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五十の巻 大奥よ、さようなら

 貴宮(たかのみや)様から伊桜里(いおり)様の書簡(しょかん)を預かり、しっとりとしたお別れをした私は、長局(ながつぼね)御広敷(おひろしき)の間にある(なな)(くち)に向かった。ここは奥女中が宿下がりなどをする時に使う通用口だ。


 既に七つ口の門の向こう。御広敷側には私を迎えに来たらしき正輝(まさき)が偉そうに腕組みをして立っていた。


 今日の正輝は薄く藍染めをした服部(はっとり)家の紋入りの、肩衣半袴(かたぎぬはんばかま)姿であって、女装はしていない。

 そして正輝の横には既に検査を終えたらしき私の荷物を五菜(ごさい)と呼ばれる、雑用などをするために雇われている下男(しもおとこ)が持ってくれていた。


 (おぉ、久しぶりの男性……って(とばり)様も正輝も男性か)


 私は自分の少し大奥慣れしたおかしな感覚に思わすニヤニヤとしてしまう。


「おい、早くしろ。かなり待ったんだぞ」


 門の向こうから不機嫌そうな正輝が、不平のこもった指示を飛ばしてくる。


 (わかってるってば)


 これで大奥の大地に立つのは最後なのだ。


 (ゆっくりお別れくらいさせてよね)


 私はその場で足踏みをし、その感触を下駄(げた)の底に刻みつけた。


 そして気が済んだ所で、大奥側にいる御切手(おきって)と呼ばれる、七つ口の出入りを吟味(ぎんみ)する奥女中に「(いとま)届け」を提出する。


「お勤めお疲れ様です。御火乃番(おひのばん)のお琴です」

「あぁ、今日で奉公を終えた子だね。ご苦労さま」


 御切手は広げた和装本(わそうぼん)に指を添え、私の提出した暇届けの内容を精査(せいさ)していた。そして私の提出した書類に不備がない事を確認したのち、納得した様子で顔をあげた。


「いいかい、外に出たら」

「ここでの事は一切他言無用(たごんむよう)、ですよね?」

「……物わかりが良くて助かるよ」


 何度も言われてきた言葉を先に告げると、御切手は苦笑いを返してきた。きっと彼女もこの言葉をうんざりするほど口にしているに違いない。


「では、失礼します」

「ご苦労様」


 門をくぐり抜けようとして、最後にくるりと大奥側を振り返る。


「お世話になりました」


 様々な思いを胸に抱きながら、私は深々(ふかぶか)と頭を下げる。そして今度こそ、七つ口の門をくぐった。


「ご苦労だったな。家まで駕籠(かご)を用意してある」

「え、駕籠?」


 正輝の言葉に驚いて目を丸くすると、呆れたようにため息をつかれた。


「一体どうやって帰るつもりだったんだよ」

「帷様と歩いて帰る約束をしているんだけど」


 最後の最後で手に入れた書簡の事もある。


 (それに貴宮様の想いを代弁(だいべん)しないとだし)


 何としてでも私は帷様と歩いて帰る。

 何故なら、必要に迫られているからだ。


「歩いて帰る?平川門(ひらかわもん)までか?」


 正輝は七つ口から一番近い門の名を疑いもせず口にする。


半蔵門(はんぞうもん)までだけど」


 私がサラリと答えると、今度は正輝が目を丸くした。


「馬鹿言うな。お堀の真逆じゃないか。歩ける訳ないだろ」


 正輝が信じられないとばかりに首を左右に振った。


 (ですよね)


 実は私も「半蔵門まで見送る」と帷様に言われた時、その距離に一抹(いちまつ)の不安を覚えたものだ。しかし、普通の娘ならばともかく、くの一である私は歩けない事もない。


 (それに、まだちゃんとお別れの挨拶してないし)


 ここを離れたら、住む世界が違いすぎて、二度と将軍である帷様に会う機会はないだろう。よって、ここはやはり帷様と半蔵門まで歩いて帰る選択しかない。


「本当に帷様がここから歩くって言ったのか?」

「え、まさか疑ってる?」


 私は心外(しんがい)だと、正輝を見上げ睨みつける。


「すまぬ。またせたな」

「帷様!!」

「帷様!!」


 正輝と私の声が揃う。

 そして私達は慌ててその場で同時に片膝(かたひざ)を付く。


「俺なんぞにかしこまるな。楽にしろ」

「はっ」

「御意」


 正輝と私はそれぞれ短く答えると、素早く立ち上がる。


「お前達は相変わらず、気が合っているようだな」


 帷様が私たち二人を見て笑う。

 私は笑顔を見せる帷様の凛々(りり)しい姿にくらりとした。

 というのも今日の帷様はきちんと(まげ)を結い、大小二本差(だいしょうにほんざし)の刀を腰に差した黒い紋付(もんつき)羽織袴(はおりばかま)姿だったからだ。


 勿論家紋(かもん)は尊き天上人である東雲(しののめ)家を表す……。


 (あれ、あの紋所(もんどころ)って)


 私は帷様の肩口に入った白抜きの家紋を凝視する。


 そこには翼を広げた二羽の(すずめ)が、まるで口づけをしているように向き合っていた。そしてその雀を取り囲むように、地楡(ちゆ)という可憐(かれん)で可愛らしい花が、実る稲穂(いなほ)のように描かれている。


 特徴的なその家紋は「地楡に雀」という実に珍しいものだ。


 (確か大老(たいろう)である柳生(やぎゅう)家の紋所だったような)


 私は記憶を探り、間違いないと確信する。


「琴葉、なに見惚れてるんだよ」


 ペシリと正輝に頭を叩かれる。


「だって、東雲の紋所じゃないから」

「見惚れていた事は認めるんだな」


 ニヤニヤとする正輝。

 実に面倒な私の片割れである。


「あぁ、これか」


 帷様が肩口をつまみ、家紋に視線を落とす。


「今日は非公式だからな。こういう時は柳生家の物を拝借(はいしゃく)する事にしているんだ」


 帷様の背後には大奥で何度か顔を合わせた事のある、黒無地の羽織袴(はおりばかま)を身につけた、近衛(このえ)が二名控えている。


 (つまり御忍びってことか)


 堂々と将軍たる佇まいのまま来られるよりはずっといい。


「大老柳生宗範(むねのり)様は、帷様の教育係だったからな。育ての親のような方らしい」


 正輝が珍しく為になる情報をよこした。

 今の説明に特に疑うべき点もないため、私はすんなり帷様が柳生家の紋をつけている事に納得し頷いた。


「そんな事より、こいつと歩いて半蔵門まで行くって本気ですか?おやめになったほうがいいですよ。だって足が棒になりますよ?」


 正輝が余計な事を帷様に進言する。


「俺の我がままで付き合ってもらう事になったからな。ほら、しっかりと履き慣れた草履(ぞうり)を履いてきた」


 帷様が(はかま)を上げ、正輝に草履を見せる。


「だからって……」

「正輝、お前は駕籠(かご)をつかえばいい」


 帷様がからかうように待たせてある駕籠に視線をチラリと向ける。


「そういう訳にはいきませんよ。琴葉(ことは)だけじゃ心配だし」

「なるほど。お前は兄らしく妹の身を案じているのか」

「違います。帷様の身に何かあった時、こいつだけでは心配だという意味です」


 大真面目な顔をして正輝が答える。


 (正輝に言われたくないんだけど)


 ブスッとした顔を正輝に向ける。


「そっちか。ならば問題はない、敷地内を歩くだけだ」

「いや、半蔵門は遠いです」

「ではお前は駕籠に」

「嫌ですよ」


 会話が堂々巡りを始めた。


「日が暮れてしまいます。行きましょう、帷様」


 私は梅林坂(ばいりんざか)に向かって歩き出したのであった。


 ***



 服部家の家紋が入る、立派な駕籠があるというのに、それに乗らずに、駕籠を引き連れて歩くという摩訶不思議(まかふしぎ)な現象の中。


 私は帷様と正輝と並んで歩く。


「なるほど。大体わかった」


 私が手渡した伊桜里様の書簡を歩きながら読み終えた帷様は、そんな感想を漏らした。帷様の表情を横目で確かめるも、特段いつもと変わった点もなく、何を思っているのかは謎だ。


「最後の最後で見つかって良かったです」

「そうだな」

「帷様はこれからどうするのですか?」

「どうとは?」


 私は返答にどう答えるべきか迷う。

 本当は大奥に出向く気になったのかどうか。ズバリそれを聞きたい気持ちがある。


 何故ならそれを(たず)ね、帷様から良い返事が返ってきた時。当初の目的である「書簡を発見し、公方(くぼう)様の気持ちにケリをつけさせる。そして願わくは、大奥に出向いてもらう事」という任務が私の中で正式な形として完了するからだ。


 けれど、流石に聞きにくい。

 それにさっぱりとした顔で「大奥に行く」と告げられるのも、何だかあまりいい気分がしない。


 勿論、この国の未来を思えば、帷様が大奥に行った方がいいのだが、何故か心がそれを拒絶している。


 悶々(もんもん)とする中、私の言葉を待つ帷様が(しび)れを切らす前に、とりあえず言葉を(つむ)いで見る事にした。


「今すぐは無理かと思いますが、そのうちでいいので、以前のように大奥に足をお運びになれそうですか?」


 悩んだわりに、直球で尋ねてしまった。


「ああ、そのことか。そうだな……」


 帷様は言葉に詰まった様子で、無言になってしまう。


「おい琴葉。それは配慮に欠ける質問だ。(つつし)め」

「うん」


 今回ばかりは正輝の言う通りだと思った。


「出しゃばった質問をしてしまい、申し訳ございませんでした」


 帷様に即座に謝っておく。

 私にはまだ貴宮様の想いを伝えるという重要な任務が残されている。よってここで険悪な空気になるのはまずい。


 (というわけで、今度は貴宮様の事をどうお伝えするかだけど)


 この件は出来れば隠密にお伝えしたいところ。


 となると、近衛二名はともかく、お邪魔虫一名をどうするか。正輝の気を逸らす作戦は何かないかと、思考を巡らせる。


「そうだ」


 正輝が声をあげた。

 もしや勝手に自分から離脱してくれるのではないかと、期待のこもった視線を向ける。


美麗(みれい)の身元引受人を調べる過程でわかった事なのですが、彼女の兄は数ヶ月前の捕物(とりもの)騒ぎに巻き込まれた盗人(ぬすっと)だったようです」


 どうやら私が期待した結果ではなかったようだ。

 しかし美麗様の兄となると、気になるところ。


 私は無言で正輝の言葉を待つ。


「数ヶ月前の捕物だと?」

「帷様が岡島(おかじま)様の身代わりになった、伊賀者(いがもの)達との訓練ですよ」

「訓練って何?」


 思わず正輝に問いかける。


「あー、お前も参加してたんだっけ。兄上の班との訓練だよ」


 記憶を素早く探るものの、覚えていない。


「そんなの参加した記憶ないけど」

「あれ、知らなかったのか?」


 正輝に驚かれたが、私は頷く。


「確か岡島様が東雲家の菩提寺(ぼだいじ)に伊桜里様の代参(だいさん)に向かったはずだ。その時偶然()られた盗人がいただろう?それがなんと、美麗の兄だったらしい」

「え、そうなの?」


 驚きつつ帷様の顔を見上げる。すると、明らかに私から視線をそらし、何だかバツが悪そうな表情になった。


「ご存知だったのですか?」

「俺は……後で知らされた」

「……なるほど」


 妙に歯切れの悪い所が気になるが、今思えば、将軍たる帷様があんな形で外出するのは明らかにおかしい。


「父上が言ってた、命をかけてお守りしろって言うのは、むしろ帷様の事だったのですね」


 今更ながら、私以外の警護も付けず裏路地を無尽(むじん)に走り抜けた事実に青ざめる。


「じゃあ、美麗様の兄は亡くなったってこと?」


 女性から盗んだ風呂敷(ふろしき)を手放し、地面に寝転ぶ男の姿を思い出しながら尋ねる。


「一命は取り留めたらしい。けど、どうやら美麗の兄は山田屋と裏で繋がっていたようで」

「山田屋だと?」

「はい。大奥に出入りする御次(おつぎ)御用(ごよう)商人の山田屋です。何でも美麗は、山田屋を通し、盗品を売り捌いていたようです」

「つまり、山田屋が大奥の盗難騒ぎに絡んでいるという事か?」


 帷様が鋭く目を細める。


「確認したところ、山田屋は盗品とは知らず、買い取っていたとは申しておりましたが」


 遠慮がちに正輝が口にする。


「……知っていただろうな。物がなくなれば新たな物を買わざるを得ない。となれば、自然に山田屋の(ふところ)(うるお)っていく。御次御用と言う制度を利用した悪どい犯行だ。もはや御用商人としての資格を剥奪(はくだつ)するしかないな」


 ピキリと額に青筋を立てた帷様は、吐き捨てるように言った。


 確かに商人ならば誰しもが羨む、大奥への出入りを許され、いわば専売特許(せんばいとっきょ)のような形となる山田屋は、美麗様と手を組む事で大儲け出来ただろう。


 (何なら自分で売った物を回収できるわけだし)


 全く商魂(たくま)しいにも程がある、悪どいやり口だ。

 しかも、普段から山田屋が売る物の値段は、かなりの色がつけられ、外で買うより割高となっている。それは顧客となる奥女中達が大奥から出られないのを逆手に取り、足元を見た商売をしている証拠である。


「山田屋は私利私欲(しりしよく)にまみれた商人だったということですね」


 私も帷様の怒りに同調する。


「まさかこんな大捕物(おおとりもの)になるとは、そんな感じですよね」


 正輝が大きくため息をつく。きっと仕事が増えた事に対する愚痴のようなため息だろうと理解する。


 そして新たな事実について、それぞれが後味の悪さを感じているのか、しばし無言の時が流れる中。


 (……貴宮様の件、お伝えしなくちゃ)


 何だかんだと歩みを進めていたせいで、既に半蔵門まで半分という所まで来てしまった。


 私はゆっくりと過ぎ去る景色を目に映しつつ焦る。


「帷様、あの、実は貴宮様からご伝言を(うけたまわ)っております」


 脳裏に貴宮様との事で、帷様を不機嫌にさせてしまった事件を思い出しつつ怯える気持ちを抱く。しかし意を決して、告げた。


「何だ、言ってみろ」

「それが、個人的な事なので」


 私はこれ見よがしに、正輝に邪魔者は消えろという視線を送る。


「あー、そういう事。わかった。俺は背後で控えておく。では失礼します」


 察し良く正輝が歩みをゆるめ、帷様と私が横並びする列から離れる。


 (正輝もやればできるじゃない)


 思いの外手こずらず、人払い出来た事に私は安堵したのであった。

お読みいただきありがとうございました。


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