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四十六の巻 私の名前は

お読み頂きありがとうございます。バレンタインデーですね!

 大奥で過ごす、最後の夜。


 明日着ていく着物を確認し、(そろ)えて出しておく。そして、お世話になった長局の(ながつぼね)掃除をし、荷物をまとめた。


 一通り帰宅用意を終えた私は、いつものように食器を入れた木箱の(ふた)を裏返し、(とばり)様と私、それぞれの箱膳(はこぜん))を向かい合わせ、久しぶりに揃って夕餉(ゆうげ)をとっている所だ。


 因みに帷様は既にお風呂に入ったのか、浴衣(ゆかた)半纏(はんてん)姿で石鹸(せっけん)の良い香りを全身から漂わせている。


 (この香りともおさらばか)


 何となく寂しい気持ちに包まれる。


 思い返せば美麗(みれい)様が捕まってから、二日間ほど。私は帷様と事件の事について話を交わす事はなかった。

 何となく、美麗様が私達に落とした爆弾に触れてはいけない。そんな気がしたし、何より帷様は事後処理に追われているのか、大奥に姿を表さなかったからだ。


 (だから最後に御飯をご一緒出来て良かった)


 本当は将軍である帷様と共に食事する。さらに言えば、並べた料理が私の手作りだなんて、非常におこがましい事だと流石の私も理解している。


 (だけど今日は最後だから)


 大奥での最後の思い出として、私はこの状況を甘んじて受け入れている。


「今日はれんこんのきんぴらか」


 どこか塞ぎ込んでいるように見えた、帷様の声が少しだけ明るいものとなる。


「はい。れんこんらしい見た目を取るか、シャキシャキの歯ごたえを取るかで迷ったのですが」

「縦に切ってあるということは、食感を取ったのだな」

「ご明瞭(めいりょう)です」

「そういえば、お前のきんぴらもこれで最後か」


 帷様が皿にこんもりと乗せられたきんぴらに向かって、実に切なそうな声を出す。


 (本当はまた作りますよって言いたいけど)


 出来ない約束は口にすべきではない。


「うまいな」


 口に入れたきんぴらを味わうように噛んだあと、帷様はいつもの台詞を口にする。私はそんな帷様の「うまい」の言葉に頬を緩める。それからいつも通り、帷様用に握った、少し大きなおにぎりの乗った皿を手渡す。


「お前の作った握りもうまい。一体何故だろうな」


 今度はお皿に乗せられたおにぎりに熱い視線を送る帷様。


「お()め頂きありがとうございます」


 私はくすくすと笑いながら、帷様が「うまい」と褒めてくれるおにぎりに隠された謎を明かそうと口を開く。


「おにぎりって実はとっても奥が深いんです」

「そうなのか?」


 意外だといった感じで帷様の眉が上がる。


「はい。こだわる人はお米の種類から、お米を研ぐ時間。それから海苔の種類にも目を向けるそうです」

「では、お前のこれはこだわり抜いたというわけか」


 帷様が私のおにぎりを見て、目を細める。まるで芸術品を愛でるかのような態度に、私は思わず頬を緩める。


「いいえ、私はただ、ごはんを潰さないように、握るというよりは形を整えるようにすること。それを心がけているだけです」

「なるほど。だから米粒一つ一つがふわりとしているのか。うまいんだよな、お前の握りは」


 まるでお腹を空かせた子どものように、無邪気で嬉しそうな表情を浮かべながら、おにぎりを口に運ぶ帷様。その姿を見て、またもや自然に笑みがこぼれてしまう。


「本当にうまい」


 一口(かじ)り、しみじみとした声を出す帷様に、私は照れ隠しのため、わざとらしく咳払いをする。


「ところで帷様」

「なんだ?」

「明日のご予定はどうなっているんですか? あ、もちろんお忙しいとは存じ上げております」


 明日は朝早くから挨拶回りをしたのち、私は大奥を後にする。


 (だから出来たら、最後にご挨拶をしたいなと思ったけど)


 帷様は連日立て込んでいるようなので、もし明日会えないようであれば、今日ちゃんとお礼をしておこうと思ったのだ。


「明日は……そうか」


 (あご)に手を当て、考え込むような仕草を見せる帷様。


 (やっぱり、まだ仕事が残っているんだろうな)


 美麗様の沙汰(さた)を私は知らされていない。それはまだ、取り調べが続いているからだろう。


「無理なら全然大丈夫です。むしろお忙しいこんな時に、ご予定なんてわからないですよね」

「いや、お前は明日、ここを出て行くのだろう?」

「はい」


 覚えていてくれた事に少し安心する。


「勿論、ちゃんとお前を屋敷まで見送るつもりでいるから、安心しろ」

「え」


 私は驚きのあまり間抜けな顔で固まる。


「おい、そんなに驚く事か?」

「あ、公方様が外出されるとなると、かなり大掛かりになってしまわれるのではと、そう思いまして」


 猫の額ほどもない部屋で箱膳を囲んでいると、ついつい忘れがちだが、帷様は将軍様だ。


 その御身(おんみ)は誰よりも尊いもの。よって、帷様が外出するとなると町方(まちかた)は、多くの制約を受ける事になる。

 例えば将軍の通り道は掃除をし、通り道にあたる家々は戸を閉めるだとか、商店は営業中止にしなければならない、などなど。流石に私ごときを見送るだけで、町の人にそんな迷惑をかけるわけにはいかない。


 (というか、そもそもお見送りをして頂くなんて、(おそ)れ多いし)


 私は帷様が大奥に潜入捜査するに当たり、都合が良いと選ばれた相方だ。


 (公方様と仕えるくノ一)


 私と帷様の関係は、それだけだ。


「……そうだな。確かに屋敷までの見送りは無理かも知れないが、半蔵門(はんぞうもん)までならば」

「半蔵門、ですか」


 私は畏れ多いと思いつつ、思わず頬を緩めてしまう。すると帷様はそんな私の顔をみて、なぜか少し恥ずかしげに頬を染めた。


「半蔵門はある意味お前の屋敷とも言える。だからそれで許せ」

「確かにそうですね」


 私の実家となる服部(はっとり)家は、江戸城の西側にある、ひときわ深い堀と立派な門の前に構えた、大きな屋敷だ。


 大きなというのは、与力(よりき)三十()に、伊賀(いが)同心(どうしん)二百名といった大所帯が、西側の門を固めるように組屋敷(くみやしき)を構えているから。そんな我が家を発端(ほったん)に、四谷へと続く道沿いには江戸城を守る形で、旗本屋敷(はたもとやしき)がずらりと並んで建てられている。

 そしてたった今、帷様が見送りをしてくれると口にした半蔵門と言うのは、旗本屋敷が並ぶ場所に出る門のこと。因みに半蔵門の半蔵とは、我が服部家当主が代々受け継ぐ名である、服部(はっとり)半蔵(はんぞう)から取ったものだ。


 つまり帷様は果てしなく私の実家に近い場所まで、見送りすると提案してくれているのである。


 (正直、お気持ちは嬉しいけど)


「半蔵門までのお見送り」に浮かれる私の心に冷静な風が吹き込む。


「帷様。お見送りは大丈夫です」

「不服と申すのか?」


 ご機嫌だった帷様の眉が僅かに歪む。


「いえ、私のような者にそこまでして頂くのは、申し訳ないと思いまして」


 私は(はし)を置き、向かいに座る帷様をしっかりと見つめる。


「私はここを出れば、住民を把握(はあく)する一切の書類。宗門人別(しゅうもんじんべつ)改帳(あらためちょう)、それから過去帳(かこちょう)分限帳(ぶんげんちょう)にも一切記載される事のない、忍び者となります。ですから、公方(くぼう)様におかれましては、服部家に義理立てて頂かなくとも平気なのです」


 (そもそも、身分不詳(ふしょう)の私は都合が良いから選ばれただけ)


 菩提寺(ぼだいじ)、当主名、家族構成や続柄、それぞれの年齢などが記載され代官所に提出される宗門人別改帳にも、寺が管理する過去帳にも、藩が作成する分限帳にも。


 (私の名前はどこにも記載されていない)


 そんな厳しめの現実を思い出し、(うつむ)き唇を噛む。


 帷様は気分を害したのか、無言になってしまった。


 (やっちゃった……折角帷様と過ごせる最後の夜なのに)


 私はこんな時ばかり、融通(ゆうずう)の利かない自分の生真面目さが嫌になる。


 大奥で、まるで夫婦のように過ごした体験は私にとってかけがえのないものだ。例えそれがおままごとのような、(はた)から見たら子どもの遊びのように見えても、一生誰かと添い遂げる事が出来ない私にとっては、そのおままごとでさえ、大事な思い出だ。


 それなのに、最後に帷様の気分を害し、楽しく笑顔で食事が出来ていない。全ては融通の利かない私が招いた結果だ。


 反省するも今更で、居心地の悪い、重苦しい沈黙が続く。


服部(はっとり)琴葉(ことは)


 突然名を呼ばれ、私は反射的に顔をあげる。すると帷様の美しく澄んだ瞳と目が合った。


「それは琴の()に葉が舞う。そんな心揺さぶる情景(じょうけい)を切り取った、この世に名の一切残らぬ、お前の美しい名だ」


 帷様は何処か熱っぽくも真剣な表情で、私の滅多に呼ばれない名を口にした。


「その美しい名が後世に残る事はない世を、俺は今猛烈(もうれつ)に憎む気持ちに襲われている」


 私は息を飲み、黙って帷様の言葉を待つ。


「だからこそ、俺だけはその名を覚えておきたい。表に出ることがなくとも、誰に知られる事がなくとも服部琴葉。その名を俺はきちんと胸に刻み、生きよう」


 帷様の口から(つむ)ぎ出された言葉は、まるで愛の言葉かと感じてしまうほど、私にはとても甘く感じられた。


 (きっと、帷様は私の名前を忘れないでいてくれる)


 私は確信する。そして私もまた、そんな風に言ってくれる帷様の事は決して忘れる事がないだろうと思った。


 私は嬉しさと感動と、それからよくわからない温かい想いが溢れ、目頭がじわりと熱くなる。すると帷様は慌てた様子で膝立ちになった。そのせいで帷様の膝が箱膳に当たり、ガタンと大きな音を立てる。その衝撃で今度はお椀に入った味噌汁が大きく波打ち(ぜん)の上にこぼれた。その味噌汁の波を見て、私の目からも何故かポロポロと涙が溢れ出す。


「おい、泣くな」

「泣いてません」


 私はそう言いながらも顔を隠し、慌てて袖口で涙を拭う。そして膝立ちになると、帷様の箱膳の上にこぼれてしまった味噌汁をふきんで拭う。


「服部琴葉。お、お前は自分が思っている以上に魅力的な女だと思うし、お前をその、密かに応援している者だっているはずだ」

「はい」


 帷様は懸命に落ち込む私を励まそうとしてくれた。だから私は素直に返事をする。


「だから、あまり自分を卑下(ひげ)するものではない」

「ありがとうございます」


 私は泣きながら笑う。


「それに、俺は別に義理立てをしているわけではない」


 帷様はムスッとした顔で座り直す。


「父への義理立てではないとすると、どうしてお見送りなんてなさろうと思ったのですか?」


 味噌汁を無事拭き終わった私は、改めて腰を下ろしながらたずねる。


「俺がただそうしたいと思ったからだ。お前はどうかわからんが、俺は意外にこの生活が名残惜しいと感じている。だからだ」


 まるで怒っているように、ぶっきらぼうに言い放つ帷様。


「……それは私も同じです」


 帷様が本音を漏らしてくれたので、私もちゃんと本音で返す。そしてまたもや溢れ出た涙を手で拭うと、今度はちゃんと笑顔も向ける。


「なら、これで決まりだ。明日は半蔵門まで、お前を見送る」

「でも」

「もう決めたことだ」


 帷様は私の言葉を遮るようにして言った。流石にこれ以上グチグチゴネれば、今度こそ本当に帷様を怒らせてしまうだろう。


 私は明るくお別れをしたい。


 (だって二度会えないだろうから)


「明日は、半蔵門までよろしくお願い致します」


 観念した私は頭を下げ、再び笑顔で顔を上げたのであった。

お読み頂きありがとうございます。

バレンタインデーですね!


読者の皆様に感謝の気持ちを込め込めで、一日をお送りしたいと思います。


残り十一話となります。

よろしくお願いします。

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