぽい吐息に聞こえ、そして」

「うわぁ、生々しいからやめ!」


 盛り上がる仲間達だが、父からの情報だと光晴様は最近お渡りをなさっていないとのこと。


 (それに、伊桜里様を心からお慕いしていた公方様が他の子に手を出すかな)


 私は早くお世継ぎをと望む一方で、いつまでも伊桜里様を大事に思う光晴様であって欲しいと、矛盾した気持ちを抱える。


「それだけではありませんよ。現在お世継問題で揺れる大奥は正直戦場のようなもの。色々ときな臭い噂も耳にしますし。あぁ、姫様がそんな恐ろしい所に行かれるだなんて」


 お多津が最後の一滴までもを逃さぬ勢いで徳利を逆さにし、お猪口に酒を落としながら嘆く。


「きな臭い噂ってなあに?それにどうしてお多津が大奥の事を知ってるのよ」


 問い詰めようと、私はお多津のトロンとした目を見つめる。


「私も年老いたとは言え、伊賀者ですよ。それにくノ一だった私の元には、情報が勝手に飛び込んでくるのです」


 りんごのような赤ら顔で、新たな酒を得ようと、私の膳の上に乗る徳利に手を伸ばすお多津。


「それでどんなきな臭い噂があるの?」

「それはですね……」


 含みある顔を私に向けたと思ったら、お多津はゴロンと寝転がる。


「姫様がお手付きになったらと思うと、ばぁは」


 最後まで言葉を紡ぐ事なく、お多津は大きないびきを立て始めた。


「え、まだ重要な部分を聞けてないんですけど……」


 完全に潰れてしまったらしいお多津。こうなってしまえば朝まで起きることはないだろう。私はため息をつくと、お多津を部屋の端に移動させた。


 (ふぅ、ほんとに世話がかかる乳母ね)


 そう思いつつ、心配してくれる気持ちは素直に嬉しい。私は満たされた気持ちでお多津に羽織をかけ、再度みんなの会話に聞き耳を立てる。


「それにしてもさぁ、あの正輝様がまさかのご出世街道まっしぐらだもんねぇ」

「そうだね。しかも、将軍様のお側仕(そばつか)えなんて凄すぎる」

「御広敷にいるんだもんねぇ」

「昔は泣き虫でいつも琴葉の影に隠れていたのにね」

「あっ、それそれ。懐かしいなぁ」


 昔話に花を咲かせ、笑い合うみんなの表情はとても明るい。


 (みんなと離れるのだけは、ちょっと寂しいかも)


 私は一人しんみりし、その気持ちを散らそうと、お酒に逃げるのであった。

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