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四十の巻 嘘をめくれ

 現在、(つた)()では一人の男性を巡る、女同士の戦い。その幕が切って落とされたばかりという、とても緊迫した状況だ。


「ここの生活はどうだ、不自由ないか」


 (とばり)様が目の前に座った私に尋ねる。

 因みにこの場所は、美麗(みれい)様が先程まで陣取っていた特等席だ。


「はい。皆様とても良くして下さります」


 笑顔で答えつつ、私は新たに用意された徳利(とっくり)で、帷様が手にしたお猪口(ちょこ)にコポコポと酒を注ぐ。


「それは良かった。何か困った事があれば、すぐに私に言うがいい」


 帷様が台本通り、私に優しく微笑む。


「でしたら、一つほど」


 私はねだるように帷様を見つめる。


「構わん、言ってみろ」


 帷様がお猪口を口に運ぶ手を止め、問いかけた。


「実は、先程このようなものを拾いまして」


 私は(たもと)から、手毬(てまり)を模した根付(ねずけ)を取り出す。


「どなたのかご存知ですか?あまりに素敵なので、落とされた持ち主もきっと、探してらっしゃるかと」


 指先でつまんだ根付を帷様に見せるついでにと言った感じ。わざとらしく美麗様にも見せつけた。


「ヒッ」


 美麗様から息をのむ声が聞こえた。


 (そりゃそうよね。あなたの物なんだから)


 私が(つま)んでいる小さな根付は、宇治(うじ)の間で息絶えた状態で発見された、お(なつ)さんが右手にしっかりと握っていたものだ。検使(けんし)が厳重に保管していた物を、今日この時のためにお借りしたのである。


「美麗様、どうかされましたか?」


 私は心配するふりをして、美麗様に近寄る。


「いえ……何でもありませんわ」


 扇子(せんす)を広げ顔を半分隠しながら、美麗様が答えた。


「ふーん、本当に?」

「えぇ、本当ですとも!」


 美麗様が鋭い目つきで(にら)んでくる。


「ではこの根付に美麗様は見覚えはないと」


 私はあえて、挑発するように言った。


「知りません!!」


 美麗様はピシャリと言い放つ。


「そうですか。これほどに美しい物ですから、てっきり美麗様のものだと思ったのですが。違うのですね?」


 私はしつこく確認する。


「違いますわ」


 美麗様は私を(にら)みつけながら、はっきりと否定する。


「いおり、お主はどこでそれを拾ったのだ?」


 今まで黙って美麗様と私のやりとりを聞いていた帷様が、美麗様に(えさ)()く準備を開始する。


「それが、宇治の間の前なのです」


 私の言葉に美麗様の目が大きく見開いた。


「宇治の間だと?それはつまり……」


 わざとらしく言葉を切る帷様。


「先日、哀れな御末(おすえ)が亡くなった場所でございます」


 岡島(おかじま)様が冷静な声ですかさず答える。


「ふむ。実にあれは残念な一件だった。しかし一体何故、そのような場所に」


 帷様が(あご)に手を当て、思案する表情になる。


「確かあの日は御広敷(おひろしき)添番(そえばん)達と男ばかりで検分(けんぶん)したように記憶しているのだが」


 帷様が顎を撫でながらわざとらしい声を出す。


「それよりも、何故あなたは宇治の間に無断で行ったのですか」


 岡島様が(とが)めるような声で私に問いかける。まるで本当に叱られているかのような気持ちになり、私はシュンとなる。


「実はお夏さんと面識がありました」


 私は岡島様の横に控える正輝(まさき)に顔を向ける。


「ですから、どうしても花をたむけたいと思い、宇治の間に」


 声を作った正輝が答える。


「そのような勝手な事が許される訳がないでしょう」


 岡島様が怖い顔で私を睨んだ。

 迫真(はくしん)の演技に、思わず怯む。


「申し訳ございません。けれど結局怖くて中に入る事は出来ませんでした」


 正輝の言葉に俯き、私は反省を示すように、根付をジッと見つめる。


 そして……。


「でも、私は見たのです」


 消え入りそうな声で、爆弾を投下する。


「何を見たのだ?」


 帷様が興味深げな顔を作り、続きを促す。


「宇治の間を少しのぞいた時、部屋に置き手紙のような物があったのを」


 私は震える両手で自分の身体を抱き締める。


「置き手紙だと?」

「はい。私は怖くて中に入れませんでした。ですから、公方様にその手紙を取って来て頂きたいのです。きっとお夏様の遺言だと思うから」


 私は言い終えると、しくしくと涙を流して見せた。


「では今すぐ、取りに参ろう」


 お猪口を宗和膳(そうわぜん)の上に置き、腰を浮かしかけた帷様。


「いいえ、なりません」


 美麗様も腰を浮かし、慌てた様子で帷様に声をかける。


「そなたは何故、私を止める」


 美麗様をしっかりと見つめ、帷様が尋ねた。


「宇治の間には不吉な言い伝えがあるからです。それにこのような時間に出歩くなど、公方様の身に何かあっては困ります」


 美麗様が必死になって帷様に訴える。


「不吉な言い伝えか、岡島どう思う?」


 気にする素振りを見せ、一旦腰を落ち着ける帷様。


「確かに明日(あす)になさった方がよろしいかと」

「ならば、明日、宇治の間を再度検分(けんぶん)いたす」

「よろしいかと」


 明らかにホッとした様子の美麗様。

 しかし私達の反撃の狼煙(のろし)は上がったまま。


「そう言えば、そなたの持つ根付を見て思い出したのだが」


 先程置いたお猪口を手にし、帷様がまたもや話題を根付に戻す。


貴宮(たかのみや)が美麗に根付を贈ったと言っていた。大変意匠(いしょう)の凝った物だと聞いたのだが、是非一度、この目で確認してみたいものだな」


 帷様はいい終えると、実に美味しそうな顔で、口に運んだお猪口から酒をクイッと飲み干した。


「そ、それは」


 美麗様の顔色がサッと青ざめる。


「そうだ、折角の機会だ。そなたの根付と、いおりが拾った物。どちらがより優れているか、比べてみるか。持ってこい」


 帷様が残酷な言葉を美麗様に投げる。

 その脇で、私は帷様の手にしたお猪口に酒を注ぐ。


「まぁ!なんて意地悪なお方でしょう。そのような事、できるわけがないではありませんか」


 美麗様はしおらしく泣きそうな表情を作ると、首を横に振った。


「一体何故、意地悪であると申すのだ」

「私は公方様の奥泊まりに合わせ、このような格好です。ですから、外を出歩く訳には参りません」


 美麗様は実に悲しげに訴える。


 (確かにその格好じゃねぇ……)


 私は美麗様の全身に改めて視線を送る。


 入念に化粧をしたであろう美麗様は、白羽二重しろはぶたえの下着の上に、同じく真っ白な綸子りんずの寝巻きを着ている。さらに言えば、髪の毛は軽く櫛巻(くしまき)にしただけ。確かにウロウロと御所内を出歩るける姿ではない事は確かだ。


 (そして、いつもよりずっと、不安感が増しているはず)


 人は身に(まと)う衣装によって、思いのほか気持ちが左右されがちだ。

 お気に入りの着物に身を包めば、気分が良くなるし、帯の色を失敗したなと思った日は、知らず()らずの内に気が落ち込んだりするものだ。

 つまり今の美麗様は、いつも羽織る(きら)びやかな打ち掛けすら身に纏わない、身ぐるみ剥がされた状況。すなわちそれは、本来の自分を(さら)け出した状況に近い。そして自ずと、精神的に(もろ)くなるというわけで。


 (悪いけど、容赦(ようしゃ)しないから)


 私は心で美麗様に宣戦布告を言い渡す。


「そなたが戻らなくとも良い。岡島、お前が手配してくれ」

「かしこまりました」


 見張り番のように部屋の隅にいる岡島様が、両手をついて頭を下げる。


「いいえ、困ります」


 美麗様が慌てたように腰を浮かす。


「困るだと?」


 帷様がすかさず食いつく。

 その様子は、まるで釣り糸から伸び、水面に着水している浮きが、一瞬沈み波紋を広げた。その瞬間を見逃すまいと釣り竿(さお)を引くという勢いだ。


「それは……わ、私の持ち物に触らせたくないので」

「何故だ?」

「さ、最近泥棒騒ぎがありましたので。そう、そう言えば、貴宮様に頂いた根付。それもどうやら盗まれてしまったようなのです」


 美麗様は途端に明るい表情になった。


「なるほど、そういうことか。ならば何故、最初に盗まれたと言わなかったのだ」


 帷様が(たた)み掛けるように問いかける。


「申し訳ございません。久しぶりに公方様とお会いして、緊張していたもので」


 余裕を取り戻したのか、美麗様はいけしゃあしゃあと嘘をつく。


「そうか。しかし、大奥で泥棒が出たとなると、放置しておけぬ。さてどうしたものか」


 帷様はわざとらしく顎に手を当て思案する。

 その姿を眺めながら、私は思う。


 (やっぱり美麗様は一筋縄ではいかない)


 勿論私達も美麗様が「その根付は私のものです」などと、正直に申し出る訳がないと想定している。よって周到(しゅうとう)に準備をして臨んでいるつもりだ。しかしそれらを全て見事に交わされるのではないかと、少々不安になる。


「公方様、でしたら明日、皆の持ち物を改めさせてはいかがでしょう?」


 岡島様が提案する。


「おぉ、それは良い案だな。早速明日――」

「なりませんわ!!」


 美麗様が焦った顔で、力強く否定する。


「どうしてですか?」


 帷様の代わりにあどけなさ全開で私は尋ねる。


「どうしても何も、そんなことをされてはたまりませんわ」


 美麗様は必死になって言い(つくろ)う。


「ふむ。では美麗よ。そなたの根付が盗まれたという証拠はあるのか?」

「ありますとも!」


 美麗様は即答した。しかしすぐに「しまった」といった表情になる。


「ほう、では示してみるが良い」

「それは……」


 美麗様は口籠る。


「何だ?ないのか?そなたは私に嘘を申したというのか?」

「い、いえ」

「では明日までに根付が盗まれたと、そう思う根拠を証明せよ。もしできなかった場合は、美麗の根付を盗んだ者を探し出すために、大奥にいる全ての者に対し、荷物を改めさせるとする」


 帷様が厳しい顔で言い放つ。


「そ、それは無理です。だ、だってお夏が、そう。お夏が盗んだのです。あの娘は手癖が悪いと有名です。岡島様もご存知でしょう?」


 美麗様はまたもやひらめいたとばかり、つらつらと早口で自分の無実を主張する。


 先程話題にした、幽霊騒ぎの伊桜里様に続き、お夏様までもを自分の言いように利用している。


 (許せない)


 私は思わず膝に置いた拳を握った。


「岡島、お夏という者の手癖が悪いというのは本当なのか?」

「はい、大変申し訳にくい事ですが、間違いございません」

「なるほど。それならば美麗が潔白である可能性が高いということか」

「ありがとうございます」


 美麗様はほっとした表情を浮かべる。


「そうか、盗まれたのか」

「はい。きっとあの女狐(めぎつね)は、貴宮様から頂いた私の根付を盗み、売り払って金にしようとしたのですわ」


 美麗様は悪びれもなく言ってのける。


「だが、私は納得できぬな」


 帷様がすかさず切り返す。

 その言葉に美麗様はピクリと肩をあげる。


「お夏という者は、先日亡くなった者であろう。死人に口なしだ。ならば何とでも言える。現にそなたは先程、伊桜里にお世継ぎを頼むと託されたなどと申していたが、私はそうは思わぬ。何故ならば、お前は伊桜里を(ねた)み、嫌がらせをしていたそうじゃないか」


 帷様は真っ直ぐに美麗様を見据えた。


「……っ!……何を仰います。そんな事ありません」

「ほう、そうか。何故ないと言い切れる」

「そ、それは」

東雲(しののめ)家が代々将軍として君臨(くんりん)する。それは何故だと思う?」


 ノリに乗った帷様がニヤリと口元を歪ませ、芝居に拍車がかかった。


「それはな、嘘を嘘と見抜いてきたからだ」


 身にまとう嘘の衣を剥ぎ取らんと、帷様は容赦ない視線で美麗様を射抜く。


「わ、私は嘘など」

「では、再度問う。その根付はお前が無くした物ではないのか?」


 帷様の瞳が獲物を追い詰めるような、そんな厳しさを増した物になる。


 (流石にあの、鋭い視線からは逃げられない)


 将軍たる風格と、人を従わせる威厳に満ちた瞳を前にして、私は固唾(かたず)を飲む。


「……盗まれた物でございます」


 長い沈黙の後、美麗様は観念する事なく、またもや嘘をつき通す。


「本当なのだな?」


 帷様は念押しをする。


「はい。その通りでございます」

「……ならばお前を信じよう」

「ありがとうございます」


 ホッとしたのか、美麗様が美しい完璧な笑みをたたえ、深々と頭を下げる。


 (だけどあなたは私達の張った蜘蛛の巣に捕らわれている蝶だから)


 私は内心ほくそえむ。


「では明日、荷物を改めさせてもらう。美麗、お前は下がれ」

「お待ちください!」


 美麗様が慌てて帷様に食い下がる。


「まだ何か?」

「そ、それはあまりにも横暴(おうぼう)です。そんな事をされれば、皆が困りますわ」

「あまりにも横暴とは?」

「皆の荷物を調べること。それと私を(いとま)しようとなさっている事です」


 美麗様は焦りと怒りが混ざったような表情で主張する。


「ほぅ、ではどうしろと言うのだ?」

「それは……」


 美麗様は口(ごも)る。


「はっきり言わねば分からんぞ?」


 帷様が不敵な笑みを浮かべる。


「……」


 美麗様は悔しそうな顔をし、唇を噛んだ。


「美麗よ、私は(きょう)が削がれたと言っている。そなたは私の言う事が聞けぬと言うのか?」


 苛々とした様子で帷様が大きな声を出す。

 流石にこれには美麗様も怯えた表情になる。


「そ、そういうわけでは……」


 美麗様は言葉を詰まらせ俯く。


「ならばさっさと部屋に戻り、大人しくしておれ」

「はい……」


 力無く返事をし、美麗様はすごすごと立ち上がる。

 そして私をきっちり睨みつけると肩を落とし、退室していったのであった。

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