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六の巻  父、服部半蔵正秋と面談

 伊桜里(いおり)様が亡くなってから二ヶ月後。

 私は服部家(はっとりけ)の屋敷の中。父が政務を行う座敷に呼び出されていた。


 人払いをした簡素な部屋で、文机(ふずくえ)の向こう、父は腕を組み私をジッと睨んでいる。その静かに射るような瞳は、父の後ろにある床の間に飾られた、こちらをキッと睨みつける虎と同じようで、怖い。


「琴葉、お前は己の運命を受け入れ、伊賀者(いがもの)の一員として日々鍛錬に励んできた。その事をわしは重々承知している」


 普段あまり誰かを手放しで褒める事のない人物。そんな印象が強い、私の父である服部半蔵(はっとりはんぞう)正秋(まさあき)が、私を認めるような発言をした。


 (もしや、政局が変わるような事でもあったのだろうか)


 一瞬浮かんだ思いにすぐ蓋を閉じる。


 忍びたる者、その任務を全うする事に注力し、(まつりごと)迂闊(うかつ)に口出ししてはならぬ。という、忍びの教えが脳裏をよぎったからだ。


 (となると、まさか私の縁談……)


 伊賀者の『くノ一』として生きる私の同輩達は、最近何かと色めく話ばかりを口にする。

 たぶん、十七という歳のせいだろう。男で十七はまだまだ青二才(あおにさい)だが、町方(まちかた)の女となると十六、七はまさに結婚適齢期。


 (でもま、私は忌み子だから縁談なんて事はないか)


 産まれた瞬間から背負う罪。それを思い出し、ポッと湧き出た都合の良い閃きを即座に放棄する。


 しかし珍しく私を呼び出した上に、きっちり人払いをし、父と二人きり。

 これは緊急事態であると言えるし、すこぶる怪しい状況だ。


 (一体何を企んでいるのだろうか)


 真意を探ろうと、私は父のだいぶ苦労が刻み込まれた年老いてみえる顔を見つめた。


 ざっと数えて与力(よりき)三十騎に、伊賀同心(いがどうしん)二百名。それらを束ね、東雲(しののめ)大将軍家を支える旗本(はたもと)である父の苦労は、いちいち口にせずとも手に取るように理解できる。


「そう訝しむな。今から話すこと。それは自分を日陰者(ひかげもの)だと譲らないお前にとって、またとなく良い話なのだからな」


 この時点で少なくとも私からすると、全く良い話ではないなと悟る。


 父の口から飛び出した日陰者という単語。

 それはまさに私を表すに相応しいと思う。


 双子の誕生は災いを招くだとか、凶兆(きょうちょう)だとか。古くから言い伝えられるこれらの言葉は、実に的を射ている。


 何故なら私は生まれた瞬間、母を殺してしまったから。


 正確には私の母、琴乃(ことの)は私と双子の兄、正輝(まさき)を産み落としたのち、産後の肥立ちが悪くそのまま命を落とした。


 伊賀者の中で事情を知る人はその事を「私のせいではない」と言ってくれる。


 けれど双子の兄である正輝はともかくとして、何の利も生み出さない女である私に、父から、そして皆から愛され、慕われていた母は、己の命をかけるべきではなかったのだ。


 それにすでに母は一番上の兄、服部家の跡取り息子である正澄(まさずみ)をこの世に残していた。だからこそ、無理をして私を生まなければ良かったのである。


 ただ私が生まれてきて唯一良かったこともある。それは、双子を産んだ畜生腹(ちくしょうばら)だと、母が世間から後ろ指を指される事がなかったこと。


 (なんせ亡くなってしまえば、母上は誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)を聞くことができないから)


 言い換えれば、私がこの世に生み出された理由はそれくらいしかないということだ。

 そんな私にとって良い話など、あるわけがない。


「琴葉、聞いておるのか」


 父の厳しめな声が、井戸の底に沈みかけた私の思考を遮る。


「申し訳ございません」


 私は身体を折り、形ばかり謝罪の気持ちを示す。


「お前には次の募集に合わせ、大奥に行ってもらおうと考えている」

「かしこまりました」

「……なぜ驚かぬ」


 すんなり受け入れた私の態度に、事前に情報が漏れていたのではないか。そんな疑いの眼差しを父は私に向けた。


「あの場所で得た情報は門外不出(もんがいふしゅつ)と言われております。よって表立って行動できぬ私のような忍びには、丁度良い任務地だと思いました。ですからさほど驚きはありません」


 私は正直に答える。


 (大奥で何をすべきなのか)


 それについては気になるが、どうせ警備のような事を任されるだろう。


 何故なら私はくノ一だから。

 それくらいしか取り柄がない女だから。


「現在二十歳となられる、第二十五代征夷大将軍東雲(しののめ)光晴(みつはる)様には、未だお世継ぎが誕生しておらん。その件について重臣達が危惧(きぐ)しておられる」


 突然父が本題に切り込んだ。


 なるほどその事絡みかと、私はさほど驚きはしない。


 何故なら伊桜里様の死をきっかけに、市井でも「お世継ぎを」と願う声は日に日に大きくなってきているから。そして誰もがそう願ってしまうのは、今のような平和な時代を続けるためには、お世継ぎという存在が必要不可欠だと知っているからだ。


 そもそも過去の歴史を振り返ってみても、将軍継嗣(けいし)問題によって揺れた時期は、その後大きく国が変わる時でもあった。


 (それに上がざわつけば、確実に民にも悪影響を及ぼす)


 先行き不安から犯罪が起こりやすくなるし、そんな時期に災害でも起きれば江戸は再起不能に陥ってしまうかもしれない。


 よって子は授かり物などと言い、悠長(ゆうちょう)に構えている場合ではないことは確かだ。


 (重臣のおじさん達が焦るのもわからなくはない、かな)


 一通り納得し、改めて父と視線を合わせる。


「実は公方(くぼう)様は伊桜里様を病で亡くしてからというもの、喪に服しているからと理由をつけ、大奥にも出向かず、周囲に女を一切寄せ付けなくなったそうだ」


 伊桜里様の名前が飛び出し、私は膝に置いた手を着物ごときつく握る。


 三歳ほど歳上の伊桜里様とは、彼女が十四で髪を結うようになってから疎遠になっていた。

 けれど不思議な夢を見たのをきっかけに、私の中で伊桜里様の存在が記憶の水面近くに浮上し、気付けば色々思い出す日々を送っている。


 (でも今更なんだ)


 私は彼女のことを亡くなるまで忘れていた、薄情者だ。

 それを自覚した途端、彼女の話になるとまるで背中に(たわら)を背負い込んだように、罪悪感で気が沈んで仕方がない


 そのたび。


 (お力になれなくて、ごめんなさい)


 私は心で伊桜里様に謝罪する。

 でももう、伊桜里様は私の頭を優しく撫でてくれることはない。


「そもそも公方様は九十日の喪に服されたが、それもまた、大奥内外で波紋を産んでしまったようだ」


 私の気持ちなど知る由もない父は話しを続ける。

 でもそれは正しいことだ。


 (今は目の前の話に集中しなきゃ)


 父の話にしっかりと耳を傾けようと背筋(せすじ)を伸ばす。


貴宮(たかのみや)様を蔑ろにしていると、朝廷側から抗議の声があがり、大老(たいろう)である柳生(やぎゅう)宗範(むねのり)様もほとほと困り果てておる」


 父の話に静かにうなずく。


「しかも公方様自身は喪に服す期間について、当たり前だと跳ね除け、朝廷に謝罪するおつもりはないそうだ」


 (まぁ、そうでしょうね)


 そもそも微妙な関係で成り立つ東雲家と朝廷だ。

 禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっとを設立し、実質的な力関係において、東雲家は朝廷の上に立っている。


 しかし、そもそも戦乱の世を勝利し、天下統一を果たした東雲家を征夷大将軍に指名したのは朝廷だ。そして東雲家は征夷大将軍という地位を利用し、自らが桃源国を支配する正当性を世に知らしめている。


 (だから実質的な力は東雲家が握っていても、形の上では朝廷の家臣という位置づけ)


 よって東雲家はこの先も朝廷とは表立って争う事なく、安定した関係を築く必要がある。


 (だからこそ、皇女様を正妻に迎えたわけだし)


 とは言え、光晴様は心から愛する人を無くしたばかり。政略結婚で嫁いだ貴宮様には悪いが、愛の重さが違う。


 (それにもし伊桜里様がご懐妊されていたのだとしたら)


 光晴様が生きる希望を失い、自暴自棄(じぼうじき)になったとしてもおかしくない。


 (あ、でもそれじゃ困るかも……)


 光晴様は一人の「人」ではあるが、この国を背負う御方(おかた)だ。


 (何とか立ち直って貰わないといけない)


 その事に思い当たった私は、伊桜里様について(ふさ)ぎ込む光晴様の気持ちに同調している場合ではないと顔をあげる。


「わしは公方様のお気持ちを痛いほど理解できる。しかしこの国に安泰(あんたい)をもたらす責任ある者の端くれとして、やはり傷心したから女を抱けぬ、遠ざけるというのでは困るのだ」


 気を改めた途端、赤裸々(せきらら)な言葉が父から飛び出した。

 私はなんとも言えない、居心地の悪さを感じ、正座した足をモゾモゾとさせる。


「しかも「いつお渡りが」と日々苦情のような声が大奥からも、大きくなってきているようだ」

「……そうでしょうね」

「飛んで火に入る夏の虫。癇癪(かんしゃく)を起こした女の所へなど、わしもわざわざ足を運びたくはない。その気持はわかる」

「…………」

「つまりこのままでは、公方様も寄り付かんということだ。今や大奥は阿修羅(あしゅら)の住む場所。光晴様にとって心休まる場所として、もはや機能しておらぬという事だ」


 (阿修羅って……父上それは言いすぎでは?でもまぁ、あながち間違ってはないか)


 私はなるべくしてなったと、大奥の状況を驚くことなく受け入れる。そもそも光晴様なりの事情があれど、それはそれ。


 (大奥側からしたら、早くお世継ぎをという世間の声に応えようとしているだけ)


 となると、大奥側から苦情が殺到するのは当たり前。そして、そうなってしまった原因は、隔離した場所に押し込めておきながら、放置していた光晴様側にある。


「残念ながら女子(おなご)の気持ちはわしら男には理解し難いものがある」


 父はそこでふぅと大きくため息をついた。


「よって、お前には大奥で起こる問題の解決にあたって欲しい」

「それは無理です」


 私は即答する。


「くノ一連では上手く立ち回っているではないか」

「それはあそこでは誰か一人の寵愛を競ったりしていないからです」

「しかし、お前は服部家の娘として、皆をよくまとめ上げていると聞く」

「そんなの、みんなが気を遣ってくれているからです」


 (私を哀れに思って)


 一番言いたい気持ちを飲み込み、私はめげずに無理だと視線で父に訴えた。


「しかし他には適切な者がおらん」

「くノ一としての実力、そして人生経験の豊富さで見れば、姉様達の方が適任かと」


 私は先輩くノ一を脳裏に浮かべながら、父に推薦するに相応しい人物の選定に入る。


「大奥では秘密保持が原則だ。それに万が一お手つきにでもなってしまえば一生|奉公となる」

「それは」


 お手つきという件はさておき、一生奉公という言葉の重みを噛み締め、私は口を固く結ぶ。

 確かに誰かに「どうぞ」と誰かに譲れる仕事ではなさそうだ。


「つまり、一度入れば、二度と堀の外に出てこれぬ可能性がある。勿論お手付きにならねば、三年の節目ごとに宿下(やどさが)りはできるだろう。しかしおいそれと市中に出る事は叶わぬ事となる」


 一気に言葉を吐き出した父は、疲労感たっぷり。ピンと張った糸を切るように肩を落とした。


「私はお前を我が子として案じ、あの場に派遣することに対し未だ悩む気持ちを抱えている。お前はまだ十七だからな。未来が決まるには早い歳だ」


 父が私に向ける表情が、家族に向ける慈悲あるものとなる。


「大奥で万が一、光晴様の目に留まるような事があれば、お前は今より多くの自由を失うことになる。それこそ籠の中に閉じ込められた(うぐいす)のようにな」

「任務で出向くのであれば、流石にお手つきになる事はないと思うのですが」


 先程からあり得ない事を口走る父を私は牽制(けんせい)する。そして話を本筋に戻そうと、こちらから質問を投げかける事にした。


「そもそも今回の任を命じたのはどなたなのですか?」

「上からだ。とにかく断れぬ筋から信頼のおけるくノ一を大奥に派遣せよと御達しがあったのじゃ。信頼のおけるという点でも私はお前しかいないと思っている。思ってはいるのだが」


 父は悲嘆にくれた表情で腕組みをし、固く目を閉じてしまった。


 (大奥かぁ)


 確かに私は表立って生きてきてはいないが、旗本(はたもと)の娘ではある。さらに幼少期より伊賀者に混じり鍛錬を積み、くノ一連に所属する忍び者でもある。


 (だからその辺の()とは違い、打たれ強さはあるよなぁ)


 その上、くノ一という職業柄、組織の人間以外に情報を漏らしたりはしない。というのも、伊桜里様亡き後、私には伊賀者以外の知り合いがいないからだ。


 だから願わずとも、私の口は堅い。


 (なるほど、私が適任だと思う父上の気持ちもわからなくはないかも)


 自らを取り巻く事情を思い起こし、やはり私が行くしかないと腹をくくる。


「私は娘であるお前に対し人並に、一人の女として、幸せな余生を過ごしてほしいと願ってもいる」


 いつの間にかこちらをしっかりと見つめていたらしい父の、突然の告白に私は戸惑い固まる。


 父から愛されていないとは思わないが、それは「平等に」ではないと思っているからだ。


 私は父の関心ごとは確実に兄二人に向けられているという事実を肌で感じ生きている。

 けれどそれは仕方のないことだ。家督(かとく)を継げず、労働力として劣る女である私に父が気を配る必要はないから。


 なんなら愛する妻を殺した憎き娘として、父から恨まれても仕方がないとすら覚悟して生きている。


 父も同じ思いを心の奥底に抱えているはずだと思っていた。だから突然私を慮る(おもんぱかる)ような言葉を発した父の意図がわからない。


 (不気味なんだけど)


 私は警戒し、全身に力が籠もる。


「親の欲目を抜きにしても、お前は器量よしだ。現に伊賀同心の中でお前に求婚したいと願い出ようとしている者もいると聞く」

「まさか、私ごときに」


 自嘲気味に口元を緩め、あり得ないと私は小さく首を振る。


「自分を見くびるな。良くも悪くも己を客観的に評価せねば、見誤ることもある。それにより足元を救われ、命を落とすこともあるのだぞ」

「……承知しております」


 父の剣幕に押されたものの、ふと思いつく。


「でしたら父上から公方様に対し、私が双子であること。それを事前に申し付けていただければ良いかと」


 世間一般に忌み嫌われる双子の片割れ。それを知れば、もし私が光晴様にとって何かの間違い、例えば目の障害などにより絶世の美女に映ってしまったとしても、流石に手を出そうなどと思うはずはない。


「もちろん、告げておくし、わしの娘に手をだすなとも、遠回しに釘を刺しておくつもりだ」

「ならば何も父上が心配することなど」

「男女の惚れた腫れた。そういう色恋の気持ちは理性でどうにかなるものではないからな。私はお前が心配なのだ」


 厳格なる父の口から「色恋」などという言葉が飛び出した。


 しかも男女のだ。そもそも大奥とは将軍のために集められた女ばかりの場所である。よって色恋に絡むのは、光晴様のみ。だけど私は世間から忌み子として弾かれた双子の片割れだ。


 だから天下の将軍様と色恋だなんて、間違っても有り得ない。


 そんな事もわからなくなっているとは。


 (これは緊急事態と言えるかも)


 私は軽く混乱し、これは夢ではないかと思わず頬をつねったのであった。

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