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三十九の巻 かの者は何と申す?

 念入りに打ち合わせをした美麗(みれい)様を凝らしめる作戦は、暮六(くれむ)(どき)に戦いの火蓋(ひぶた)が切られた。


公方(くぼう)様のおなーりぃー」

「公方様のおなーりぃー」


 御鈴番所(おすすばんしょ)で引き鳴らす御鈴(おすず)を合図に、御錠口(おじょうぐち)衆である七人の男衆があげる大きな声が御殿(ごてん)に響き渡る。


 ちりん、ちりんと御殿に響く、光晴様のお渡りを知らせる鈴の音。その音色を耳にする私は思う。


 (なんか神社にある本坪鈴(ほんつぼすず)を思い出す音だなぁ)


 拝殿(はいでん)の前に吊り下げてある鈴を脳裏に浮かべ、心が自然と洗われる気分になる。そして着流(きなが)し姿に脇差(わきさし)だけを腰に差した、前を歩く(とばり)様の背中をしっかりと見つめて歩く。


 御鈴廊下(おすずろうか)の両側にはひれ伏す奥女中達。多くの女中達に見送られながら、御座(ござ)()へと向かう帷様は、いつも以上にシャンと背筋(せすじ)を伸ばし、美しいすり足で廊下を進む。その姿は背後から見ても、威厳に満ち溢れているものであった。


 帷様の後ろ姿に見惚れていたせいか、私は着物の(すそ)に足を取られ転びそうになる。


「背筋を伸ばしなさい」


 隣を歩く岡島(おかじま)様にキッと睨まれる。私はその鋭い眼差しに怯えながら、言われた通り、ピンと背筋を伸ばし帷様の背後をゆっくりと歩む。


「本当にうまくいくのかしら」


 岡島様が小声で誰ともなく呟く。


「大丈夫ですよ、それと今回はご協力くださりありがとうございます」

伊桜里(いおり)様のためですから」


 岡島様はすげなく返す。


 帷様と考えた作戦。それを実行するために、どうしても岡島様には知らせておく必要があった。だから今回岡島様は私達の仲間だ。

 正直私は岡島様という人物を良く知らない。だから仲間に入れるのに躊躇(ちゅうちょ)する気持ちがあった。何故なら私の中で、岡島様は一体誰の味方なのかわからなかったからだ。けれど、今の言葉からわかるように、少なくとも伊桜里様の敵ではないようだ。


 (それに帷様が「岡島は大丈夫だ」と言い切っていたし)


 多分今回の件に関しては、私達の味方となってくれるのだろう。


「もうすぐ到着しますよ」


 岡島様の言葉で、私は顔を引き締める。そして目指す場所、美麗様が待つ御小座敷(おこざしき)へ向かい足を進めるのであった。


 ***


 将軍の寝所(しんじょ)となる御小座敷。その部屋には隣接して将軍が就寝前(しゅうしんまえ)にくつろぐための二間(ふたま)が用意されている。それが「(つた)()」と「御次(おつぎ)の間」だ。


 通常、将軍が奥泊(おくど)まりをする場合、すぐに(とこ)に入る事は滅多にないそうだ。

 まず蔦の間でしばし御年寄(おとしより)御中臈(おちゅうろう)たちと酒を飲み、楽しむらしい。


 (これもまた、狩野派(かのうは)のものなのかな)


 私は視線を泳がせ、(ふすま)に描かれた素晴らしい作品を盗み見る。


 まるで頭に菊の模様を乗せたように見える事から「キクイタダキ」と呼ばれる小鳥。

 襖に(えが)かれているのは全部で十羽ほど。その可愛らしい十羽が舞う横には、竹やぶと共に襖を彩る紅葉と(つた)の葉が、まるで本物のように緻密に描かれていた。


 竹やぶの間を飛ぶ、小さなキクイタダキについつい目を細め、どこか穏やかで優しい気分になれる。蔦の間は、安らぎを与えるような、そんな落ち着いた雰囲気のする座敷だった。


 (ま、寝る前に虎とか龍とかで、荒ぶるってのも違う気がするし)


 キクイタダキのような、可愛い小鳥くらいが丁度いいのだろう。


 現在帷様は慣例(かんれい)に伴い、蔦の間にて晩酌(ばんしゃく)を楽しんでいる。

 付き添いは、今夜奥泊まりのお相手として指名された美麗様。それから御年寄である岡島様、そしておまけと言った感じで岡島様付きの部屋子(へやこ)(ふん)する、私と女装した正輝である。


 因みに部屋子とは、上級奥女中が私的に雇う部屋方(へやかた)の一人だ。周囲から「お嬢様」と呼ばれる部屋子は将来の御次(おつぎ)御中臈(おちゅうろう)候補らしい。


 よって部屋方の中でも女中と言うよりは、行儀見習いで預けられた、いいところのお姫様という位置づけのようだ。


 (それらしく見えてるといいんだけど)


 私はいかにも余所行(よそい)きといった感じ。

 久しぶりに袖を通す、梅鼠(うめねず)色の可憐(かれん)な着物に負けないよう、しっかりと忍びの鍛錬で手にした、上品な微笑(ほほえ)みを(たずさ)えておく。


御前(おんまえ)を失礼いたします」


 配膳係から受け取った宗和膳そうわぜんを正輝が帷様の前に置く。

 私は置かれた膳の上に、湯豆腐と薬味、それから脂の乗った寒ブリの煮付け、まぐろの刺身に蒲鉾(かまぼこ)などなど。所狭しと料理を並べ、晩酌の準備を整える。


 (どれも美味しそう)


 若干冷めてしまっているのが気になるが、彩りも考えられた酒の(さかな)はどれも目を喜ばす逸品ばかり。許されるなら私もつまんでみたいと願ってしまう。


 そんなこんなで一通り晩酌の準備を整えた私は、岡島様に促され部屋の隅に座る。

 そこで今度は正輝と私は並んで三味線(しゃみせん)の演奏準備に取り掛かる。


「久しいな」


 上座に付きくつろいだ様子の帷様が美麗様に声をかける。


 すると待ってましたとばかり。


 白い寝間着姿の美麗様が、帷様の横にピタリと張り付いた。勿論たわわな胸が帷様の腕にしっかりと当たっている。


 (わざとか)


 使える武器は惜しみなく使ってこそ価値がある。とは言え、何となく見ていて良い気分はしない。


「幽霊騒ぎで怪我をしたと聞いたが、もう良いのか?」


 帷様がお猪口(ちょこ)を美麗様に差し出しながら、澄ました顔で問いかける。


 (あぁ、そっか)


 帷様は以前美麗様と長局(ながつぼね)で顔を合わせた時も、たわわな胸には興味がなかった。その事を思い出した私はホッとした。


 (って、何故ホッとするの?)


 私は自分の気持ちに密かに動揺する。


 (だめ、今は任務に集中!!)


 私は意識を目の前の二人。

 帷様と美麗様に向ける。


「幸い打ち身だけで済みましたので、もう歩けます」

「それは良かった」

「ありがとうございます」


 いつも以上、眉の一本一本にまで気合を入れ、整えた様子の美麗様は、素直にお礼の言葉を口にする。そしてしっとりと微笑むと、帷様が差し出したお猪口にお酒を注いだ。


「噂では、そなたの所にばかり幽霊が出たそうだな」

「そうなのです。一体どうしてなのか、皆目見当もつきません」


 しらばっくれる美麗様。


「そなたの美しさに幽霊も嫉妬したのであろう」

「まぁ」


 美麗様が悪戯(いたず)っぽく笑い、それに応えるよう、帷様も微笑む。どうやら緊張は解けたようで、二人は穏やかな雰囲気を纏っていた。


 それから最近の天気や草花の事など、たわいもない会話を交わし、ごきげんな美麗様の手酌(てじゃく)で飲み会は続く。


「そう言えば、私は見ることがかなわなかったが、そなたは見たのであろう?」

「見た、と申しますと?」

伊桜里(いおり)の幽霊だ。一体どんな様子だったのだ?」


 (おもむろ)に帷様が幽霊の話を持ち出す。


 (これから共寝(ともね)する相手を前に、昔の女性の名を出すなんて)


 普通ならば、鈍感すぎだと憤慨(ふんがい)すべき所ではある。しかし美麗様は眉一つ(しか)めることなく、帷様に笑顔を送り続けている。


 実に規格外(きかくがい)の女性である。


「何か、私に(たく)したいような、そんな表情をされていました」

「伊桜里の幽霊が?」

「はい。と言っても、私達が現れると、伊桜里様の幽霊は走って逃げてしまったので、お顔をよくよく拝見できたわけではないのですが。でも何か、私に託したい。そんな願いのこもった表情をされていました」


 美麗様はまるで自分に酔っているかのように、つらつらと述べる。そんな中、帷様が私にチラリと視線を送ってきた。


 (えぇ、聞き取りましたとも)


 私はそんな意味を視線に込め、帷様に頷く。

 先程美麗様は「走って」と口にした。


 これは幽霊が生きた人間であると美麗様は知っている。そう私が考える理由のきっかけとなった言葉だ。結局狸ちゃんの証言や、お夏さんの遺書により、私のこの考えは正しかったと裏付けられた。それは喜ぶべきだろう。


 (だけど、今回はもっと酷いボロを出している)


 それは「お顔を良く拝見していない」状態で「願いの籠もった表情」を確認出来たと言ったこと。全くお粗末な嘘だと、私は半ば呆れる気持ちになった。


 (美麗様は、わりとその場しのぎの、口からでまかせで乗り切る人なのかも)


 見た目に綺麗な人が口にすると、それなりに説得力があるような気がしてしまう。それは特に下心を持って近づく異性に対しては効果抜群なはずだ。何故なら、下心を持った人は相手の容姿に見惚れ、話なんて(ろく)に聞いていないから。たとえ聞いていたとしても、好意がある分、疑いもせず信じようとする心の補正が勝手にかかってしまう。


 そして今までは、自分に好意を抱く男性が相手だったので、(つたな)い嘘でも乗り切って来れた。その可能性は高い。


 (けれど、今相手にしているのは全てをお見通しである、公方様)


 美麗様はすでにそこを見誤(みあやま)っている。


「して、伊桜里がそなたに託したもの。それは一体何だと思うのだ?」


 帷様は美麗様に視線を向けたまま問いかけ、器用に酒の入ったお猪口を口につけた。


貴宮(たかのみや)様は形ばかりの正妻だとお聞きしました。ですから現在公方様から寵愛を受けた者は私のみ。よってお世継ぎを、と願われていたのかと」

「お前にそれを託したというのか?」


 帷様の眉間に少しだけ皺が入る。

 苛々している証拠だ。


 (お気持ちは察します)


 けれど、ここは我慢ですよと、私は帷様に目力で訴えた。


「私などが烏滸(おこ)がましい。そう思いますが、こうしてまた、私を指名して下さったということは、あながち伊桜里様のお考えは間違っていなかったのですわ」

「そう、かもしれん」


 帷様は怒りを押し殺し、小さく答えた。


 そして通常であれば床に入る時間である()(こく)が近づく。


「ところで」


 不意に、それまで笑みを浮かべていた帷様の顔からスッと表情が消える。


「先程から気になっていたのだが、その者達は見たことのない顔だな」


 帷様が部屋の端で控える正輝と私に、今気付いたといった感じで声をかける。


「こちらは私がお預かりしております、新しく部屋子となった者です。三味線の腕が立つ子達でしたので、公方様に一度ご挨拶させようと思い、本日は失礼ながら連れて参りました」


 岡島様が打ち合わせ通り答える。

 すると今更私達の存在に気付いたらしい、美麗様の眉間に筋が縦に入る。


 (そりゃそうよね)


 通常であればただの部屋子が将軍に御目見得(おめみえ)出来るわけがない。私がこの場にいるのは、明らかに大奥の規則違反なのである。


 しかしそんな事はお構いなしに、帷様が口を開く。


「では一曲、(かな)でてくれるか?」


 正輝と私が手にした三味線に視線を移した帷様が意地悪く微笑む。何故ならば、ここで一曲という流れは、事前に打ち合わせした台本にはなかったからだ。


 しかし、頼まれてしまえば、やるしかない。


「歌いもの、(かた)り物、どちらになさいましょう?」


 私は動揺を隠し、尋ねる。


「そうだな。歌いもの、「嘘でかためて」はどうだ?」


 帷様の選曲に私は思わず吹き出しそうになる。


「切ない恋の(うた)ですね。とても良い選曲だと思います」


 私は真面目な顔を作り、三味線の糸をペペンとバチで弾き、調子を合わせる。


「では演奏いたします」

「ああ、頼む」

「では」


 私は正輝と顔を合わせ、弾き始める。

 そして、私の歌声が部屋に響く。


 春過ぎてもまだ残る冬の気配に、冬の名残りを感じてしまうのはなぜだろう。

 愛しいあなたは嘘でかためた私に背を向ける。

 もうすぐ、春の訪れなのに。

 胸が苦しくなるほどに切なくなるのは嘘をついたと後悔するから。

 ならばいっそ、花冷えの日が終わる頃、嘘でかためた私は消えよう。


 歌い終わり、三味線の伴奏(ばんそう)を止めた途端、パチパチと拍手の音が鳴る。

 そんな中、美麗様だけは、歌が終盤に近づくほど、どんどん表情が険しくなっていくのを私はしっかりと確認していた。


「素晴らしいな」


 帷様が拍手をしながら、素直に褒めてくれた。


「美麗、どうだ?素晴らしいとは思わぬか?」

「……えぇ。とても」


 引き()った顔で笑顔を何とか作る美麗様。


 (嘘を連発する歌で動揺するだなんて)


 やましさのある証拠だ。


「岡島様、その者達の歌は充分堪能(たんのう)致しました。ですから」


 美麗様は早速邪魔者である私達を追い払おうと画策(かくさく)する。


「そもそも、この場にいて良い者ではありません。決まり事を守れと常日頃から口うるさく仰っているのはどなただったかしら?」


 苛々(いらいら)とする気持ちを隠せない美麗様は、やんわりと岡島様を批判する。


 (確かに部屋子をこの場に呼ぶのは、決まりを破っているけど)


 台本で行くと、帷様の次の一言で岡島様の罪は帳消しになるはずだ。


「良いではないか。私は歌を歌った娘が特に気に入った。岡島、かの者は何と申す?」


 帷様が発した一言に、美麗様の表情がサッと青ざめたものに変わる。何故なら「かの者は何と申す?」この何気ない一言は、ここ大奥ではその意味とは別の、とても重要な意味が含まれているからだ。

 それは、将軍が身分の上下に関係なくその女性を気に入ったという事だ。そしてその女性を夜のお相手に指名したいと、願ったという事。つまりこの瞬間、私がこの場にいる不敬な状況は問題ないものとなった。そして岡島様も不敬に問われないという事が確定したのである。


 けれど美麗様からすると、心踊らせる時間が終了したというわけだ。


「こちらの(むすめ)は、《《いおり》》とお(まさ)でございます」


 岡島様が答えると、美麗様は驚いたような表情に変わった。


「い、いお、り……?」


 美麗様が動揺した様子を見せる。


「左様にございます、美麗殿」


 岡島様がニコリと微笑む。


「そう、ですか」


 美麗様の頬がヒクヒクとひきつる。


「お初にお目に掛かります、公方様」


 私は初々しく見えるよう、ちょこんと畳に三角になるよう手を付き、丁寧に頭を下げ挨拶する。


「いおりと申すのか。名もさることながら、実に初々しくて愛らしい。こちらへ参れ」


 私は帷様の元へ移動するために静かに立ち上がる。移動途中でさりげなく徳利(とっくり)を持ったまま唖然(あぜん)と固まる美麗様に、ニヤリと意地悪く微笑む事を忘れない。


「なっ」


 美麗様は鼻の上に僅かに皺を寄せた。


 (さぁ、地獄へと続く時間の始まりですよ)


 私は微笑む表情の下で、ペロリと(いや)らしく舌を出したのであった。

お読みいただきありがとうございました。


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